11 季節外れのカンパニュラ
綺麗に咲くカンパニュラはたった一輪なのに、それだけで心を華やかにしてくれた。けれどそれと同時にほんの少しの違和感を感じた。
「カンパニュラは今が季節ではないわ」
「そうなんだ」
カンパニュラは春から夏にかけて咲く。今はもう秋なのだ。肌寒いとは感じないが、確かに今は秋なのだからカンパニュラは咲いていないはず。どうして持ってくることができたのだろうか。
だけど、私はこの疑問に蓋をした。大好きなカンパニュラが手に入るのならば、なぜ季節外に咲いているかなんて大した問題ではないのだ。
私はカンパニュラを素直に受け取り、ゆっくりと鼻に近づけた。けれどカンパニュラはほんの少しも香りがしなかった。いつもならふわりと優しいにおいが鼻をくすぐり私の心を弾ませるのに。きっと季節ではないからにおいをその花弁にまとわせることが間に合わなかったのだろう。
「あの、この間はごめんなさい」
「え?」
「その、失礼なことを言ってしまったわ」
「ああ、問題ないよ」
カンパニュラから鼻を遠ざけ、水分を奪ってしまわないようにそっと両手で持ち直した。少し力を入れるだけでも簡単に折れてしまうであろうカンパニュラを見ていると、急に私は謝らなければならないとそう思った。
決して、決して私は悪くはないけれど、それでも私は謝らなければいけなかった。なぜそう思ったのかは不思議と分からなかったけれど。それでもカンパニュラがこの手にあるまではこの会話を楽しんでも良いと、誰かがそう言っているような気がした。
「ここは、私だけの秘密の場所だから、だから私嫉妬してたんだわ。あなたに。私、弟以外には誰にもここを教えたことはなかったのよ」
「弟が、いるんだ」
「ええ。十になるの。とても可愛いのよ」
私の意思とは別に言葉がスラスラと出てくる。いつもの私じゃないみたい。いつもなら問答無用で追い返すか、自分が消え去るのに。もしくは一切口を開くなんてことしない。
だけれど、そのどれもをしなかったのは、きっとカンパニュラのせいだ。カンパニュラが私を変にさせる。カンパニュラは私にとって麻薬であり媚薬であるのだ。他の人にとってなんでもない花でも私にとっての魅惑の花であることは間違いなかった。でなければ私がほんのひと時でも川のことを忘れるはずがないのだから。
「あなたは?」
「え?」
唐突に会話の続きを行う私に青年は少し驚きながらも、頬を緩ませる。そんな表情を見るとなぜか心が苦しい。
「兄弟はいるの?」
「あ、うん。姉が」
「あら、わたし姉さんもいるのよ。一緒ね」
青年と『同じ』があることにほんの少し嬉しさを感じるのはきっとカンパニュラの魅惑のせいだろう。
「あなたのお姉さんはどんな方かしら?きっと素敵な方なんでしょうね」
陽に透ける金の髪はさらさらと風になびき、碧の目は宝石のようにきらきらと輝く。すっと通った鼻と薄い唇は端正な顔立ちをつくる役を買っている。すらりと長い脚は簡単に川を越えてしまう。そんな青年の姉ならばきっと美しいに違いない。
「・・・、とても優しくてきれいな人だよ」
「やっぱり。私の姉さんも素敵な人よ。けれど最近は全然話をしないわ。私がわがままだから姉さん、怒っているの。姉さんは怒ると少しも口をきいてくれなくなるのよ。少し子供みたいよね。だけど私、そんな姉さんを愛しているわ」
『同時に憎んでもいるけれど』
その言葉を青年に向けて口に出すことはなかった。
ふわりとなびいた風で揺れたカンパニュラからはやっぱりにおいがしなかった。