33 開かずの扉
メリーは激昂するリオと青ざめた顔のリックを置いて階段を駆け上がった。
メリーが表情のない顔で部屋に戻る様子を呆然と視界に入れたリックは急いでメリーを追いかけたが、メリーの部屋は固く閉ざされていた。
「っねぇ、さん」
返事はないと分かっていたがリックはメリーを呼ばずにはいられなかった。
こんなはずではなかったのに。
こんな形で知られるはずではなかったのに。
全てが突然のことで涙を流す暇さえない。
「・・・姉さん」
「・・・ふふ、ふふふふ・・・・・あはははは・・・・・・っ!!」
小さく呟いた声をかき消すかのように突然笑い声が響いた。その笑い声は全てが崩れ去る音のようにリックの耳に響く。
「ねぇさん・・・・・・?」
「うふふ、」
狂ったかのように笑い続ける声にリックは恐怖さえ抱いた。
「ねぇ、チロ?あなたこの扉開くことができる?」
メリーは扉の向こうに立ちすくむリックに笑いながら尋ねた。
「い、いや、姉さん。僕には無理だよ・・・鍵がかかっているから」
リックの問いにメリーはくすくすと笑いながらそうよね、と答えた。
「姉さん、ここを開けてくれる?」
リックは恐る恐るとメリーに尋ねた。
「あら、無理よ。私、鍵を持っていないもの」
ケロリと答えるメリーにリックは眉を寄せた。
「あのねチロ、この部屋外からしか鍵を掛けることも外すこともできないのよ?」
まるで小さな子供に教えるかのようにメリーは優しい声色でリックに答える。
ならばなぜメリーはこの部屋にいるのだろう。自分が鍵を持っていないのならば鍵を掛け外しできるのはリオただ一人だろう。だがリオはまだ下にいる。
「ふふ、何で黙ったままなの、チロ?」
メリーの言いたいことがリックには分からない。
「姉さん、何を・・・」
「チロ、あなた知ってるじゃない。私が死んでるってこと。体がないんじゃぁ、鍵どころか扉を開くことさえ必要ないと思わない?」
メリーの言葉にリックはハッとした。実体のないメリーならば壁をすり抜けることなど動作もないだろう。けれどそれが分からなかったのはリックにはメリーが生きる者と違いなく見えるからだ。
「私、どうして気がつかなかったのかしら。だってこの扉は7日に一度姉さんが私の部屋を掃除をしに来る以外は開かないのに」
笑いもせず泣きもしない、ひどく淡々とした声色にリックは戸惑いを覚える。
「私、自分でここをすり抜けてるってことに気がつかなかったのよ?ふふ、可笑しいわ」
言葉では笑いながらもその声は全く笑っておらず、リックはメリーが消えるのではないかと焦った。
「・・・っ姉さん!」
「ねぇ、チロ。あたし足音がしないのよ。あの階段、3段目は必ず軋む音がするのに、私が上った時は何も聞こえなかったわ」
「それは・・・・・・!姉さんが軽いから」
「ふふ、チロ。私がいくら軽くても全く音がしないわけないでしょう?小さな猫が上っても音が鳴るのよ?」
リックには分かっていた。いくらリックが否定しようとメリーはもう自分が死んでいることを受け入れている。だけどリックにはメリーが見えている。こんなにもはっきりと見えているのだ。なぜメリーが死んでいるなどと言えようか。
「私、最近物忘れが激しいの。リックがチロだって分からなかったのはそのせいだと思っていたけれどそうではなかったのよ。だって私、ご飯を食べた記憶もトイレに行った記憶もないのよ。それにそれに、私ずっと18歳のままだわ」
「それは・・・・姉さんが忘れっぽいから年を数えるのを忘れているんだよ」
いくら否定しようと、リックが述べる答えなど全く理が通っていない。メリーは必死で自分を生かそうとするリックがとても愛しく・・・・申し訳なさでいっぱいだった。
「チロ、わたし姿が変わらないの。爪も髪も伸びないし、顔だってずっと18のままだわ」
年をとればできるはずの皺もなければ、2日もあれば伸びる爪も、何の手入れもしていない髪も、まったく伸びてはいなかった。
「私、クロが私に向かって鳴くから、本当に姉さんは私を無視しているだけだと思っていたのよ?でもクロは猫だから、」
猫はこの世に在らざる者を見る目を持つと言われている。だからリオには見えなかったメリーが見えていたのだろう。
「違う!違うよ、姉さん」
「馬鹿ねぇ。いくら姉さんが私のことをないものとして扱えても、私をすり抜けてあなたの頬をたたくことなんて、・・・できるはずないでしょう」
メリーはもう全てを悟っていた。
優しいリックが、愛しいリックが自分のために必死で真実を隠そうとする姿を見るのがとても辛かった。そうさせている自分がとても憎かった。だから笑った。自分の死を知ることよりもリックに嘘をつかせていることの方が悲しかった。
「ふふ、泣かないでチロ。あなたが泣くと私まで悲しいわ」
声には出していないのになぜメリーにはリックが泣いていると分かったのだろう。リックでさえ自分の頬に涙が伝っていることに気がつかなかったのに。
「ねぇ、リック。あなたの部屋に行ってもいいかしら」
「っ!うん、来てよ」
突然のメリーの問いかけにリックはうろたえながらも返事をした。
「先に部屋に行っててくれる?後から行くわ」
そう言って、メリーは物音ひとつたてることなく、静かになった。
いや、物音などたてることなどできなかった。
なぜなら死んでいるのだから。
その真実が、リックの胸を鋭いナイフでつきさすかのような、きりきりと痛みと変える。
そしてリックはメリーに言われた通り、先に己の部屋へと足を運んだ。