7 不浄なる者
神聖なる儀式を終えた私は川がいつもと変わらず流れる様子を見てほっと息をついた。
川は許してくれたのだと、そう思った。
だから私はいつもと同じように川の上の4つの石を軽い足取りでもう一度渡った。もちろん川を汚さないようにワンピースの裾を上げて、そっと。
これで大丈夫、これでいつも通り、いつもと同じ日々に戻る、と何度も囁いて。私はお気に入りのワンピースを来て、お気に入りの川に来る。
ただそれだけ。
ただそれだけの日常に戻る。
そう思ってた。
そう思ってたのに、
なのに、
「ねぇ、」
声がした。
昨日と同じ声が。
私は驚きと焦りと怒りを胸に秘め、そしてそれを決して見せないようにゆっくりと後ろを振り返った。
昨日と同じ男がいる。
ああ、なんてことなの。祈りを捧げたばかりなのに。
なぜこの男はここにいるの。
川は、川は許してはくれない。
二度も、二度も不浄なる者を、穢れ多き男を川に近づけてしまった。
私は『いつもと同じ』が崩れていくのを感じた。
「ねぇ」
私は返事をしなかった。大きな怒りを胸に抱えた私は絶対に男に口をきいてはいけなかった。だが、男は私の怒りなど関係ないかのように無遠慮に私に歩みを近づける。いくら私が近づくなと願っても男に届かない。ならば、それならば私はこの男を排除するために、川を守るために男に音を、声を、言葉を発しなければいけない。
「ここは、」
私が声を発する前に男が口を開いた。私は胸が燃えそうだった。もし私の心の中が目に見えたなら、コベニヤマタケや数年前に起きた大掛かりな山火事よりも真っ赤に燃えあがっていただろう。
私は、私の許可もなく私よりも先に青年が、まるでタマゴタケのように鮮やかな赤色をした唇から音を発したことに、怒りよりも強烈な戸惑いを指先に感じた。
けれど私はそれを男に悟られてはいけないのでひどく淡々と言葉を紡ぐことにした。
「来ないで」
自ら問いかけたにも関わらず私が声を発したことに驚いた様子の青年は、その目を大きく開き、なんともだらしない表情で私の顔を見る。そしてワンピースに隠れた私の足元を不躾に見つめた後、口をきゅっと噛みしめた。その表情は何かを耐えるかのような、そんな顔だった。私にはなぜこの男がそんな顔をするのかが分からず戸惑った。先ほど感じた燃えるような怒りは川を流れる水のように静かに流れていった。
「あ…、…ここは、いいところ、だね」
青年は悲しげに川を見つめながら微笑んだ。そんな彼に私はなぜか懐かしさを覚えた。男なのになぜかここにいることを許してしまいそうになる。
なぜだろうか。
青年の唇が森の小さな住人と同じ色をしているから?
「君は、君はいつもここに?」
「え、ええ。ここは私以外の人は来ないわ。・・・来ては、いけないの」
私は強く言おうとして失敗した。酷く弱弱しく出た言葉が自分の耳を通り抜けたのを私は自身で驚いたが、彼が傷ついた顔をするので『もう来ないで』という言葉を飲み込んだ。
なんなのだろう、この感情は。
どうしてここにいることを許してしまっているのだろう。
苦しい。
苦しくて、苦しくて胸がつまる。
早く行ってほしいのに、彼が動かないなら私がここから立ち去りたいのになのに、その言葉も出なければ足も動かなかった。
私はその時確かに感じた。
川を裏切り、穢してしまったということを。