31 9年
曖昧に笑うリックを何の疑問ももたずにメリーはただ楽しそうに笑っていた。
「お別れも言わないでいなくなるから私寂しかったわ」
「そう、だね」
「久しぶりに見たあなたはとても大きくなっていたんだもの。私が気がつかないのも無理ないわ」
少年から青年への移行は目まぐるしいものがあり、あれだけリックを可愛がっていたにも関わらずメリーにはすぐにこの青年がリックだとは分からなかった。
だが、心の奥底では分かっていたのかもしれない。あれだけ『神聖なる川』に他人が侵入することを嫌っていたのに、青年となったリックが来たときそれを許してしまった。かつて少年であったリックだと、己が唯一川へ来ることを許したリックだと深層では分かっていた。だから川もリックを許したのだ。
9年という月日は残酷にも人を変え、……そして何も変わらない。
「気がついたら9年もたっていたのねぇ。私、もうずっと時が止まっていると思っていたわ」
メリーはクスクスと楽しげに笑ったが、リックにとっては息がつまりそうな瞬間だった。
時が止まっている、
・・・・あながち間違いでもない。あの家もあの部屋、つまりメリーの部屋もメリーも変わらない。
「あぁ、でもチロは大きくなったし、姉さんはすっかりくたびれてしまったから、やっぱり時は動いているのね」
姉さんはどうしてあんなにもくたびれてしまったのかしら。
髪はくすんで、服もなんだか古びてるわ。
私のワンピースも私もこんなにも変わらないのに。
きっと私をずっと怒っているから体が疲れてしまったんだわ。
もう怒るのを止したらいいのに。
「さぁ、この話はおしまい。これからいつだってお話できるもの。とりあえず今は帰りましょう」
「え?どこに?」
「何を言ってるの。私達のお家に決まっているじゃない。可笑しなチロねぇ」
リックは「あ、ああ」と言いながら己の手を引くメリーの小さな手を見つめた。その手は温かくもなく冷たくもなく不思議な温度だった。
「どうして家で会わなかったのかしら」
突然そう言って首を傾げるメリーにリックも同じように首を傾げる。
けれど考えてみれば簡単なことで、メリーはいつも朝早くに家を出て川に向かう。リックは昼を過ぎてから川に向かう。そして家に帰るのはいつもメリーが先で、家についたメリーは部屋に入るともう出てこない。だからメリーとリックが家で会うことはなかった。
理屈は簡単。けれどそれを実現するにはほんの少し難しい。なぜなら生活する上ではほんの少しの物音もたてないというのはいささか無理があるからだ。
けれどメリーにはそれができた。姉に無視されつづけてきた9年。その9年間、メリーは音を立てずに生活をしてきた。
どうしてそんなことができたのか、リックはその理由を知っている。
メリーさえも知らない、
本当の理由を。
「姉さんは今でもあの部屋にいるの?」
「そうよ?」
さぁ、ほら早く帰りましょう。
メリーは苦虫をかじったかのような顔をするリックを後ろに、楽しげに駆けだした。