34 姉さんの好きな花
リックは部屋へと帰ると、一輪ざしのカンパニュラを見つめた。
メリーの大好きなカンパニュラ。
だから自分も好きになった。
なぜメリーがカンパニュラを好きなのか、それを知ることはなかったけれど、いつもメリーはカンパニュラを愛でていた。だからあの日も、メリーにカンパニュラを渡した。
メリーがカンパニュラを視界に入れたときの、あの嬉しそうな顔は今でも鮮明に思い出す。
まるでメリーの方が野に咲く花のような、そんな笑み。
「カンパニュラね。私の大好きな花」
リックがそう遠くない過去に思いを馳せていると、いつの間にかメリーが隣に立っていた。
いつ入ってきたのだろうか。
リックはメリーがそばにいることに驚き、気配もなく隣に立つメリーに疑問を感じたがその疑問はすぐに解決した。
あぁ、姉さんは・・・
『死んでいる。』
死人が音を立てずに、気配もなく、歩みを進めることは容易だろう。
メリーはリックのなんとも言い難い気持ちを察することなく、机の上の花瓶に目をやり、目元を和らげた。
「覚えててくれたのね、あたしの大好きな花を」
「もちろんだよ。姉さんの好きなものは全部覚えてる」
川と、ワンピースと、森の小さな住人のキノコ、カンパニュラに小さなチロ。
「今っていったいいつなのかしら。季節は?」
すべての疑問が唐突なのは、生前からそうだった。リックにとって姉であるメリーはいつも、何をするのも、唐突でだけど無邪気で天真爛漫なメリーをリックはとても慕っていた。
「今は春だよ。姉さんが好きなカンパニュラの季節」
「春?秋ではないの?」
ほんの数日前、メリーにカンパニュラを渡したとき、メリーはカンパニュラが季節ではないと言った。
けれど、もう一人の姉であるリオはカンパニュラは春に咲くと言った。そしてカンパニュラは今、春のこの時期に咲いている。リオが間違ったのではない。カンパニュラが季節を間違えて咲いたのではない。
「あぁ、そうか。私時間の感覚がないんだわ。ずっと秋だと思ってたのよ」
メリーはずっと今を秋だと思っていた。だからリックがカンパニュラを渡した時にはとても不思議だった。メリーはずっと見逃していた。小さな布石にいつも気がついていたのに、それを疑問に思うことがなかった。
肌寒いと思わなかったのも、
カンパニュラから匂いがしなかったのも、
リオがメリーに見向きもしないのも、
食事をとらないことも排泄しないことも、
それは全部死がもたらしていたということに、全く気がつかなかった。
肌寒いと思わなかったのは、今が秋に入りかけるころで、まだ夏の暑さが少し残っていたからだと思っていたし、カンパニュラから匂いがしなかったのは、今が秋だと勘違いしていたから季節外れに咲いたカンパニュラがその香りを花弁につけることが間に合わなかったのだと思っていた。リオがメリーに見向きもしないのは、リオがメリーを憎んでいるからで、食事や排せつに関してはまったく意識をしたことがなかった。
「ねぇ、リック。私が死んだのっていつかしら。ううん、それよりもなんで私死んだのかしら」
リックはメリーの疑問に答えることに戸惑いを感じた。
死の原因を、死者本人に話す、それはとても勇気のいることだった。
けれど悲痛な顔をしているのはリックだけで、メリーはまるで世間話をするかのように、楽観とした態度でリックに微笑みかける。
その姿が余計にリックを悲しませるとも思わないで。