30 姉さんの怒り
9年前のあの日、叔父のランドルの体調が芳しくなかった。
随分前から寝たきり生活を余儀なくされていたランドルの天命はあと数日といったところだった。だからメリー達は最期の別れをしに行かなければならなかった。
「メリー、今日はランドル爺様のお家に行くのよ。川へ行っては駄目よ」
「リオ姉さん、私はランドル爺さんの所へは行かないし、川へは行くのよ」
「一日くらい行かなくても平気でしょう?」
「いいえ、姉さん。川へは今日も行かなくてはいけないわ」
私は我が儘を言って姉さんを困らせた。
でも私は川に行かなくてはいけなかった。ランドル爺さんは残念だったけれど、ランドル爺さんは天に召されるべくして召されたのだから私達がどうこうできる問題ではないのだ。ランドル爺さんが死にゆく姿を見たところで私はランドル爺さんを救うことはできない。だったらランドル爺さんを看とるよりも川にランドル爺さんの死後が幸せであるように祈る方がよっぽど大切だ。
だから私は姉さんとリックと一緒に行くわけにはいかなかった。それでリオ姉さんは怒っているのだ。姉さんはとても頑固だから、まだあの時のことを許してはくれない。姉さんはあの日以来、私と一言も口を聞いてくれないのだ。
ほんと、
「子供みたい」
メリーはリオの行動が小さな子供の我が儘とでも言うかのように笑った。
「でも、仕方ないわ。だって、私には川より優先させるものなんてこの世には何一つとしてないけれど、姉さんにとってはそうではなかったんだもの。だから私は悪くないけれど、姉さんにとっては私は悪いのよ。チロには難しいかしら?」
「・・・姉さん、僕はもう十のチロではないんだよ」
「あら、そうだったわね。ごめんなさい」
メリーはクスクスと笑いながらリックの頭を撫でた。その言動にリックはムッとする。メリーにとってリックはまだ十の小さな子供なのだ。
「そういえばチロ、あなた今までどこにいたの?急にいなくなるんだもの。とても心配したわ」
「姉さんがランドル爺さんの家に行かないで川に行った5日後にマリアおばさんの家に預けられて寄宿舎に入ったんだ。17の時に卒業して街で働いている。今は休みをもらって家に帰ってきてるけど」
ランドルが死に、マリアは大きな家に一人となった。マリアは元々、親のいない三人を心配し、一緒に暮らしたいと願っていたが、リオが頷くことはなかった。しかしリックは十になっていたし、きちんとした教育を受けさせる必要があるとマリアは主張した。森の奥にある小さな家では子供が学校に通うにはいささか無理があった。
だからリオは渋々マリアの提案にのり、リックをマリアに預けた。ランドルが死んだことで、寂しさを紛らわせたいマリアにとって、今すぐにでもリックを我が家に住まわせたかったが、準備もあるということで五日後にマリアの家に行くこととなった。
だが、それをリオはメリーには言えなかった。
「あらそうだったの。私、姉さんに腹がたって部屋にいたからちっとも知らなかったわ。知っているでしょう?私、嫌なことがあると川に行く以外は部屋から一歩も出ないの」
「・・・食事はどうしてたの?」
「食事?」
メリーはその大きな目がこぼれるくらい開き、パチパチとさせた。
「あら?どうしてたかしら……私ご飯を食べたかしら。何を食べたかちっとも思い出せないわ」
メリーはまるで困った様子はなく笑みを浮かべた。
「私ったら忘れんぼうね、ふふ」
リックはそんな姉に上手く答える自信がなく、ただ曖昧に笑っただけだった。