21 誰とも話をしない少女
リックは『それ』を知っていた。
チロのことやメリーのこと。メリーがチロにもう二度と会えないということ。小さなチロがもうここにはいないということ。
だからこそリックはここで自分がメリーと会ったことが信じられなかった。『リック』がメリーに会うことはないはずだった。けれど、今メリーは自分の目の前にいる。まぎれもなくチロの姉のメリーが。なぜここにいるのか。今どうして暮しているのか。どれくらいここにいるのか。尋ねたいことはたくさんある。けれどどう尋ねたらよいのか分からない。けれど聞かなければいけない。自分のためにも、姉のためにも。
「ねぇ・・・メリー」
いつも自分はメリーを呼ぶときに躊躇ってしまう。初めて会ったときからメリーを呼ぶときは、心臓を掴まれたようになる。それがどんな感情かは自分が一番よく知っている。だからこそ簡単にメリーの名前を呼ぶことができない。その名を呼ぶと自分が自分でなくなってしまう気がするから。
上手く笑えているだろうか。ずっとドキドキとうるさい心臓の音で自分の声が小さく聞こえる。けれどそんな葛藤など知りもしないメリーは無邪気に笑って言葉を待つ。その姿が余計にリックを苦しめるとも知らないで。
「メリーはいつからここに?」
「私はずっとここにいるわ。生まれた時からこの森にいるし、川へは朝から夕方まで毎日。ここを離れたことはないわ」
ずっとここにいるメリー。メリーにとって川は何よりも優先すべきことである。何がメリーをそうさせているのかは分からないが、メリーはここに来ないといけないのだと、そう述べる。
「チロのことを、聞いてもいい?」
リックは恐る恐るメリーに尋ねた。メリーの大切な弟のチロ、チロが尊敬していた姉のメリー。メリーはチロをどう思っていたのだろうか。リックはそれが知りたかった。けれど、チロと会えなくなってしまったメリーはチロの話をするのを嫌がるかもしれない。この質問をすることでメリーが機嫌を悪くし、もう二度と会えなくなるかもしれない。
そんな自分の葛藤など露知らず、メリーはまるで太陽のような笑顔を浮かべてはしゃいだ。
「えぇ、もちろん!!私誰かとチロの話をしたくて仕方がなかったのよ!うふふ!!」
思いがけない返答にリックは戸惑った。メリーはチロと会えなくなったことを悲しんでいないのだろうか。もしそうならリックはとても悲しかった。
「私、ずーっと誰ともお話していなかったから、あなたとお話できてとっても嬉しいの。それがチロのことだともっと嬉しい」
川を見つめながら隣に座るメリーがとても小さく見えた。そんなメリーの言葉にリックはとても悲しい気持ちになったけれど、にこにこと笑い続けるメリーにリックは虚をつかれたような感情になった。メリーはただ純粋にチロのことを話したいだけだった。メリーを取り巻く大切なもののひとつがチロだった。だから大切なチロの話ができることをメリーは心から喜んでいる。
メリーの心を支配するものが川と弟のチロであるということを、リックは嬉しく、そして悲しくもあった。メリーの大切なものの中に『リック』はまだいない。
そう考えて、ふとある疑問が浮かび上がった。
「お姉さんとは、話さないの?」
メリーは姉と一緒だと言わなかっただろうか。姉とは話をしないのだろうか。リックの疑問にメリーは困ったような笑みを浮かべた。
「前も言ったけれど、姉さんは私と口を聞いてくれないの。それどころか私がいても、まるでいないかのように振舞って無視するのよ。だから私、あなた以外とは話をしていないの」
立てた膝の上に顎を置きながら話すメリーを見て、リックは今すぐにでもメリーを抱きしめたいと思った。
メリーは今、自分としか話さない。メリーと話すことができるのは自分しかいない。そう思うとメリーがとても可哀想でならなかった。思わず謝罪を口にしようとしたけれど、それはやめた。そうするのはお門違いだろう。
「あぁ、そうそうチロの話だったわね。チロはとても可愛くて私はいつもチロの傍にいたの」
しんみりとした空気を変えるためにか、メリーは明るく話を切り出した。いや、メリーにとってチロの話をすることが本当に嬉しいのだ。だからこんなにも楽しそうに、穢れのない純粋な笑みで話す。
「チロはいつも私の後ろを着いてきてね、私それがとても可愛らしくて、少し意地悪をしたくなったの。それでわざとチロが着いてこれないように早足にしてみたりしたわ。そしたらチロは少し泣きそうな顔で一生懸命足を動かして私を追いかけるの。その姿を見て私、とても申し訳ない気持ちになって思わず駆け寄って抱きしめたわ。その時のチロの安心した笑顔を見て、私もう二度とチロを置いていかないって決めたのよ」
その時のことを思い出しているのか、メリーは柔らかく笑いながら川を見つめた。
「置いていかないって決めたのに、チロは私から離れてしまったのね」
ぼそりと呟いた言葉にリックは「それは違う!」と大声で叫んでしまいたかった。チロが好きでメリーから離れたのではないと、チロを置いていったのはメリーではないかとそう言いたかった。チロはメリーと離れたくなかった。けれどそうせざるを得なかったのは・・・。
リックはそれ以上考えるのをやめた。もう過ぎたことだ。
悲しげに揺れるのは、メリーの顔なのか自分の心なのか。
さやさやと流れる川はいつもと同じだった。