24 可愛い子羊ちゃん
メリーは部屋のベッドの上に寝転がった。
あれからいくら待ってもリックは川へは来なかった。別にリックが来ようが来まいがメリーにとっては何の不都合もなかった。いつものように川に祈りを捧げ、川で一日を過ごし、日が暮れる前に家に帰るだけだ。それだけだ。
けれど、あの日、メリーがリックを川へ来ることを許可したあの日から、メリーにとっての日常に大きな変化をもたらした。一人で過ごす一日の半分をリックと過ごすようになった。9年前のあの日から、姉が口を聞いてくれなくなったあの日から、誰とも話をすることのなかったメリーがリックという話し相手を得た。メリーにとってはとても大きな変化だった。
リックは毎日川に来てくれた。そして、他愛もない話をして、笑った。話をするのが久しぶりであれば、笑うのも久しぶりだった。
メリーにとって大切なものが一つ増えた。
川、チロ、ワンピース、
そしてリック。
川に来るのはもはやメリーにとって息をするのと同じことで、必ずしなければいけないことだったが、その理由が少し変化しているのをメリーは感じていた。義務的に行っていた川への訪問は、リックと会うための訪問となりつつあった。けれど、リックが来なくてもメリーが川へ来るのをやめるという選択肢はなかった。
リックとの会話はいつも楽しかった。知識に溢れ、機知に富んでいて、いつもメリーの話を根気よく聞いてくれるリックはとても素晴らしい青年だった。メリーがリックに親愛を抱くのはもはや必然だった。
けれどリックにとってはそうではなかったのかもしれない。メリーがリックを思う感情と、リックがメリーを思う感情とでは相違があったのだろう。もしかしたらリックはメリーのことを煩わしく思っていたのではないだろうか。だからもう川に来るのをやめてしまったのだ。誰とも話をしない、姉に疎まれる憐れな少女の話相手という無償奉仕を行っていたが、いい加減それも嫌になったのだろう。
リックがとても良い青年であるということをメリーは知っていたし、決してリックがメリーに対してそのような考えを持っていたとは考えられないが、けれど毎日来ていたリックが今日は来ない。リックのいない一人の時間を過ごしているうちに、とても後ろ向きな考えしか思い浮かばなかった。
リックは私のことを嫌いになってしまったのかしら・・・。
メリーは小さくため息を吐き、傍に佇む小さなベニテングタケを見つめた。
私なんて馬鹿なのかしら。リックをひどい人みたいに思うなんて。たった一日リックに会えないだけでこんなにも落ち込んで、馬鹿みたい・・・。
きっとリックは風邪をひいてしまったのよ。だってリックは季節が変わるときにはいつも体調を崩してしまうと言っていたもの。きっとそうに違いないわ。
そう考えると少し胸のつっかえがとれたような気がした。今までの暗い考えが嘘みたいに晴れ渡り、メリーは鼻歌でも歌いそうな気分だった。けれど、リックが床に伏せっているのならばとても心配だ。今すぐにでもリックに愛にいきたい。
リックのお家にお見舞いに行きたいけど、私リックの家を知らないわ。
森に咲く小さな花を持って、リックの見舞いに行きたかったが、メリーはリックの家を知らなかった。
仕方がないわ。リックが来るまで待ってるしかないのね。
メリーはリックがいない時間を淋しく思いながらも、いつもと変わらない時間を過ごすことに決めた。
今まで、リックがいない一人の時はいつもメリーは川を見つめ、そして地面に字を書いて過ごしていた。それは突然思いついた言葉であったり、詩であったり、歌であったり。
メリーは傍に落ちていた小枝を拾い、カリカリと手を動かした。
『 わたしのかわいい子羊ちゃん
小さな小さな子羊ちゃん
美味しいスープになっちゃった
かわいそうな子羊ちゃん
胃袋の中でおねんねよ』
メリーは歌いながらその詩を地面に書き連ねた。
まるで鈴が鳴っているかのように、コロコロと楽しげに咽喉を鳴らしながら、メリーは歌った。
『あなたのかわいい子羊ちゃん
白い白い子羊ちゃん
美味しいソテーになっちゃった
かわいそうな子羊ちゃん
私のお口でおねんねよ』
それはいつもメリーが歌っていた歌だった。
いつから歌っていたのか分からない。けれどメリーは気がつくといつもこの歌を歌っている。
『 My lovely baby sheep
Small small baby sheep
It became delicious soup
What poor baby sheep
Sleep in the stomach
Your lovely child sheep
White, white baby sheep
It became a delicious saute.
How poor child sheep.
Sleep with my mouth 』
繰り返し何度も歌う。その歌は繰り返すうちに少しずつ変化していく。
Baby sheepがchild sheepになる。そしていつも最後にはメリーはbaby sheepをa lambと変えてしまう。そして可笑しそうに歌い続けるのだ。
子羊はやっぱりbaby sheepではなくてa lambよね。
メリーにとって子羊は愛でるものではなく胃袋にいれるものなのだ。
そして歌の終わりには、baby sheepをMerryと自分の名前に変える。メリーは地面に書かれた名前入りの歌を見てくすくすと笑った。
メリーは自分の名前の入ったこの歌が大のお気に入りだった。
何度も地面に書いては、消して、また書く。そして、ふとリックの名前を書くことを思いついた。
『My lovely baby Rick
Small small baby Rick 』
そこまで歌ってメリーはなんだかとても可笑しくなった。
可愛い可愛いリックちゃん。
小さな小さなリックちゃん。
うふふ、リックは確かに筋肉隆々ではなくてどちらかというと男の人の中では可愛い部類の顔をしているけれど、でも『可愛い可愛いリックちゃん』ではないわね。それに、『小さなリックちゃん』でもないわ。ふふふ!
この歌をリックが聞いたら、どんな反応をするだろうか。真っ赤な顔をして怒る?それとも照れたように笑う?
リックの反応を考えるだけで楽しかった。明日リックがここに来たらこの歌を教えてあげよう。メリーはそう考えて明日がとても楽しみになり、何度もリックの名前を地面に書いた。
そうして10回ほどリックの名前を書いた頃であろうか。
メリーは少しの違和感を感じた。けれど、それが何かは分からない。
メリーはリックと書かれた地面を見て、首を傾げる。
う~ん?何かしら。
メリーは立ち上がり、ぐるぐると文字の周りを回った。そして3周ほどしてから文字を正反対から見るように地面に座った。
反対から見ても分からないわ。うぅーん。
何が引っかかるのだろうか。リックの綴りが違う?いや、そうではない。綴りは合っている。けれど、何かが違う。何かがおかしい。けれどいくら考えても何がおかしいのかは分からなかった。
「気のせいね」
メリーはふふと笑って小枝を放り投げた。
「 可愛い可愛いメリーちゃん
小さな小さなメリーちゃん
・・・・・ 」
メリーはスカートを持ち上げくるくると回りながら歌う。ふわりと膨れ上がったスカートがキノコの頭のようにまぁるく踊る。メリーはぴょんぴょんと跳ねながら森を後にした。
森の中に小さな歌声を残して。