意味 ~生きる訳 死ぬ理由~
はっと目を覚ました私は、ベッドの上でそのまま横たわっていた。
ぼんやりとしていた意識が、だんだんはっきりしてくる。
何の夢を見ていたのだろう。良く覚えていなかったが、まぶたにさわった指に、カーテンのすき間からもれている光が当たって、しずくがキラリと反射するのが見えた。
まだ言う事を聞かない体を、ゆっくりと起こすと、ベッドのわきの小さなつくえの上の時計を見た。
8時をとっくにまわっていた。―と、いうより、短針は9に近かった。
とっくに遅刻の時間だが、私に関係は無い。
フリーターとか、退職後の老人だとか、はたまた未就学児というわけじゃない。私は14才。本来なら中学2年生だ。
本来、というのは、私がここ一年学校に行っていない、いわゆる不登校というものだからだ。
「何で学校行かないの?いえ、きっと何かがあったのね。」
そう心配そうにきく母は、私が何も言えずにいると、
「行きたくないなら、無理に行く事も無いのよ。学校だって変えれば良いわ。」
と、微笑んでくれた。
うれしかった。本当に。けれどその言葉は、私の心をえぐる事にもなった。
本当に、そうなら良いのに。例えば、同じクラスにとびっきりのいじめっ子がいて、私がそのえじきになって、苦しめられて、それで学校に行きたくない、とか。
私は、特別に友達が多かったわけでもないが、人並みに仲の良い友人がいて、クラスにそれといっていじめっ子も思いうかばない。
それなのに、私は学校に行きたくない。
なぜなのだろう、自分でも本当に良くわからないのだ。
だから、母が私をなぐさめてくれるたび、私は余計にむなしくなった。
ぼーっとしながら、てき当な服に着がえて、部屋を出ると顔を洗い、下の階のリビングにおりた。
ダイニングのテーブルの上に、何かが置いてあるのが目に付き、まだとかしていなくて、ねぐせがついたままのかみを手ぐしでとかしながら、そちらへと向かった。
<お母さんは会社に行ってきます。今夜はおそくなるかも知れないけれど、心配しないでね。朝ご飯、おにぎり食べてね。お昼は、てき当に食べておいてね。今日も愛してるわ。お母さん>
というメモと一緒に、ラップに包んだ三角形のおにぎりが二つ置いてあった。
何となくメモをポケットに入れて、おにぎりを両手にそれぞれ持つと、自分の部屋に持っていき、ベッドの上で食べた。
私の好きな、サケと梅の味だった。
ゆっくり食べたつもりだったが、それでも20分もかからなかった。
最後に、ペットボトルのお茶を開けて2、3口飲むと、ベッドにたおれこんだ。
あぁ、何もやる事がない。本当にひまだ…。
「えっ!?」次に気がつくと、私は自分がどこにいるのか分からなかった。白いベットにこしかけている。
消毒液のにおいと、周りの風景で、
「病院…?」
だと思った。
良くわからないままに、私は無意識に立ち上がっていた。
何となくフラフラ歩いていると、ここが病室で、ベットがいくつもあるのに、だれもいない事が分かった。
病室の一番おくに行った時、私は、
「ヒャッ。」
っと、小さく悲鳴をあげた。
だれもいないと思っていたのに、右側のベットに人が座っていたからだ。
その人がこちらを向いたので、私は思わず、
「ごめんなさい。あの私、ここがどこだか分かんなくて…。おどろかす気は無かったんですけど…。」
と、早口に言った。
その人は、私と同じくらいに見える、少年だった。
「あの…、すいません。私、小池悠といいます。ここは、どこですか。」
私が言いなおすと、少年は読んでいた本を閉じて、ベットのわきの棚にしまった。
「ぼく、|夢喜 宇宙。14才。君は?」
少年―夢喜君は、すずしい目でこちらを見た。
なぜだろう、目を合わせたままでいられなくて、若干視線をずらして、私は答えた。
「えっ…あ、14です。」
「そうか。じゃ、一緒だな。」
夢喜君の笑顔にたえられなくなった私は、うつむいた。
「は、はい。まぁ。あの、それでここは…」
私が最後まで言う前に、夢喜君が口を開いた。
「さあ、君の一番近くで、でも、知らないところかな。」
私は、意味をはかりかねて、
「それって、どういう…。」
ときいた。夢喜君はいたずらっぽく微笑むだけだった、
私はあきらめて、そのままだまっていた。
ピピピピピピ…。アラームの音で、私はハッと飛びおきた。
ここは、自分の部屋にまちがいない。
何だ、さっきのは全部夢だったのか。と思いながら、私は目覚まし時計のアラームを止めた。
昨日、この時間から見たいテレビがあって、アラームをかけていたのを、すっかり忘れていたのだ。
テレビ、その手があったか…。目覚まし時計のおかげでそれに気がついた私は、またボサボサになったかみを手でとかしながらテレビのあるリビングへと向かった。
「ふわぁぁ。」また一つ、あくびが出た。
もう、夜の10時をまわる所だ。お母さんはまだ帰って来ない。
おそくなるといっても、さすがにおそすぎだ。
まぁ、お母さんにもお母さんの事情があるんだよね、と思い、私はつくえの中からメモ帳を出して、1枚切りとった。
<おつかれ様。ごめんね、もうねます。お母さんも早く休んでね。おにぎり、おいしかったよ。>
そう書いたメモをリビングに置くと、たおれこむ様にベッドにもぐりこんだ。
「えっ!?」
私はまた、自分の部屋でない所にいて、声を上げた。
本日二回目なおかげで、きょろきょろする手間は省けた。
真っすぐ、一番奥の夢喜君のベットに向かうと、夢喜君はさっきと同じ本に目を落としていた。
「あの、こんにちは。」
私は、そっと声をかけた。
「あぁ。」
夢喜君はそう答えると、顔をこちらに向けた。
顔が急に熱くなって、私は必死に話題になるものを探した。
ここは、自分の夢の中なんだ。また、ここはどこかときいても意味はない。
「…えっと、あの、その本、何て本なんですか?」
聞いたらどう、というわけでもないが、私の口から、そんな言葉が出て来た。
「良いよ。敬語じゃ無くて。それに宇宙って呼んで。」
私は、夢喜…宇宙君の顔を見るまいと、本に視線を落としたままだった。
「宇宙、くん…。その、本は?」
もうすでに、何というか、本はどうでも良いのだけど、少しむきになってそうきいた。
「唯家 光って人の作品だよ。知ってるか?」
聞いた事があるような、無いような名前に、私は首をふった。
「そうか。ぼく、この人の作品が好きなんだ。」
「どうして?」
「う~ん。それはちょっと説明が難しいんだけど、何だろうな、勇気をくれる…って感じで。」
宇宙君はそう言うと、本に目を落とした。
そのひとみが一瞬、複雑で、大人びて見えて、ドキリとした。
「叶わない夢が無いって、そんな訳無い事くらい、分かってる。でも、たとえ叶わなくても、夢を持てば、大きくなれると思うんだ。
その中にはきっと、悲しみやにくしみの色も交じるだろう。
真っ白なんてつまらない。きみもぼくも、そうやって自分だけの色を作って行くんじゃないか。」
宇宙君は少し息をはいて、こちらに視線をあわせた。
「この本の中の、主人公の男の子のセリフ。
その子は、戦争で家族をうばわれ、独りで生きると決めて、友人に、そう語っているんだ。
良く分かんないかもしれないけどさ、
ぼくは、何ていうんだろう。模範的な話しは好きじゃない。貧乏な家の少女が、王子様とけっこんして幸せになった、とか、まぁ、良くあるけど、そんな物語。
でも、人生、そんなラッキーな事、そうそう無いから。
100%無い訳でも無いかもしれないけど、そう上手くはいかないものだろ?
この人の作品は、そういうんじゃなくて、小さな幸せを、本当に大事に生きてて…。
そういう人になりたいな、って思うから、ぼく。」
一気にそう言った宇宙君は、少しおどろいたように、
「小池…さん?」
と、つけ加えた。
自分の名を呼ばれ、ハッと私はほほに伝っているものに気がついた。
涙を手でぬぐいとると、私は近くのイスにこしかけた。
「ごめんね。何かさ、良く分かるから、宇宙君が言った事の意味。そんな風に言葉にしたりは、私にはできないけど…。」
私の言葉に、宇宙君は穏やかに微笑むと、力強くうなずいてくれた。
「宇宙君も、悠でいいよ。」
「悠…さん?」
宇宙君も、私も首をかしげた。そうなんだけど、何かしっくりこない。
「悠…ちゃん?」
それは、さすがにはずかしい。うつむいたまま、目だけで宇宙君を見ると、そっちもばつが悪そうな表情をしていた。
「えっと…。もう呼びすてでいいよ。」
自分で名前で呼んでほしいと言ったのに、結局名字というのもなんなので、いっそうの事呼びすてで良いや、と思った。
「悠…。」
おたがいに、さっきよりもはずかしい気がしたが、私はまあ良っか、と、うなずいた。
「イテッ。」
何か固いものに、思い切り手をぶつけた衝撃で、私は現実の世界に引きもどされた。
私を覚こした犯人は、どうやらベットのわきのかべらしい。
良いところだったのにな…。
しばらく、少し赤くなった左手のこうをにらみつけて、次に時計に目を走らせた。まだ6時だ。
私はもう一回、同じ夢が見れたらな、と、期待して、そのままベットに横になった。
「宇宙君。」
私は、例の病室のイスの上に座っていた。
「悠…。」
さっきまであんなにぎこちなかったのに、こうやってスラリと呼ばれると、不思議と心地良い。
宇宙君の顔色と、病室の様子に、私はハッとした。
「ごめん。今、何時?」
現実が朝だからといって、ここが朝だとは限らないのだ。
「9時30分」
宇宙君は、視線を私の奥にずらして、そう答えた。
私がふり返ると、向かい側のかべに時計がかかっていた。
「夜の…だよね。」
宇宙君がうなずいたので、私は、
「ごめんね。起こしちゃったんだね。私、すぐどっかに…」
と、立ち上がった。
ここは夢の中なんだ、ここを出ても行くあてもないし、かといって、どうやれば元の世界にもどれるかも分からない。でも、さすがにここにいるわけにもいかない。
ドアに向かって歩き出そうとした私は、足をあげて、もどした。
「待って。」
宇宙君が、そう言ったからだ。
「でも…。」
「良いんだ。ここにいてくれるか?」
「うん…。私はかまわないんだけど…。宇宙君、ねむれなくなっちゃうでしょ?」
宇宙君は、ゆっくりと上半身を起こした。
「平気さ。どうせ昼間だってひまだし…。」
そっか、私と一緒なんだ。宇宙君も、学校にいけないのか。
「悠は、中2?」
学校の話をされて、私は鼓動がはげしくなるのを感じた。
「うん…。まぁ。宇宙君も?…。」
「いや、ぼくは3年。早生まれなんだ。」
「じゃ、先輩…だね。」
宇宙君は、笑って首をふった。
「そんな事ないよ。学校、行ってないから。」
「聞いても良い、かな…。宇宙君の事。」
「別に良いけど、期待はずれだと思うぜ。」
そう言って、ちょっと笑ってみせてから、宇宙君は静かに話しだした。
「ぼくが3才のとき、交通事故で両親をなくして、もともと母も父も、身寄りがいなかったから、ぼくは養護施設で育ったんだ。小学3年生のとき、病気が分かって、それから入退院のくり返し。中学1年の時に入院してから、今はそれっきり。
心臓の病気なんだ。移殖しないと余命3か月。でもきっと、ドナーは見つからないだろうな。」
そこまで話すと、私から視線をずらし、目をとじた。
もともと、色白なのだろうけど、その顔には生気がないように見えた。
暑くもないのに、宇宙君の額には、汗が光っていた。
「大丈夫?」
「あぁ。ちょっとつかれただけだ。」
「横になった方が良いよ。」
宇宙君は、うなずいて、体をたおした。
その背中を支えながら、今度は私が話しだした。
「私は、6才のときに両親が離婚して、それからずっと、お母さんには女手一つで育ててもらってるの。
中学1年生のとき、朝起きたら、何だろうね、
上手く言えないけど、学校に行きたくない、って思いがこみ上げてきて、お母さんに、おなかが痛いからってウソついて、学校を休んだの。それっきり、今も学校に行ってない。
お母さんはね、「行きたくない理由が、きっと何かあるのね。」って、「無理に行かなくて良いよ。」って、言ってくれるんだけど、私、学校に行きたくない理由なんてない。別に、優等生ってわけじゃないけど、ふつうに勉強して、ふつうに友達と楽しく過ごしてた。それなのに…学校に行けないの。わけなんて、自分でもわからない。ただ、それがね、お母さんに申しわけなくって…。」
こんな風に、自分の思いを全部人に話したのは初めてだった。お母さんにも言えないことを、宇宙君には話してしまった。
思ったより、つらくは無くて、どこかスッとした気分になった。
宇宙君を見ると、さっきよりも血の気がもどっていた。
ただ何も言わずに、様々な感情で作られた宇宙君だけの色をうかべた瞳で、こちらをみつめていた。
それが一番、ありがたかった。
かわいそうだと同情されても、大丈夫だよとなぐさめられても、そんなのわがままだとあざけられても、なぜだろうか、きずつく気がしたからだ。
「宇宙…君…。」
私が彼の名を呼ぶと、彼はそのまま私を見つめていた。
私も、宇宙君のひとみをのぞきこんだ。
宇宙君は、14年間、生きてきた。
私も、同じ時間を、生きてきた。
そして今、二人は交わった。
一瞬かも知れない。もう二度と会う事は無いのかも知れない。
それでも、宇宙君は、明日の私を作るだろう。
ほんの少し、ただの偶然。
そのつみ重ねで、私達はできているのだから。
今までの彼が歩んできた道を、そして、これから彼が進んでいくであろう道を、私は知らない。
それでも、良いと思った。
たとえ、夢であっても、かまわないと思った。
「悠…。」
私の名を呼ぶ、少年の顔がにじんで見えた。
きっと、彼の目に写る少女の顔も、にじんで見えているのだろう。
「ありがとう。」
二人の声が重なった時、大切な何かが、こぼれ落ちた。
それから私は、ベットに入るたびに宇宙君に会う事になった。
二人は、少しずつ親しくなっていった。
「あれっ。もうあの本、読み終ったの?」
宇宙君が手にしている本が、いつもと変わっているのに気づいた私は、そう聞いた。
「あぁ、まぁ…。」
読書に集中しているのだろう、上の空、といった感じで答えた宇宙君は、きりの良い所まで文字に目を走らせると、本をパタンと閉じて、こちらを向いた。
「でも、作者は同じ…」
「唯家光、でしょ。」
もう、何度も聞いた名を口にする私に、宇宙君は微笑んだ。
「あぁ、そうだ。」
「今度は、どんな話しなの?」
「まだ、途中だけど…。
父親に暴力をふるわれていた主人公の少女は、母親と家をにげ出したんだ。しかし、にげている最中に、父親が脱税の容疑でつかまって、その家族である主人公と母親にもあらぬ疑惑がかかって、役人にも追われるハメになる。役人につかまったら、ほぼ殺されてしまう。二手に分かれた親子だったけど、結局つかまる寸前になったとき、その少女は迷うんだ。その少女は、いわゆるかくし子ってやつだったから、役人は家族は、女1人だと思ってる。だから自分がつかまれば、母親は死なずにすむかもしれない。顔は知られてないからね。」
「えっ、でも本当はその子も、お母さんも悪くないんでしょ。ちゃんとそう言えば、つかまらないんじゃないの?」
あまりに理不尽なその話しに、私は思わず口をはさんだ。
「まぁ、そうなら良いんだけど、良く話しも聞かずに、殺しちゃうような連中だからな。」
その答えに、私はそれが物語である事も忘れて、息をのんだ。
「それで…その子は?」
「その少女の決断は…まだ分からない。」
「えっ。」
私は、心の中でずっこけた。
「言ったろ、まだ途中だからな。」
「あはは。そうだったね。」
宇宙君は、少しまじめな顔をして、口を開いた。
「なぁ、もしも悠だったら…悠がこの少女だったらどうする?」
「えっ、…。うーん。」
ただの作り話にすぎない物語だ。
私が、どう答えようが、どうにもならない。
けれど、宇宙君の顔を見ていると、なぜかかんたんに答えてはいけない気がした。
「どっちも、選びたくないな。…自分の命も、大切な人の命も。どっちにしても、…絶対後悔すると思うから…。」
慎重に言葉を選びながら、私は答えた。
「誰かの…大切な人のためなら、自分の命は惜しくない…なんてキレイ事、私には言えないから…。自分が大切に思ってる人なら、きっとその人も私の事をおもってくれると思うの。それなら、私がいなくなったら、その人は悲しむでしょう?…。無理なのかも知れないけど、私なら、さっきみたいに―無実を証明するとか―他の方法を考えるかな…。出来なければ、出来る限り、どっちもぎせいにならないようにする…。」
私は、そこで一度言葉を切ると、フッと笑って宇宙君を見た。
「って、まぁそんな事…私には出来ないと思うけどね…。」
宇宙君は、相変わらずかたい顔をしたまま、
「そうか。」
と、うなずいた。
「でも、悠なら大丈夫だ。」
人に、大丈夫だ、と決められたので、私はつい、
「大丈夫じゃないよ!」
と、言い返してしまった。
「大丈夫だ。」
あんまり真剣なその顔に、ふき出して笑った私につられて、やっと宇宙君も笑みをこぼした。
「じゃあ、宇宙君なら?宇宙君なら、どうするの?」
宇宙君はまた、むずかしい顔をして、その顔をまじまじと見ていた私の視線に気付くと、苦笑いした。
「ぼくは…分からないな。悠みたいに、強くないから…。
自分が死ぬのもこわいし、大切な人を失うのもこわい…。
かと言って、他の方法なんて考えもしない。ただの、おくびょう者さ…。」
私は、強くなんて無いんだよ。と、いう言葉が出かけたが、口を閉じた。
宇宙君が、自嘲気味な、さみしそうな苦い笑みをうかべていたからだ。」
「悠…?」
宇宙君の声にふり返った私に、宇宙君は心配そうに聞いた。
「大丈夫か?何か元気無いな。」
「うん…まぁ、ね。ありがと。最近お母さんの帰りがおそいんだ…家を出るのも早いし…。別に仕事、頑張ってくれるのはかまわないんだけど、ちょっと心配で…。子供が心配する様な事じゃ無いかもしれないけど…。」
「そっか…。悠は優しいな。」
「ううん。だって、家族だから。」
そう言ってから私は、しまった、と思った。
宇宙君は、小さい時に家族をなくしているんだ。
「良いな、家族、かぁ。お母さん、どんな感じ?」
「う~ん。優しいよ。でもね、おこったら、鬼に大変身。」
クスリと笑う宇宙君と一緒に、私も笑ったが、私は宇宙君から目をはなさずにいた。
すずしいひとみの中に、ちらりと暗いかげかよぎるのを、見た気がした。
「でも、まぁ、ちょっと心配だよな。」
話しが元にもどったので、私はうなずいた。
「話してみればどうだ?仕事を頑張ってくれるのはうれしいけど、少し心配だ、って。」
「うん。ありがとう。」
現実にもどって、お母さんにそう言ってみたものの、
「ありがとう。大丈夫よ。」
と、言われてしまった。
それから、お母さんはさらに仕事にうちこむようになり、
そして、宇宙君も少しずつ、病にむしばまれていった。
「星がキレイだな。」
私が現れたので、宇宙君は、開けはなたれたカーテンから見える、輝く何千、何万もの星がかがやく夜空に目をやって、私に話しかけた。
「ええ、本当に。」
私も、空に目線を向けて、そう答えながら、宇宙君のベットのはしの方に、軽くこしかけた。
少し顔をしかめて、半身を起こした宇宙君の顔は青白く、唇も紫色に近かった。
「お水、いる?」
うなずいた宇宙君に、ペットボトルの水をコップに注いで、わたした。
ゆっくり、全て飲み終った宇宙君の息が、少し浅く、速い気がして、私は
「大丈夫?」
と、きいた。
「あぁ。まぁ、あと2か月だ…」
私は、その事をそれ以上話さなかったが、何の事かは分かっていた。
もう、1か月もたつんだなぁ。
私と彼が出会って、もう1か月になる。すなわち、宇宙君のよ命が、あと2か月、という事だ。
別に、話をそらそうとしたわけでもないのだが、他に話す事も、見つからなかったので、
「あのさ、今さらなんだけど、ここって夢の中…なんだよね?」
と、きいた。
あぁ、とか、そうだ、とか、答えがすぐ返ってくると思ったのに、宇宙君の声がしなかったので、私はふり返った。
宇宙君は、いつにもまして、きびしい顔で、宙をにらんでいた。
「宇宙…君…?」
私の声に、宇宙君はハッと我にかえった様だが、かたい表情はそのままだった。
「えっと…、ごめん、私何か変な事…言った?」
「いや…。ちょっと、大切な話しをしないといけないみたいだな。」
宇宙君は、迷いをすてるかのように目を閉じて、静かに開いた。
「夢、なのかと言われると、厳密に答えればちがう。
ここは、悠、キミの心の中だ。
本来、人が自分の心の中に入りこむことは出来ないんだけど、
悠の場合は、まぁ、何だろう。ぐうぜん迷いこんだって感じだろう。
一度入ってしまえば、次からはたやすくここに来ることができる。
そして、心の中には、何人もの人間がいる…いや、人の中の人だから、人間ってのは正確じゃないけど、ぼくは、その中の一人だ。
心の中の人は、それぞれ、その人の感情になる。
その人が…悠が…、成長すれば、人が増えていく。
それだけ、色々な感情を持つ、という事だ。
そして、いらない感情は、捨てられて…要するに死んでいく。
ぼくの両親みたいにね。
で、ぼくは、悠の何ていう感情なのか、だけど、かんたんに言えば、<学校に行きたくない>って気持ちだ。
そう、だから悠は今、学校じゃなくてここにいる。
ぼくが生きてる、イコール、悠が学校に行け無い、まぁ、そう言う事なんだ。
でも、それもあと2か月だ。
ごめんな、悠…。」
私は、何も言わなかった…いや、言えなかった。
宇宙君も、だまっていた。
長い沈黙が、病室を包みこんだ。
気付けば私は、自分の部屋のベット上に座っていた。
そんな事、考えたこともなかった。
自分の中に、何人もの人がいて、私はその人を生かしたり、殺したりして、生きていたなんて。
宇宙君がいるから、私は学校に行けないなんて。
よく分からない。本当にわけが分からない。
今まで当たり前だった事が、いきなりぶちこわされる。
自分が今、悲しいのか、くやしいのか、おこっているのか…、それすら分からない。
そんな感情がなくなれば、私の中で、何人の人が死ぬんだろう。
あぁ、分かんない。
私は手の中に、顔をうずめた。
宇宙君の青白い顔が、頭の中にうかんだ。
「悠…。もう、ここに来なくて良いんだ。
人の事は…ぼくも人だけど…よくわからないけれど、たぶん、悠がここに来たいと望まなければ、
もう一生、ここに来る事は無いだろうな。
ごめんなさい…本当に。
でも、楽しかったよ、ありがとな。
じゃあ、さようなら。」
最後の彼の言葉…。
今まで、何も考えずに行っていたけれど、今日は…これからはもう、行けないのだろうか…。
相変わらず、帰りのおそい母の帰宅を待ちきれず、私はベットにもぐりこんだ。
「えっ!!」
さけんでから、ここに来て声をもらしたのは久しぶりだな、と思った。
この世界に来るのが、ふつうの事になっていたのだと気付くと、奇妙な感覚におかされた。
まるで、固くしめすぎて開かないビンのふたを、無理だろうと思いながら一応ひねってみると、かんたんに開いたような、
かぎがかかっているドアの、ドアノブをまわしてみたら、勢い良く開いて、反対側に転んででしまうような、
快感と、おどろきと、きょうふが交じった、そんな感じだ。
しかし、いつものベットに、いつものあの顔がいないのに気がついて、私はゾッとした。
その場で辺りを見回すと、カーテンがひらひらゆれているのが目に入った。
窓が開いている…いや、確かあそこは、ベランダに出られるガラス張りのドアだったはずだ。
そこまで考えて、私は、自分のうでをさすった。
とりはだが立っている。
確かに、ドアから外気が入りこんでいるので、室温も下がっているのだが、そうではなく、背筋がこおりついた…まさにその言葉通りだった。
きっと彼は、自分に責任を感じていたはずだ。
私が学校に行け無いのは、自分のせいだ、と。
それと、開いたベランダのドアが結びついたのだ。つまり。彼は、ベランダから飛びおりて…自殺してしまったのではないか、と。
私は、今まで、そして今、彼の事をどう思っていただろう。
ただの夢の中の人。
偶然出会った少年。
不幸な、かわいそうな男の子。
それとも、
本当の事を教えてくれなかったヒドイやつ。
私が学校に行けない、犯人。
分からない。けれど、失いたくないと思った事だけは確かだ。
お願い、私をおいていかないで…。私をのこして死なないで、
そう広くない病室の中を、私は走ってベランダへ向かった。
少なくとも、ドキドキ、とか、ワクワク、とか、そういうんじゃない、胸の鼓動を感じた。
風をはらみ、ゆれるカーテンを払いのけ、ベランダに入った私は、そこにいる人物に、ほっと胸をなでおろした。
しかし、その安堵は、一瞬で終った。
座ったままねむっているように見えるが、もしかして…。
彼にかけよりながら、私は刑事ドラマを思いうかべた。
特に、ミステリーが好き、とかでは無いのだが、他に見るものもなく、何度も見てきた。
青酸カリ、とか、農業の薬品とか、色々な種類の毒があるらしい。
「宇宙君、宇宙君!」
彼の名をさけびながら、宇宙君の冷たい体をだきよせ、ゆさぶった。
固く閉じたまぶたが、ぴくぴく、と動き、やがて開いた。
「悠…。」
宇宙君の、おどろきと悲しみが入り交じったような、青白い顔が涙でかすんだ。
私は、声をあげて、泣いた。
「もう、本当に死んじゃったかと思ったんだよ…。」
ベランダのドアと、カーテンをしめながら、私はそう言った。
「悪かったな…。」
ベットの上で、宇宙君はそう答えた。
「大丈夫なの?」
涙のあとをぬぐいながら、私はベットのわきのいすに座った。
宇宙君は、
「なんとか、な。」
と、苦笑いした。
「おどろかさないでよね、飛びおりたか、毒でも飲んだかと思うじゃん。」
「あぁ、本当、ごめん。でも…来てくれたんだな、悠。」
私は、うなずいた。
「うん。それで?何であんな所にいたのよ?」
「ちょっと、お日様に当たりたかったんだけど、途中で気を失っちゃって…。」
そんな危ない事しちゃダメだよ!と、言おうとしたが、言葉にならなかった。
宇宙君が、自嘲気味な、苦い笑みをうかべていたからだ。
「何だろうな。ふと、こわくなるんだ。
失う事が。
何で、ぼくなんかが生まれて来たんだろう、って。
楽しい日々が、うれしい時が流れると、余計にこわくなる。
何で生まれて、何で死ぬんだろう、って。思うんだ。
どうせ、いつか死ぬのに、何で生まれて、何で生きるんだろうって、考えるんだ。
そんなの、答えは出なくて、どんどん虚しくなっていく…。
なぁ、死ぬって、どんなだろうな?
ぼく、死んだらどうなるの?親に会えるの?
分からないんだ。分からない事がこわいんだ。」
一気にそこまで言うと、宇宙君はフッとほほえんだ。
あざけるような色が消えて、さびしさと恐怖の色だけが、その瞳ににじんだ。
「結局ぼくは、弱いのさ。それだけだって事だ。」
「そうかもしれない、だけどね宇宙君、みんな弱いんだよ。」
自分の静かな声が、やけにひびく様に感じた。
「私だって、おんなじなんだよ。
14年も生きてきたのに、何にも分からないよ。
もしかすると、小さいころの方が、もっと色々知ってたのかもね。
何かさ、いろんな事を知ると、自分が見えなくなっちゃうのかな。
結局、何にも知らないし、何にも分かんないんだよ…。
でも、きっと宇宙君は、誰かの、そして宇宙君自身のために、生まれてきたんじゃないかな。
その誰かの中には、私も入ってる、それだけは確かだよ。」
「あぁ。じゃあ、悠が生まれてきたのも、悠のため、誰かのため、そして、ぼくのためだ。それも、確かだな。」
二人は、顔を見合わせて、笑った。
プルルルルルル、プルルルルルル…。電話の音で目を覚ました私は、あわてて受話器を取った。
「もしもし、小池ですけど…。」
「雪治第三病院ですが…」
雪治第三病院、といえば、家から歩いて5分ほどにある、まぁまぁ大きな病院だ。
病院が、家に何の用だろう…、妙な胸騒ぎを覚えながら、次の言葉を待った。
「小池優奈さんのご家族の方でしょうか。」
「えぇ、私は優奈のむすめの悠といいますが、母が何か?…」
「お仕事中にたおれられて、現在、こちらの病院にいらっしゃるのですが…。」
いやな予感が当たってしまったようだ。
私は、病棟と病室をきくと、玄関を飛び出して病院へとかけ出した。
「お母さん!」
病室のドアをあけると、おどろいて目を見開いた母の顔が飛びこんできた。
「悠!なんでここに…。」
「病院から電話があって、心配で…。大丈夫なの?」
ベットに座っている母は、元気そうだった。
顔色は良くは無いけれど、宇宙君ほどでは無い。
「ええ。過労ですって。お母さん、ちょっと頑張り過ぎちゃったみたい。でも、大丈夫よ。念のため、1週間くらい入院した方が良いって、お医者様はおっしゃっていたけど。」
安心して、全身の力が一気にぬけた。
危うく、たおれそうになったほどだ。
「良かった。お母さん…。本当に良かった。」
私はベットにひざをのせて、お母さんにだきついた。
こんなの、久しぶりだ。もう5年ぶりだろうか。
お母さんの、良いにおいが、胸いっぱいに広がった。
私もこわかった。失う事が。
宇宙君の様に、いつか両親とも失う日が来る事が。
泣きじゃくる私を、お母さんは優しく、強く、だきしめてくれた。
その日から私は、毎日病院に通った。
家の事を1人でやるのは大変だったけれど、お母さんの笑顔を見たら、そんな事、どうでも良くなった。
幸いにも、夏休みの時期に入ってくれたおかげで、
毎日病院に行っても、誰にも何にも言われずにすんだ。
「あさってには、退院だね。」
私が、花びんの水を入れかえながらそう言うと、
「えぇ。本当に、迷惑かけてごめんなさいね。」
と、母は微笑んだ。
「うん。私は大丈夫だけど、もう無理しちゃだめだよ。」
「ありがとう。そうね。」
一度出した花を、もう一度花びんにもどすと、私は窓のふちに手をかけた。
「良い天気だね。」
「本当に。雲1つ無いわね。今年はちょっとお休みもらって、二人でお出かけしよっか。」
真っ青な、大きな空だった。
窓ごしに、外の暑さが伝わってきた。
近くの公園で、子供達が走りまわっているのが見える。
「うわぁ、良いの?楽しみだなぁ。」
私は、母の方を向いて、窓によりかかった。
「どこが良いかしらねぇ。海とか?それとも山へキャンプかしら?そういえば悠、パンダ見た事無いのよね。動物園も良いわね。水族館とか、あとは…遊園地とか?ちょっとそれは幼稚過ぎるかしらね。映画も…。」
楽しそうに話す母に、私はちょっと苦笑いした。
「お母さん、ちょっと多過ぎるって。海は遠いかな…。山は、お母さん、虫きらいでしょ?動物園か、水族館か…。映画なら、土日でもいけるし…。」
「そうね。どこにしようかしら…迷っちゃうわね。」
「うん。でも、どこでも楽…」
楽しそうだね、といいかけて、私は口を閉じた。
何だろう、いやな胸騒ぎがした。
母の時よりも、もっと大きい、いやな感じ。
「悠…?どうかした?」
「え、あ、ううん。とっても楽しみだよ。」
それから、ずっと変な感じがした。
まるで、私の中で、何かがざわざわとさわいでいるような…。
病院から出ると、かけ足で家にもどった。
2、3分だが、夕方とは言え夏なので、汗をかいた。
家に入ると、かぎをかけるのもわすれて、自分の部屋に向かい、ベットにねころんだ。
心臓が、激しく波打つのを感じながら、目を閉じた。
また、いやな予感が当たってしまったようだ。
一番そこにいてほしい人物が、そこにはいなかった。
ゆっくりベットに歩みより、私は、力なく座りこんだ。
いやだ、やだよ、そんなの。
大切なものが、ほほを伝う。
涙があふれて、止まらなかった。
私が彼と出会って、もうすぐ3か月だ。
分かっていたはずなのに。
いつかは失う事は、知っていたはずなのに。
お願い、どこにもいかないでよ。
私を1人にしないで。
―宇宙君が、死んだ。
私は、ベットの上に本があるのに、気がついた。
拾いあげて、ひざの上にのせた。
<意味 ~生きる訳 死ぬ理由~ 唯家光作>
彼が、宇宙君が、読んでいた本だ。
結局、彼女は、主人公の少女は、どんな決断をしたんだろう。
何となく、気になって、私は本を開いた。
読み終わると、自然に涙が止まった。
少女の決断は、こうだった。
自分自身も、母親もつかまらないように頑張ったが、最終的に少女がつかまり、殺されてしまう。
はじめから、母を守るために、自分からつかまっても、同じように殺されたのだろう。
けれど、全然ちがうと、私は思った。
頑張った結果、上手く行かなくても、やらないより、よっぽど良いだろう。
そして宇宙君も、自分のために、私のために生きて、頑張ったんだ。
パラパラとページをめくると、ひらりと何かが落ちた。
紙…何かのメモだろうか。
拾い上げ、私はそこに書いてある言葉を見つめた。
<悠、今までありがとな。ぼくは、悠、キミが好きだ。 無喜宇宙>
せっかく止まった涙が、またあふれだした。
今度こそ、もう一生止まらないんじゃないかと思った。
紙を裏返すと、そこにも文字が書いてあった。
<こいけゆう>という私の名前と、
<ゆいけこう>という、本の作者の名前が、なぜかひらがなで書いてあった。
しばらくその文字達を見ていた私は、ある事に気がついて、思わずフッと笑ってしまった。
唯家光…ゆいけこう、宇宙君の大好きな本の作者は、私…小池悠…こいけゆうのアナグラムだったのだ。
私は、彼が今私の目の前にいたら言いそうな言葉を、想像した。
「ここは、悠の中の世界だ。
この本は、悠の生き方なんだよ。
小さな幸せを、本当に大事に生きてる。
ぼくはこの本が好きで、この作者も好きだ。
だから悠、キミの事が好きなんだ。」
ちがうよ宇宙君、私は、そんなすごい人じゃないよ。
でもね…
「私も、好き、だよ…。かなた君。」
「ただいま。」
「おかえりなさい。」
誰もいないと思っていたのに、母の声が返ってきたので、
「お母さん?え、仕事は…?」
と、私はおどろいた声を出した。
「うん。今日はね、半日で引き上げてきたのよ。」
夏休み明け、1日目の今日から、私は学校に行った。
心配する母をよそに、久しぶりの学校は、つかれたものの、とても楽しかった。
二人で夕食を食べながら、夏休みの思い出話がはずんだ。
「悠、本当に方向音痴なんだから…。お母さん、もう一生会えないと思ったのよ。」
「大げさだよ。それに私が迷子になったのは、お母さんのせいなんだよ。私がトイレに行ってるあいだに、どっか行っちゃうんだもん。」
母は、「ごめんごめん。」と笑った。
「だって、イルカショー、始まっちゃったんだもん。」
「私より、イルカの方が大事なのね?」
私は、軽く母をにらみつけた。
「だから、ごめんって言ってるじゃないの。」
母は苦笑いして答えた。
「ありがとね。本当に楽しかったよ。」
「ううん。お母さんも楽しかったわ。」
あれから母は、仕事もほどほどに、私との時間を増やしてくれた。
宇宙君の事は、一生、忘れられないだろう。いや、絶対に忘れない。
ほんの3か月だった。
だけど、一緒に笑ったり、泣いたりした時間があったのは、確かだ。
宇宙君は、今までの私をつくり、そしてこれからも作っていくだろう。
ほんの少し、ただの偶然。
そのつみ重ねで、私達はできているのだから。
確かに、真っ白は、つまらない。
悲しみも、にくしみも、全てが自分になっていく。
小さな幸せを、本当に大事に生きていく。
私も、そんな風に生きたいよ、宇宙君。
かなた先まで、宇宙の果てまで、どこまでも。
私は忘れないよ、かなた君。
完