小さい方の塊、動く。
小さい方がやっと起きます。
そして、色々な事が決まります笑
「君…鬼族でしょ?」
雨の音だけが空間に響いてしばらくたった後、白河は茨木を見て口を開いた。
暴れる気力が無くなったのがわかり、上に乗っていた狗牙は離れていた。
振り回された馬鹿長い刀は鞘に納められ、彼の傍らに置いてある。
白河の唐突な言葉に、茨木の顔に明らかな動揺が走った。
赤い髪に首筋に炎のような模様。これは、櫻狐族に代々仕えている鬼族の証。
「そして、彼女は櫻狐族」
眠る彼女を見つめて呟くように言う。
茨木は、その名を言われた刹那、刀に手をかけるも動きを止めた。
というより、動けなくなったという方が正しい。まるで、蛇に睨まれた蛙のように。
こちらに向いた白河の眼が、どこまでも冷たく、感情が無かったから。
その眼に、雪晶と狗牙も背中に悪寒を感じていた。
久々に見た。この世のどんな生き物よりも冷めて全てに絶望した眼。
そして誰よりも、ボロボロに傷ついた眼。
「この桜色の髪が証だもんね」
指で彼女の髪を撫でながら、白河はそう言い茨木を見続ける。
「何故、そんな事知ってる。それは、外の者は知らないはずだ」
「さあ、何故でしょ」
白河は、冷めた眼のまま笑うと他人事のようにサラリと答えた。
この男、得体が知れないと茨木は思った。
櫻狐族の存在は、普通に暮らしている者では知るはずが無い。
この世を保っているのが、あの桜である事は皆知っているが、それを守っている一族がいる事は知る事は無い。その一族に関わる者以外は。
櫻狐族は、人知れず世界を守り、犠牲を払っているのだ。
その存在を知り、それを守り忠誠を誓っている鬼族の存在まで知っている。
何故だ、何故そこまで知っているんだ。
「そんな事より、どうしてこんな所に来たんだ?櫻狐族って、そんな切迫してるの?」
「それは…」
視線を逸らした茨木に白河は眼を細め、
「まあいいけど…ここは、来る者は拒まずだからね。ここにいたいならいればいい」
眠る彼女を見つめた。
「白河!」
今まで黙っていた狗牙が、我慢できずに声を上げた。
「どうした?また、大声だして」
口寂しくなり、キセルをくわえながら立ち上がると、再び定位置に戻った白河は狗牙を見た。
鼻孔に残っていた桜の香りが、紫煙の香りに変わった。
現実の香りに戻る。少し、冷静になれた。
「お前、今の言葉の意味、わかってんのか?」
「ん?意味って?」
「馬鹿か!これ以上…!」
狗牙が言いかけた言葉を、いつの間にか側に来ていた雪晶が、彼の首を掴んで止めた。
冷たい感触が、首から全身に駆け抜ける。
「狗牙…やめなさい」
「でも!」
「やめなさい」
強く言われた言葉に狗牙は、言葉を繋げずに黙り込んだ。
「二人共、優しいね。ありがと」
白河は、やんわりと微笑みながら、二人にお礼を口にし、
「にしても、雪晶はいつも、狗牙に容赦ないね」
首を掴まれ、仕留められた動物のような狗牙を見ながら白河は言った。
「頭が空っぽの彼には、行動で示さないとわかってもらえないですから」
笑顔でそう答える雪晶に、狗牙は「頭空っぽってなんだよ!」と大声をあげた。
「ほら」と雪晶が眉を上げ、「なるほど」と白河が納得する。
「馬鹿にすんなよ!」
突然、三人の世界から置いてけぼりをくらった茨木は、拍子抜けしていた。
緊張したかと思えば、その糸はすぐに緩む。
彼の本音はどこにあるのだろう。彼の周りには、薄い、だが誰にも壊せない硝子がある。
その先に踏み込む事はできない。
先の見える壁。それは、多分あの二人にもわかっていて、でもそれを無理矢理に壊そうとはしない。
この微妙な距離を楽しんでいるような気さえする。
「茨木、どこ?」
その時、今まで耳に届けられることがなかった声音が、この空間に響いた。
彼女が起きた。桜色の髪の彼女が。
彼女は身体を起こし、こちらを見つめていた。
茨木がすぐに彼女の側により、守るように抱きしめる。
「ここにいます」
「良かった。怪我は?大丈夫?」
「はい。あの方達に助けていただいたので」
茨木の視線を辿り、先にいる三人を彼女が見つめる。
雪晶と狗牙は、完全に彼女の髪と漂うどこか違う空気に呆然と見つめていた。
だが、白河はそんな反応はなく、こちらをただ見つめていた。
彼女は、意識を失う前に見た彼だとすぐにわかった。
「貴方が、私達を見つけてくださったのですね」
「まあ、そういう事かな」
白河は、ゆっくりと立ち上がり、紫煙を燻らせながら近寄ると彼女の前で膝を折った。
「お嬢さん、名前は?」
「おやめください」
彼女が口を開こうとした刹那、茨木が横から制した。
「あのね、俺はお嬢さんに聞いてるの。お前は、黙っててくれる?」
彼女の名前を明かさせない茨木に、白河は、少しイラッとしつつ言葉で押さえ込み、視線を彼女へと戻した。
「それに、名前聞いた所で、俺は何もしないよ」
「そんな事わからない」
「俺が、あんた達の素性を知ってるからか?売るとでも?」
「可能性はあるだろ」
「それで、俺に何の利益があるんだ?そんな事思ってたら、とっくに連絡してる。疑う事しか
知らないと損するよ」
薄く笑いながら白河はそう言い、茨木の耳元の唇を寄せ、
「あんまり俺につっかかると、簀巻きにして、川にぶち込むよ?二人とも」
そう囁いた。
茨木は、困惑したように顔を曇らせる。
コイツはやるだろう、本気で。
「お嬢さんも、名前は言いたくない?」
意識を彼女に戻した白河は、軽く首を折る。
「…玖音〈くおん〉」
「そう…玖音か。良い名前だな」
「貴方は?」
「白河。以後、お見知りおきを」
「白河…さん」
「さんはいらないよ。あんまり、そうやって呼ばれるの好きじゃないんだ」
「はい」
茨木が、警戒しているからどんな人なんだと思ったが、優しそうだと玖音はやんわりと笑みを浮かべた。
その笑顔に、白河の胸の奥の傷が疼いた。が、顔にはださないように我慢した。
似ているから、何となくだけど。彼女を見ていると、昔に引きずり込まれそうになる。
気をつけなければ、地雷を踏む事になる。
「それで、ここはどこなのですか?」
「ここは、ウラガワ」
「ウラガワ?」
「一夜の夢を買う場所」
「夢?」
「そう…気持ちいい夢」
「気持ちいい?」
「ああああああ!!!」
それ以上はと、茨木が大声を上げながら玖音の耳を手で塞ぐ。
その行動に、白河はキョトンとする。
「やめろ!玖音様が汚れる!」
「汚れる?酷いな、わかってて連れて来たんじゃないの?」
「仕方なかった」
「ちょっと!今の言葉、聞き捨てならないわね」
突然、後ろにいた雪晶がズカズカと歩み寄り、茨木の前で仁王立ちになった。
雪晶は、この仕事に誇りを持っている。なので、この仕事の事や街の事を侮辱されると速攻でプチンッとなる。
「私達はね、この仕事にこの街に誇りを持ってるの。それを、汚れるですって?!ふざけるん
じゃないわよ!」
先程、騒いでいた狗牙よりも迫力のある声で、喚いた。
茨木は、思わぬ人物の介入で固まった。彼女から、肌に痛いくらいの冷風が吹き付けてくる。
「雪晶、部屋凍らせる気?」
「白河も白河です!わかっててなんて肯定しないでください!」
「ゴメンね」
「綺麗…」
「えっ?」
仁王立ちの雪晶を見上げながら玖音が呟いた一言で、空気がガラッと変わってしまった。
キラキラとした瞳で見上げる玖音の愛らしさに、雪晶は目線を外せずに思わず座りこみ、
彼女の髪を撫でた。
「可愛い…」
母性本能くすぐられまくりで、雪晶は怒る事が出来なくなってしまった。
「こんな綺麗な女の人、見た事が無いです」
無垢で無知の破壊力は半端ない。雪晶は、自分の禿二人と並べたいなどという欲望に一瞬にして支配され、「ちょっと、おいで」と玖音を立たせた。
「玖音様!」
「ちょっと借りるだけよ」
茨木の言葉に、サラリと返答して雪晶は奥にいる禿の元に連れて行った。
何なんだと茨木は、大きな溜め息を吐く。
胡座をかいた膝に肘をつきながら、キセルをくわえた白河は、横目で茨木を見る。
「いい加減、本題に入ろうか。お前達は、ここにいたいの?」
「いたいと言えばいさせてくれるのか?」
「どうぞ」
「全て知った上でか」
「全部は知らないかな。でも、ここは来る者は拒まないから」
「どうなるかわからないぞ」
「面白いじゃない。でも…」
こちらに向いた茨木の顔を見つめて、白河は紫煙を漂わせながら薄く笑った。
「条件がある」
「条件?」
白河は一人、仏頂面で酒を煽っている狗牙に目線を送り、名を呼んでこちらに手招きした。
狗牙は、呼ばれるままに彼の側に近寄る。
「何だよ」
「お前、人が足りないって嘆いていたよね?」
「そうだけど?」
「いいの見つけた」
思惑たっぷりの笑顔をしながら白河は、キセルで茨木を指した。
数秒、意味が分からなかったのか固まった後、狗牙は「はあ?!」と反応を示した。
それは、茨木も同じだった。
開いた口が塞がらない二人に、吹き出しそうになるのを抑えながら白河はキセルをくわえた。
「茨木、ここにいる条件は狗牙が率いる同心に入って、この街の治安を守る事」
「おい!どういう事だ!」
「だから、今、説明したでしょ。阿呆だな、狗牙は」
「アホって!」
「だって、腕が立つみたいだし、人少ないんだから丁度いいでしょ。これなら外から呼ばなく
ていいし、住むとこは俺のこの部屋貸すし、食事はここの食えばいいし、そうすれば給金払
わなくていいし、一石二鳥でしょ?」
「いやいや、俺はこいつら置くの反対だし!」
「ここの頂点は誰だっけ?」
自分の意見は通らないわ、阿呆呼ばわりだわで散々な狗牙は、今日の占いどうだったっけなどと普段信じていない事を思いだそうとしてしまった。
同心内では、上の狗牙も『ウラガワ』次元の話をされてしまうと何も言えなくなってしまう。
ここの王は、白河だ。従わざるおえない。
狗牙は、唸りながら頭をガシャガシャ掻いてガッと顔を上げた。
「わかった…」
「おりこうだね」
満足そうにそう言い、白河は茨木を見つめ、
「お前もいいよね?」
「玖音様はどうなる」
「彼女は…申し訳ないけど、ここにいてもらう。一歩も出さない。いくら、櫻狐族の事知らないと言っても、あの髪は目立つ。どこから漏れるかわからないからね」
茨木は、彼の気遣いにさっきまでの疑心を取り払った。
そしてしっかりと正座をし直して、「すまない。感謝する」と深々と頭を下げた。
白河は、クスクスと笑いながら彼を見つめ紫煙を吐き出した。
「鬼族ってほんと、礼儀正しいね」
顔を上げた茨木は、一瞬、眼を疑った。
それは白河に、櫻狐族の男子のみにある狐の耳と尾が見えた気がしたから。
この男、ほんとは…。
そう思ったが、その先の思考は遮断した。この男は他人、踏み込む権利はない。
今は、玖音を守る事が最優先だ。
守る…か。悪いのは、こっちなのに。
どんなに逃げても、逃げ切れないのはわかってる。
これは命を賭けた、最初で最後の大きな我侭。
だから、もう少しだけ、もう少しだけでいい。
この終わりのわかっている逃亡劇を演じさせてくれ。
さて、これからどうなりますか。
まだ明るい流れですな。