46 約束
「ねぇ、チロ。私変わらないってことがとても悲しいってことに気がついたの」
「ねぇ、さん・・・」
変わらないことは、悲しいこと。
自分だけが変わらない。
変わりゆく愛しい人たちをずっと見続ける。
それはとても残酷な時間。
「ふふ、お別れね?」
メリーはリックの表情がみるみる変わっていくのを見て、自分がもうじきリックの前から姿を消してしまうということを悟った。
「待って、待ってよ姉さん」
「ありがとう、チロ。あなたにもう一度出会えてよかった。あなたの成長した姿を見れてよかった。あなたが大きくなっていくのを見れなかったのは残念だけど、でも、こんなにいい男に育ってくれて、姉さんうれしいわ、ふふ」
メリーは本当に悲しいとは思わなかった。
リックが成長した姿を見れたのが嬉しかった。
リックとの別れは残念だけどそれを悲しいとは思わない。
だってこれからも心にはずっとリックがいると、そう信じているから。
「これからも、リオ姉さんを助けてあげて。きっと姉さんは心に闇を抱えたまま一生、生きていくでしょうね。私が死んだことを認められないまま、毎日くたびれた格好で豆を選り分けて、この家で死んでいくの。でも姉さんはそれでいいの。姉さんがそれを望んでいるのだから、あなたは姉さんの様子をこうやってたまに見にくるだけでいいの。それだけで充分。あなたは今まで通り街で働いて、素敵な女の子と結婚するの。あなたは何も聞かなかった。姉さんの秘密をあなたは今も、そしてこの先も知らない。あなたは私の自慢の弟。そしてリオ姉さんが愛した可愛い弟よ」
すべてをなかったことにしようとするメリーにリックはもう何も考えられない。
リオの秘密を聞かなかったことにするのは、確かにリオにとっては必要なことだろう。しかし、その闇を抱えたままにしておいた方がいいというメリーの意見には賛同できなかった。
けれど、けれどメリーがそう言うのならば、きっとそれが正しいに違いない。リックにとってメリーがすべてで、メリーの言うことはいつも正しかった。
悲痛な顔を見せるリックにメリーはまるで転んだわが子を優しく見守る母のように大きく手を広げ、リックを胸に抱いた。
「リオ姉さんのことは私が見守ってるわ。だから大丈夫よ」
温度のないはずのメリーから温かい優しいぬくもりを感じた。
「僕、僕きっとまた姉さんに会いにくる」
「ふふ、ばかねぇ。次に会うのはもう何十年も先の話よ」
「姉さんみたいに、お日様のにおいのするお嫁さんを見つけて、姉さんみたいに、太陽のように笑う可愛い女の子を育てる。その時には姉さんの名前をその子につけるんだ」
まるで十のチロに戻ったかのようにリックはメリーをぎゅっと抱きしめて、泣きそうになる声を抑えながら必死で言葉を紡ぎだした。自分をどこにもやらない、とでも言うかのようなリックの姿は、幼いころ意地悪をしてリックを置いていった後に必死で自分に抱きつく姿と重なった。
「ふふふ、それはどっちの名前?」
「メリー。僕と姉さん二人だけの秘密の名前」
ペチカでもペティでもなくメリー。二人だけの秘密の名前。
まだパートナーもいないのに、生まれてくる子供が女の子だと信じてやまないリックの姿にメリーは可笑しさと嬉しさを笑みにのせた。
「男の子が生まれたらどうするの」
「その時は・・・、その時に考える・・・」
メリーはむすりとした口調で答えるリックの頭をそっと撫でた。
「チロ。チロってつけてちょうだい。私とあなたの二人だけの秘密の名前よ」
「・・・うん、そうするよ。メリーとチロはずっと仲良し姉弟だよ」
声を弾ませてメリーを見上げるリックは小さなチロと同じ愛しい姿。
「約束ね」
「うん、約束」
「ふふふ」
「・・・っ!姉さん!!」
小さく指切りをかわした瞬間、メリーの姿が大きくぶれた。そしてつい先ほどまで掴めていたメリーの服がもう、掴めない。
「あぁ、もうお別れの時間?」
「姉さん、行かないで。ずっとそばにいて!僕のそばにいてよ・・!」
手を伸ばしても、大きく抱きしめようとしても、メリーはリックの手には入ってくれない。
もう、触ることすらできなくなってしまった。リックは大きな涙が自分の頬を濡らし、床に落ちるのを感じた。
「あらあら、チロ、泣かないで。男の子でしょう?もう19歳になるのだから、泣いてはいけないわ」
「姉さんが悪いんだ。姉さんがまた僕の前からいなくなるから・・!」
二度もメリーを失う経験をリックはしなければいけない。
それはとても悲しくて、そして残酷。