23 お日様のにおい
その日リックは川へ行かなかった。
メリーはどうしているだろうか。自分を待っているのだろうか。
いや、メリーはきっと自分など関係なく川にいるだろう。それでもメリーがほんの少しでも自分のことを考えていてくれたら、と思うのはいけないことだろうか。『小さなチロ』ではなく『リック』を見てほしい、考えてほしいと、そう考えてしまう自分がとても醜く、悲しかった。そんなこと無理だと分かっているのに。
メリーの心を占めているのはいつでも『川』と『チロ』のこと。そして自分に見向きもしてくれない『姉さん』のこと。
「・・・姉さん」
ぽつりとつぶやいた言葉に、姉が振り返った。
「あら、どうしたの?」
「いや、なんでもないよ」
別段、姉に用事があったわけでもなく、ただふいに口をついただけの言葉に姉が反応したことに苦笑しながら、なんでもないことを伝える。そう?と言うと姉は手元の作業に戻った。何をするわけでもなく、ただ椅子に座り頬杖をついて姉の作業を見つめる。
「今日は出かけないの?」
何がおかしいのか、姉は笑みを浮かべながらリックに尋ねた。
「今日は・・・」
別に行かない理由はないし、行かなければいけない理由もない。けれど、今日は・・・。
そんな弟の心境を読んだのか、姉は手を休めることもなく、くすくすと笑う。
「喧嘩でもしたの?」
喧嘩・・・。喧嘩したわけではない。何もなかった。喧嘩するようなことはなかったし、昨日はいつものように話をしてさよならをした。
いつもと同じ。
きっと今日会ってもメリーはいつものように笑顔でリックを迎えてくれるだろう。そしていつものように何気ない話をしてさよならをする。ただそれだけだ。けれど、今のリックにはメリーと笑顔で話をすることができなかった。
黙り込んだ弟を見て、姉は楽しげに笑うだけで、何も尋ねない。
「あらあら、女の子には優しくしなさいね」
ただ、そう言って、作業に集中する。
そんなんじゃないよ、と姉に言ったところで、姉は笑うだけだ。姉の中ではリックは気になっている女の子と喧嘩した、となっているのだろう。あながち間違いではないけれど、姉が思うようなことは何一つとしてないのだ。
リックはなんだか気まずくなって、自分の部屋に戻った。別に姉が悪いわけではないが、何も知らないくせに勝手な勘違いをして笑う姉が少し腹立たしかった。
部屋に戻ると、リックはベッドに寝転がり、天井を見つめた。子供時代は木の木目がこちらを見ているようで怖かったように思う。目を閉じても自分を見ているように感じて、眠れなかった。そんな時は姉の部屋の扉をノックしたものだった。枕をもった自分を見て姉は優しく微笑みながらも自分のベッドの半分を明け渡してくれた。お日様の暖かいにおいのする姉の隣ではいつもぐっすりと眠ることができた。けれど、今ではその姉もいない。お日様のにおいを嗅ぐことも、一緒に寝るのも、もう叶わぬこと。
リックはごろりと寝返りをうち、天井から目をそらした。
そして静かに目を閉じ、思い出に蓋をした。
明日はまた、いつものように川に行こう。
メリーは自分を待っていてくれるだろうか。