雪が融けたら
母が夕食の席で、「雪が融けたら何になる?」と訊いてきた。
「水」と、那美子は即答した。母は拍子抜けしたようだった。姉を援護するように4歳下の弟の昭が、「水に決まっているじゃないか」と続けた。
那美子も昭も現実的かつ理系発想の子どもだと母はよく忘れるようだ。母と同じく文系発想らしい、那美子の双子の姉の諾子は、苦笑いしながら母をフォローした。
「お母さんは雪が融けたら春になると答えてくれると期待していたのよ」
母はやっとほっとしたような表情になった。この娘はわたしと似ていると嬉しそうだ。
母のそんな様子に、那美子は釈然としないものを感じた。親の価値観を否定しようとはしないが、子どもは子どもの考え方や価値観がある。「春になる」と答えなかったからといって、あからさまにがっかりするのは、親としてどうなんだか。
「雪が融けたらって言ったって、蔵王エコーラインは春になっても雪の壁があるわよ。(冬の間は雪が深いし、吹雪くから通れないもんね)それに山形県の月山って夏にスキーができる場所って有名じゃない。月山じゃ雪が融けきるのは夏の盛りよ。
それにさぁ雪国だって根雪になる程ドカンと季節の初めから降る訳じゃないでしょ。少しずつ降って融けてを繰り返して、大地が冷えて、降る量も増えてきて積もるものじゃない。
加えて言うなら、同じ東北でも日本海側と違って、太平洋側は雪が積もるのは何回かで、積もっても何日かで雪は消えてしまうでしょ。その場合は雪が融けても春じゃなくて冬のまんまよ。
お母さんはわたしのこと図鑑や科学の本ばかり読んで文学を読まないとよく注意するけど、有名な小説の『キリマンジャロの雪』だって、アフリカの赤道直下でも高山に万年雪があって、とかの話なんでしょう?」
季節の移ろいは単純に決めつけられない、場所やその時々で違ってくるのだから一面のみで語れないと、那美子は続けたかったが、母が悲しそうに顔を曇らせたので黙った。とことん言って言い負かしても、母相手では得にならない。
「ああ、でも春に季節はずれの雪が日差しを浴びて、湯気を上げて融けてゆくのを見た時は、ああ、春だなぁって感動したわ」
取って付けたようになってしまっただろうか。諾子は苦笑いのまま固まっていたし、母は困ったように笑ってみせた。昭は元から気にせず、黙々と食事を続けている。
どうして母の考えと異なることを言っちゃうのかなぁ、でもお母さんは女の子は愛嬌が大事と思い込み過ぎるのよ、と那美子は思う。こっちだって母が嫌いではない、好きだからこそ自分の個性を知ってもらいたいと一生懸命になってしまうのだ。可愛げのある(女の子らしい趣味の)諾子や、男の子の昭ばかり気に掛けられていると感じているから、余計意固地になる。
諦めたような母の様子に、那美子の不満がまた湧きだした。わたしは諾子より家の手伝いをするし、上手なのに、そこは当たり前だからと注目されないのはおかしいし、詰まらないと那美子は、母への感情が揺らぐ。
家族の食事が終わって揃ってお茶を飲んでいる所に、遅れて父が仕事から帰ってきた。
出迎えを受けて食堂に入ってくる父に、諾子が無邪気そうに言った。
「お父さん、雪が融けたら何になるって、お母さんが謎かけをしてるのよ」
父は素早く家族たちの顔色を読んだようだった。また那美子か昭が母の期待外れな返答をしたと察したらしい。席に着きながら、父はゆっくりと答えた。
「雪が融けて、うん、昔のアイドルグループの歌を思い出すなぁ」
そこまでは良かったが、その後の言葉はやはり那美子の父なのだ。
「雪が融け、その水が川に流れて、緑を恵むんだろう、自然の力は偉大だなぁ」
現実的なのか、詩的なのか、よく判らないが、父の答えはどちらかといえば理系発想だ。娘たちには母の機嫌が直ったようには見えなかった。
「そうね、自然はすごいわね」
母の顔は朗らかそうだったが、見事に口調は冷めていた。