28 ねぇさん
しばらくメリーを見つめていると、不意にメリーが振り返り、木に隠れるリックを見て笑った。
隠れると言っても、木から体も顔もほとんどが出ていたし、気配を断つなんてことはリックにはできないから、ただ静かにそこにいただけだった。それでも息をする音も知らず知らずのうちに殺していたリックにとって、どうしてメリーが自分を見つけたのか不思議だった。
くすくすと可笑しそうに笑うメリーを見て、リックはなんだか気まずくなりながらも、メリーに近寄り、メリーの隣に腰をおろした。
「ふふ、かくれんぼう?」
別にかくれんぼうをしていたわけではないが、あまりにメリーが楽しげなので、リックは微笑しながら小さく頷いた。「あら、じゃぁ、私の勝ちね」と手を叩いて喜ぶメリーはとても18には見えなかったけれど、それがとても可愛らしかった。
相変わらず川はきらきらと輝いていて、メリーがいつもこの川を『神聖なる川』と呼ぶのも納得できた。いつ見ても綺麗で、清らかで、それはまるでメリーのようだった。
メリーは何も話さなかった。リックが昨日ここに来なかったことを尋ねることはしなかったし、いつものようにチロのことを話すわけでもなかった。ただ微笑みながら川を見つめているだけだった。そんなメリーがリックは少し怖かった。
何も話さないメリーを見ていると、言いようのない恐怖がリックを襲う。ざわざわと鳴る風がまるで自分の心のようだと思った。いつもは心地いいはずの無言が、今日は怖い。そう思った瞬間にはリックはメリーに向かって口を開いていた。
「ねぇ・・・・っメリー」
言ってはいけない言葉が口を出そうになり、リックはヒュっと咽喉を鳴らして、言い止めた。けれどメリーはそんなリックを見て、とても柔らかい笑みを浮かべた。まるで『神聖なる川』を見つめるのと同じような瞳で。そう、それはまるで、愛おしいと言わんばかりのあの目で。
「『ねぇさん』でいわ、リック」
メリーの言葉に今度こそリックは息をつまらせた。
「私はあなたのペティ姉さん、そうでしょう?」
メリーは太陽のような暖かい眼差しをリックに送った。リックは息ができない。目の前に座る少女が、とても小さな少女が、かつて自分が追いかけていた時と同じように大きく見えた。
「姉さん、」
『姉さん』、僕の姉さん。そして、僕は、
「私の可愛いチロ。ずいぶんと長く会っていなかったわね」
そう、僕は、チロだよ、姉さん。あなたのチロなんだ。
「姉さん…っ、」
「私はペチカ。あなたのペティ姉さん。メリーは私のもう一つの名前。すべて、そう、すべて思いだしたわ、チロ・・・いいえリック」
「チロって、チロって呼んでよ、ぺティ姉さん」
ずっと、ずっと、あなたを探していた。メリーじゃなくて、ぺティ姉さんと呼びたかった。リックじゃなくて、チロと呼んでほしかった。
「何度も私を『姉さん』と呼ぼうとしてたわね。ふふ、初めて会った時も。そうでしょう?」
「そ、うだよ。何度も姉さんと呼びそうになって、やめたんだ。だって、姉さんは……」
リックは眉を下げ、微笑を浮かべた。何度も何度も『ねぇさん』と呼びそうになってその度に言い直した。『ねぇ、』それは決して呼びかけではなかった。『ねえさん』と、そう呼びたかったのに、呼べなかったから、いつも『ねぇ、』と、そこで止まってしまった。初めて会ったときから、姉さんと呼びたかった。けれどそれができなかったのは、
「・・・姉さんは、僕がチロだって分からなかったみたいだから、」
成長したリックをメリーはとても怖がって、警戒して、遠ざけた。だから、リックはチロと名乗ることをやめた。
「だから他人のふりをしたの?」
メリーは馬鹿ね、と優しい笑みを浮かべ、リックを抱き締めた。メリーの小さな体では、成長したリックを包みこむことはできなかったけれど、それでもリックはあの日と同じ、陽の匂いと水の匂いに包まれて、嬉しくて、温かくて・・・とても、優しくて懐かしくて涙が出た。
「あぁ、馬鹿は私ね。だってあなたはリックと名乗っていたもの。あなたの本当の名前、なのに気がつかなかったのよ。チロはリックで、リックはチロなのに。ごめんなさい。許して、チロ」
「姉さん、会いたかったんだ。ずっと、ずっと会いたかった」
「私もよ、チロ」
大きなリックはまるで十の子供に戻ったかのような、そんな気持ちになった。