18 あの子
「ただいま」
「お帰り。もうすぐ夕飯ができるわ」
家に帰ると、姉がスープをかき混ぜていた。帰ってきた自分に微笑みながら声をかける姿は、ここ数日毎日見る姉の日常だ。
姉に声をかけてからもう一度外に出て、井戸で手と顔を洗う。手を拭きながら家に入るとすっかりと食事が並べられており、姉に促されながら席につき、スープを飲む。
「姉さん、『チロ』を覚えてる?」
「あら、懐かしい名前ね」
それがどうかしたの?と首を傾げる姉に、動揺を悟られないように何気なくなるように言葉にする。
「いや、『チロ』を知ってる子に会ったんだ」
「あらそうなの?・・・チロって呼ぶのはあの子だけだと思っていたわ」
「・・・・」
ほんの少し落ち込んだような声色の姉にそれ以上チロの話をするのはよした方がいいだろう。姉はチロを通して別の誰かを見ている。それは自分もよく知っている人物だろう。
「もう、チロの名前を呼ぶ人はいないと思っていたけれど・・・そう」
姉の表情は暗くなる。
あの日から『チロ』と呼ぶ人はいなくなった。あの日からちいさなチロはいなくなった。姉が悲しんでいるのはどちらにだろうか。もうその名を呼ぶ人がいなくなったチロに対してか。それともチロの名を呼ぶことができなくなったあの子なのか。
姉が何を思っているのかは分からない。けれどまだ言わない。姉の考えている『あの子』と自分の考えている『あの子』が同じ人物であるということを。チロの姉であるあの子に会ったということはまだこの姉に知らせるには早い。あの子と姉の間に何があったのかは分からないが、あの子に罪悪感をもっている姉とあの子が会うにはまだ早すぎるというのは間違いないだろう。
それきり姉は食事をする手を止めてしまった。そして自分もスープだけを飲み干し、パンやハムに手をつけることもないまま部屋に戻った。今は一人にした方がいい。姉のためにも自分のためにも。
今日はもう疲れた。
ベッドに寝転び、少女のことを考える。今どこにいるのだろう。家に帰っているのだろうか。それとも別の場所にいるのだろうか。小さなチロのいない家にあの子は帰っているのだろうか。
答えの出ぬまま、深い闇におちた。
姉さん・・・ごめん。