小次郎10
「ナガミツ! ダメージはどうだ? ナガミツ!」
返事がない。操縦系は生きているが、AIからの返答はなかった。
「ナガミツ、こん畜生、おい!」
やはり返事はない。神経ブーストの速度が急激に低下して、ボールの挙動が加速するように小次郎には感じられた。グローブの中で、かつてないほど手に汗をかいていることが意識される。いや、汗ではない。血だ。気づけば手に掴んだガラスの破片がグローブを裂いて、小次郎の手元に赤い霧を浮かべていた。小次郎は欠片をダストシュートに投げ捨てて、手首のベルトで圧迫力を調節する。出血が止まった。小次郎は珍しく、自分が冷や汗をかいているのを意識した。
そのとき、操縦桿にほんのわずかなフィードバックがあった。処理速度が落ちているだけで、ナガミツはまだ死んでいない。
「ナガミツ、操縦に集中してくれ。俺は大丈夫だ。予定どおりの進路を取れ。お前だけが頼りなんだよ」
急にトークチャネルに雑音が混じって、また静かになった。誰かが回線を開いたらしい。
「――えー、聞こえますか、聞こえますか。こちらヤスツナ。ナガミツから通信を回されました」落ちついた声だ。小次郎は思わずチャネルの表示灯を見上げた。
「こちら小次郎。ナガミツは操縦で手一杯だ。武蔵は無事だ。安全圏に入ったら、武蔵の体の受け渡しをする。場所はナガミツが送信しているはずだ。わかるか」
「――諒解です。ご配慮痛み入ります。アステロイドからの離脱ロケーションも連絡を受けています。なにかアシスタンスが必要でしたら、私に仰ってください」
「ああ、助かる」
次の射撃はやって来なかった。うまく死角に入ったらしい。武蔵が意識を取り戻して、ぐいと頭を動かした。
「……寒い。何があったの?」
「血が下がったのさ。人参を食わないからだ」
「うっさいわね。って、ちょっと、なにこれ」
武蔵は血の霧を腕でかき回した。蒸発した血液は薄いピンクの渦となって、割れたキャノピーから徐々に吸い出されていく。そこでようやく小次郎のグローブに傷があるのを見つけ、振り回していた腕を止める。
ヤスツナ号が武蔵に呼びかけた。
「――武蔵、無事でよかった。直接コールしても返事がないので、なにか悪いことでもされてるんじゃないかと心配しましたよ」武蔵はそれには返事をしない。
「小次郎、手、大丈夫なの?」
小次郎は肩をすくめる。
「今さらどうってことねえよ。それより自分の運を心配しな。受け渡しはちょいと危ないぜ」
「受け渡し?」
「お前のだよ。ヤスツナ、そろそろじゃねえのか? ポイントが近づいたらカウントダウンしてくれ。お前の主人を船外にほうり出す」
「――諒解です。幸運を信じましょう。あと90秒です」
「ナガミツと俺、お前の息が合えばなんとかなる。忘れんなよ、今こっちには神経ブーストがねえんだ。タイミングを誤ったらあの世まで吹っ飛ぶぞ。ヤスツナ、できるだけスイートスポットを大きく取ってくれ。頼むぜ」
「――諒解」
武蔵が伸びをして抗議する。
「ちょっと、どこか安全なところに降りて乗り換えればいいじゃない。飛び跳ねながら乗り移るなんて、正気の沙汰じゃないわ」
小次郎は表情を変えなかった。
「もうシップを止めることはできん。一回止まれば、またスピードを得るまでに時間がかかる。俺たちゃ大捕物の鼠小僧さ。イニシアチブを失えば、レーザー砲の射程内に追い込まれてズドンだ。今持ってるエネルギーを脱出の足しにして、できるだけ早くこのアステロイドを離れるんだ」
武蔵は同意しない。
「無茶よ。それにヤスツナ号には燃料がないわ。どこかで給油しないと、飛び上がっても方向転換できない。最初からまっすぐ脱出コースに向けて飛べたとしても、加速できないわ。それに、軌道を読まれたら――」
「ああ、あっという間に撃墜される」
「わよね。わかってんじゃない」
「安心しろ。抜け道はヤスツナに教えてある。向こうにお前を受け渡しさえすれば、あとはどうとでもなるんだよ。絵はある」
強く言い切った小次郎の声に、武蔵はそれ以上の抗議を呑み込んだ。
「――こちらヤスツナ。受け渡しまで60秒。クレーターTRA、近づきます。コースOK」