魔女、エラッダとの出会い
「なんか言ったか? お嬢ちゃん」
「ひひ、可愛いお客さんだなぁ、おいー?」
二人の男たちは狙いを僕に変えたみたいだった。
魔女さんの商品を後ろに投げ捨てると、ニタニタと品のない顔を向けて近づいてくる。距離は2メル(※1メル=1メートル)も離れていない。
小太りの禿頭と、細身のヒゲ男。二人とも身体は僕よりもずっと大きくて、かないっこない。
「う……!」
恐怖で足がすくむ。
震えていることに気がついて、この時ばかりはスカートにちょっと感謝する。
薄暗い路地の左右に素早く視線を向けると、左は大勢の人が行き交う広場、反対側は村外れの暗がりへと続く。
「一人ならよぅ、俺らと遊ぼうぜ」
「む、向こうでよぉー」
小太りの禿頭が、毛むくじゃらの太い腕を伸ばしてくる。掴まれたら逃げ出せない。こうなったらアレしかない。
覚悟を決めた以上リリイみたいにやるだけだ。
僕は息を吸い込んでタイミングをあわせ、相手が手を伸ばして来た瞬間。スカートの裾を手繰り上げてワンツーステップを踏む。
「嫌って……言ってるんだ、よっ!」
そして、小太りの股間を思い切り蹴り上げる。ボグッと鈍い音がした。
「あうっ!?」
入った。
確かな手応え……じゃなくて足応え。
これは姉のリリイが「護身術よ」と嬉々としながら僕を練習台にする技だ。もちろんリリイの蹴りは寸止めだけど今は容赦なく直撃させてやった。
「ぅおッ!? て……め!」
小太りがよろけて近くの壁に身体をぶつけ、股間を押さえながら目を白黒させる。
相手が怯んだすきに、仲間のヒゲ男の横を素早く駆け抜けた。そして荷物を纏めていた魔女さんの手を掴む。
「走って!」
「あ……」
「はやくっ!」
けれど魔女さんは動かない。怖くて足が動かないのか。
「うしろ、あぶない!」
「え?」
「テメェこらぁー!」
振り返るとヒゲ男が背後から追って来ていた。両腕を振り上げて、僕を背後から羽交い締めにしようとしている。
魔女さんは懐から何かを取り出すと、僕の後ろに向かって「えい」といって投げつけた。
それは小さな手のひらサイズの小袋だった。ヒゲ男の顔にぶつかって、ぱぁんと中身が散る。
「げふっ!? ごふっ! こりゃ……じゃー!?」
魔女さんが投げ、舞い散った粉をヒゲ男は思い切り吸い込んだらしい。ゲホゲホと咳き込んで、身体を折り曲げる。
「それ毒キノコの冬人夏草の胞子」
「ゲホ、グホッ!? ま、マジかそれぁあゲホッ」
ヒゲ男は喉をおさえて地面にへたりこみ、苦しそうにえずいている。
「逃げよう!」
僕は呆気にとられていたけれど、我に返って再び魔女さんに向かって叫び、走り出した。
「うん」
魔女さんの手首を掴んだまま、小走りで人混みのほうへ向かう。
緊張と恐怖のせいか彼女の手は冷たかった。振り返ると結分けた長い赤毛が揺れている。
――なんで僕は魔女さんと、こんな状況に……。
何がなんだかわからないまま無我夢中で走って、やがて広場の反対側まで逃げた。
同業者の魔女さんが何組か商売をしている隙間に駆け込むと、大きな水瓶の陰に身を隠した。
「はぁ……はぁ」
「怖かった」
二人で息を整える。
近くで椅子に座り数本の杖を売っていた中年の魔女が、僕たちの様子に気がついて話しかけてきた。
「どうしたんだいそんなに慌てて……追われているのかい?」
ド派手な化粧に大きな羽根付き帽子。目立ってしょうがない。
「そ、そうなんです」
「怖い人たちで……」
すると人混みの向こうから二人組が見えた。追ってきたのかもしれない。緊張が再び高まる。僕は赤毛の魔女さんを出来るだけ背後に隠す。
「祭りでは変なのも湧くからねぇ、やだやだ」
中年の魔女さんは片目でウィンクすると、手に持っていた自分の杖で地面に線を引いた。
つつ……つっと、1メルほどの線を僕たちの前に描く。
虹色の光が、瞬いて消えた。
「目隠しの結界術……」
赤毛の魔女さんがつぶやく。それは魔法の結界術らしかった。
さっきの男二人組が辺りをキョロキョロと探して近づいてきた。怒っているらしく怖い顔。けれど近くまで来たのに、僕たちに気付く様子もない。
やがて諦めたように首を振ると、どこかに行ってしまった。
「はぁ……」
「よかった……」
思わず赤毛の魔女さんと顔を見合わせる。
まずは目隠しの結界を施してくれたド派手な魔女さんにお礼を言う。
「ありがとうございました。たすかりました」
「感謝です、ありがとうございます」
赤毛の魔女さんも一緒に頭を下げる。
「まぁまぁ。ツケにしとくよ、お互い様だからね」
ふふと余裕の笑み。どうやらド派手な魔女さんは、魔法の効果のある杖を売っているみたいだった。
いつのまにか老夫婦が立ち止まり、杖を見ている。
「この杖を持つとね、腰の痛いのが消えるわ。それに、転ばないまじないがかけてあるの」
セールストークも滑らかに杖の説明を始めている。
「素敵だこと。お爺さんにちょうどいいわねぇ」
「いいねぇ……良い杖じゃ」
商談をしている後ろで、僕と魔女さんはあらためて向き合った。
「君……ありがとう。怖いところ助けてくれて」
声は耳に心地よい優しい感じ。けれどどこか自信なさげに揺らいでいる。
「あっ、いえ……その。僕はただ夢中で」
スカートの裾を直して笑う。僕と言ってしまったので、男の子だってバレたかもしれない。
「私はエラッダ。君の……名前は?」
僕はそこでようやく、手を握って一緒に走っていた魔女――エラッダさんの顔を見た。
前髪は瞳を覆い隠すほど長い。けれど赤毛の前髪の向こうから、エメラルドグリーンの綺麗な瞳が見え隠れしている。木々の若葉みたいな素敵な色。眉は太めで顔の輪郭は整っている。
「リリトです」
「いい名前ね。リリト」
「えぇ……? そんな」
「ううん、気に入ったわ」
口元を緩めるエラッダさん。
笑うとすごい美人さんかもしれない。
年はいくつなんだろう。見るつもりはなくても、ついお姉さん魔女の見事な胸の谷間に視線が向いてしまう。だって姉のリリイの筋肉の隙間とは大違いなんだもの。
って、これじゃさっきのゲス男たちと同じじゃないか!? 下らない自問自答に一瞬心がトリップしていると、僕の手をエラッダさんがそっと握った。
「運命って……信じるかしら?」
「へっ?」
突然のエラッダさんの問いかけに、思わず変な声をだしてしまう。
エメラルド色の瞳が、じぃーっと僕を覗き込んでいる。
顔がとても近い。
ふんわりと甘いベリーのようないい香りがする。
「私は信じるわ。感じたもの」
エラッダさんはそう言いながら僕の手首に、ミサンガのような糸を結んだ。
「これ……?」
「今日のお礼に。もしよかったら……私と……」
糸は何かの植物の繊維を編んだものらしい。色のついた糸が何本か交じっていて、樹の実が一つ付いている。可愛いアクセサリーだろうか。
「僕に? いいんですか!?」
「私と君の出会いの記念、そして……」
絆の印。と聞こえた気がした。
「ありがとうございます!」
魔女さんからのプレゼントが嬉しくて、やったね! とさけんで小さく跳ねる。
魔女さんとお近づきになれた。
「帰ってリリイに自慢しなきゃ!」
「あっ、リリト、あのね……そのね」
「……その様子じゃぁ商売は上手く行かなかったみたいだね」
杖を一本売ったばかりのド派手な中年魔女さんは、エラッダを眺めてため息をつくと、同情気味にささやいた。
「あ、えぇ……はい。今夜のために、頑張って作ったんですけど」
「エラッダだったかい? その帽子とマント……『湿り森』の外れの子かい?」
「よくご存知で」
「あの土地の先代と知り合いだったからねぇ。どうりで今夜は縁があるわけだ」
ワルプルギスの夜。魔女たちの祝宴。
そんな特別な夜が人と人を結びつけるの、とド派手な魔女さんがいった。
「ところで、エラッダさんは何を売っていたんですか?」
暗がりで並べて売っていた小袋。
あれはなんだったのか。男たちに目をつけられて絡まれるなんて、まさかヤバイ薬だとか……。
「これはね、特別製の……魔法の『乾燥剤』!」
じゃーん、とエラッダさんが小袋を手のひらに載せて見せてくれた。
「香りつきで素敵だと思いません?」
「乾燥剤……」
「乾燥剤ねぇ……」
こんな華やかで賑やかな夜に乾燥剤。確かにちょっと商売は上手じゃないのかも。
顔を見合わせる僕と中年の魔女さん。エラッダさんはひとつずつプレゼントしてくれた。
お礼を言って受け取ると、ポプリのような良い香りがした。エラッダさんの香りの正体はこれだったのか。可愛い布袋の中には、乾燥したハーブや果物の皮が入ってるのよと説明してくれた。
「でもあまり売れなくて」
しゅんとする魔女のエラッダさん。
「素敵、すてきだと思いますよ!」
「本当……!?」
「ほ、本当です」
「嬉しい」
ぎゅっと僕の手を握るエラッダさん。
指先は緊張がほぐれたのか、とても温かい。
「ありがとう、リリト」
「えへへ、そんな」
「おかげで良い夜になったわ」
ぱぁっと花咲くような笑みに変わるエラッダさん。やっぱり思った通りの美人のお姉さん。
おまけに握った手をなかなか手を放してくれない。
なんだかえらく気に入られたみたいだ。
――ワルプルギスの夜。特別な夜が人と人を結びつける。
僕はその言葉を温かい心地で噛み締めていた。
<おしまい>