家の事情で嫌いな男子と結婚することになった。
私とローランドは犬猿の仲だ。
私のキャビネット家とローランドのモンタージュ家は昔から仲が悪かった。
子供の頃からモンタージュ家の悪口を吹き込まれて育ったせいか、会う前から私はローランドのことが嫌いだった。
今日も私たちはまた廊下でばったり顔を合わせた。
同じ学校の同じ学年だから、意図しないでも遭遇してしまう。
「あらご機嫌よう、ローランド様。本当にいつもご機嫌でいらして、よろしいですわね」
ローランドの顔を見た途端、つい嫌味が口をついて出た。
本当は「いつも能天気なお坊ちゃま」と言ってあげたいところだけど、人目があるので表現を控えめにした。
ローランドは大げさに肩をすくめて答えた。
「これはこれは、ユーリア。君こそいつも麗しい笑顔で、よろしいことだ」
私がいつ笑顔を作ったと言うのだろう。
嫌味に嫌味で返されて、私は鼻で笑った。
ローランドは背は高いけど、顔つきにも体つきにも厳しいところのない優男だ。
威嚇されたところで怖くも何ともない。
私たちはわざとらしく顔を背け合って別れた。
ただすれ違っただけでも喧嘩になる──そんな日々の風向きが突然変わったのは、私たちの責任ではない。
「危ないところだった」
ある日のこと、呼び出されて部屋を訪れると、父は青い顔でそんなことを言った。
父の説明によれば、何でも隣国の工作員が暗躍していたそうなのだ。
両家の不和に付け込んで諍いを煽って、危うく内戦にまで発展するところだったらしい。
それ自体は寸前で回避されたものの、国王の怒りは凄まじかった。
父とローランドのお父様は揃って呼び出されて、居並ぶ廷臣たちの前で叱責を受けた。
過去何度も両家の争いはあってそのたびに叱られてはいたものの、これまでは国にまで被害が及ぶことはなかった。
それがこの始末だ。
今度ばかりは言い訳のしようもなく、二人そろってうなだれて聞いていたそうだ。
「領地を削られたり、最悪の場合は家を取り潰されてしまってもおかしくないところを、お叱りで済ませていただいたのだ。陛下のご厚情には感謝するしかない」
しかし、叱責だけで済ませるというのは条件付きのことだった。
国王命令でキャビネット家とモンタージュ家は和解することになった。
「さすがに私たちも反省した。過去のことは水に流し、今後は手を取り合って国を盛り立てていくと陛下に誓った」
「はあ。それはよろしくていらっしゃいました。それで、私が呼び出されたのはなぜでしょうか?」
「うむ。それで……、陛下のご命令でだな、新しく家を創ることになった」
「と、おっしゃいますと?」
「『和解の象徴としてお互いの一族の息子と娘を結婚させて新しい家を創立して、両家とも今後はその家を宗家と仰ぐように』とのご命令だ」
「まあ」
「それでだな……。その、協議の結果、当家からはお前を出すことになった。承知してくれるな?」
「……え?」
少し血の気が引いた。
……でも、冷静になって考えてみれば仕方のないことだ。
一族の代表を出すというのであれば分家からというわけにはいかない。
本家から子供を出すしかないけれど、でもこちらの本家にもあちらの本家にも年頃の娘というのは私しかいない。
その結婚で妻役ができるのは私だけだ。
「以後お前の子孫が一族の長となる」
「そうですか」
それはどうでもよかった。
全然ピンとこないし。
気になるのはそこではない。
私はソワソワする内心をなるべく表に出さないように気をつけながら聞いてみた。
「あの、お相手はどなたになりますの?」
「先方はもちろん嫡男を出す。ローランド君だ。同い年だし丁度いいだろう」
「えっ」
大いに血の気が引いて、めまいがした。
呆然としているうちに私の生活は目まぐるしく変わっていった。
これからの私は新しく創られたモンネットという家名を名乗ることになった。
両家の代表者なのだから住居にも格が必要とされて、私の曽祖父母が暮らしていた古い離宮が新居ということになった。
格だけで言うなら王太子が住んでも問題ないようなお城が急ピッチで改装されて、慌ただしく引っ越した。
よくわからないうちに日取りが決められて、心の準備ができないまま準備が整えられて、あっという間に絢爛たる華燭の典が執り行われた。
披露宴の会場は新居のお城の大ホールだ。
たくさんのシャンデリアと無数の燭台の光で広大なホールが皓々と照らし出されている。
出席者の紳士淑女はこの国を代表する錚々たるメンバーだ。
私たちは上座に祭り上げられて人形よろしく座っていた。
緊張のあまりカチコチに固まっていたので、本当に人形のようだった。
人形のような私たちの目の前で、ついこの前まで反目しあっていた人たちが今日は仲良くお酒を酌み交わしている。
調子がいいにも程がある。
「いやあ、めでたい、めでたい」
「これでこの国も我らも安泰ですな」
「新郎新婦の門出を祝して、乾杯!」
もっともその時の私には彼らの声も耳を素通りするだけだった。
頭の中が真っ白で、何を食べたのか、招待客たちの挨拶にどう答えたのかさっぱり覚えていない。
覚えているのは隣に座ったローランドの横顔だけだ。
ちらりと横目で見たその顔は無表情で、何を考えているのかうかがい知れなかった。
そしてその夜。
私はメイドたちに浴室に連れ込まれて、寄ってたかって磨きを掛けられた。
あんなやつのためにそこまでしなくてもいいのに……いえ、臭いとか汚いとか思われたら悔しいから、いいんだけど。
私は夫婦の寝室と決められた部屋で、夫となってしまった人が来るのを待った。
薄手のローブ一枚に身を包んだだけで、静かな部屋でベッドに一人ぽつんと腰かけていると落ち着かなくて、私は部屋の中を歩いて回った。
護身用に何かないかと探してみたんだけど、古い頭の持ち主は刃のついたものは縁を切ることにつながるなどと迷信を口にする。
新郎新婦の部屋には不吉ということでペーパーナイフまで下げられてしまっていた。
デスクの引き出しの中を探ってもチェストの中を探っても何も見つからない。
クローゼットを開けてみた。
その奥に編み物道具のバスケットがしまい込まれていた。
たぶん曾祖母のものだろう。
中に毛糸玉と一緒に編み針が入っていた。
私はその一本を握りしめた。
無礼を働いたらこれで刺してやろう。
再びベッドに腰かけて所在なく待っていると、ついに扉が開いた。
開いてしまった。
息が苦しい。
部屋の中に心臓の音が響き渡っているように思った。
ローランドに聞こえてしまったらどうしよう。
湯上りのローランドは頬がほんのり赤かった。
足早に近づいたローランドの手が伸びて、私のあごに触れた。
クイッと、あごが傾けられて、真っ直ぐ覗き込む目と目が合った。
「……これで君は俺のものだ」
「私は物じゃないわ」
「失礼。これからの君は俺の妻だ」
「あなたは、私の夫ということになるわね」
それきり、お互い何も言えなくなって、私たちは無言で固まっていた。
これではまるで、無言で見つめ合う恋人たちのようじゃない。
どうしよう。
平静を装っているけど、動悸が苦しい。
この心臓の鼓動に気づかれてしまったらどうしよう。
私は心臓の音を誤魔化すように声を上げた。
「……あの」
「……うん」
「その、どうしよう?」
「そ、そうだな……。それじゃ、夫婦らしいことを始めようか」
「は、はひっ」
ローランドの顔がゆっくりと近づいてきた。
私はぎゅっと目を閉じた。
唇が触れた。
うう、唇がくすぐったくて、ジンジンして、フワフワする。
唇が離れて、またすぐにくっついて、長いキスを何度も繰り返しているうちにローランドはだんだん上達していくようだった。
いったい何回キスするの?
……と思っていたら私はベッドに押し倒された。
え、まだキスするの?
執拗にキスされているうちに編み針はベッドの下に転げ落ちてしまった。
休日が明けて久しぶりに登校した。
私は周囲の注目を集めていた。
皆横目で私を眺めていて、ひそひそと何やら囁き交わす様子も伝わってくる。
私の結婚は周知のことだし仕方もないけど。
ここは貴族の学校で皆お行儀がよく、面と向かって品のないことを聞いてくる人はいないのが救いだ。
教室に入ると同時に、私は押しかけてきたクラスメイトに取り囲まれていた。
幼なじみのデボラを始めとした友人たちだ。
「ねえ、どうだった?」
友人たちは好奇心もあらわに尋ねてきた。
「結婚式? そうね、豪勢に行っていただいたわ。来月には学生を招いた披露宴が行われるから、あなたたちも──」
「そうじゃなくて」
「じゃあ何よ」
彼女たちは顔を見合わせてから、声を潜めて口々に聞いてきた。
「だって、ねえ」
「結婚したのでしょう? よりによってあのローランド様と」
「それで、どうだった?」
「だから何のことよ」
「その、あれよ。ほら」
「誰か言いなさいよ」
「……夫婦生活」
最後に一人が呟くと、彼女たちは一斉に黄色い声を上げた。
呆れてしまう。
仮にも貴族の子女が興味津々の顔で、キラキラした瞳で、なんて品性に欠けることを言うのだろう。
とはいえ、結婚している学生は私たちだけではない。
そして私も彼女たちを散々にからかってきたのだから、あまり文句も言えない。
私はせいぜい取り澄ました顔で答えた。
「普通よ」
「普通って、どういうこと?」
「普通って言ったら、普通よ。ま、経験してみれば大したことはなかったわね」
「おぉー……」
私が余裕ぶって言うと、デボラたちは一斉に嘆息した。
……本当は、聞いていたのと少し違っていた。
「そんなことをするの?」ってことまでされたけど、恥ずかしくてとてもじゃないけど言えない。
世の中の夫婦をしている人たちって凄いわ。
結婚してからの私たちは学校ではなるべく顔を合わせないようにしていた。
一緒にいるところを見られたら最後、うんざりするほどからかわれるのだ。
どうせ家に帰ったら嫌でも顔を突き合わせないといけないのだし。
おかげで夕食の席での話題に悩む必要がない。
別行動してる間にあったことを話せばよいのだから。
食後に入浴したら早々に寝室に引っ込んでしまう。
何しろ平日の私たちは暇なのだ。
学生なのだから学校優先だし、私たちが治めることになる領地もまだ選定中だ。
他にやることがない。
休日は一転して忙しい。
主な仕事は人と会うことだ。
宮廷の要人やモンタージュ家の重要人物といった貴族から知遇を得たいという商人まで、この国でも屈指の大貴族の当主となった私たちに会いたいという人は枚挙にいとまがない。
今日もまた昼食はキャビネット家の長老と同席して、夜は国王陛下に招かれてパーティーに出て、朝から晩までスケジュールがぎっしりだった。
寝室の扉を閉じたらようやく二人きりになった。
「疲れた……」
「疲れたわ……」
街に出たわけでもないのに人ごみに酔った気分だ。
ベッドに横たわったらローランドは隣に寝そべって、抱きしめてきた。
「ちょっと」
「今日は無理……。このまま眠らせてくれ……」
「もう」
まぶたが閉じて、呼吸はすぐに寝息に変わった。
この人、本当にそのまま寝てしまったわ。
カーテンの隙間から漏れる月明りに照らされたローランドの顔は青白かった。
かなり疲れているようだ。
人と会うだけじゃなくて、パーティーではずいぶんと飲まされていたものね。
腕を跳ねのけるのは簡単だけど、今夜だけは赦してあげよう。
「──ということがあったのよ。私のことをクッションか何かとでも思ってるんじゃないかしら」
「そう……」
私の愚痴を聞いた友人たちは眉をひくつかせていた。
私のために憤ってくれているようだ。
ローランドは花が好きみたいで、ときどき花を贈ってくる。
今日は「結婚一か月の記念だ」と言って抱えるような花束を持って帰った。
「捨てるのももったいないから飾っておいて」
「あら奥様、ずいぶんとご機嫌でいらっしゃいますわね」
メイドに花束を預けるとニヤニヤしながら退出した。
まったく、雇い主を何だと思っているのかしら。
「──メイドまで私をからかうの。酷いと思わない?」
私はいつものように友人たちに愚痴をこぼした。
結婚して一か月も経つと私を囲むクラスメイトの数は少し減っていた。
飽きたみたいだ。
「結婚する前には『花の一つも送ってこない夫』となじってあげようと思っていたのに、当てが外れたわ」
「そ、そう」
「外れてよかったわね」
彼女たちの頬は引きつっていた。
予想が外れて残念だったのだろう。
平日は相変わらず暇だ。
今夜の私たちは暇つぶしにカードゲームをしていた。
私は惜しくも負けてしまった。
立場が逆なら大差で勝ったと主張するところだけど、今の立場なら僅差ね。
まあいいわ、ゲームの勝ちくらい譲ってあげましょう。
偉そうなことを言ったって、彼が毎晩私で気持ちよくなってしまっていることは私が一番知っているのだから。
私は既に勝っている。
私が笑うとローランドは不思議そうな顔をした。
「どうした? 負けたのが嬉しいのか?」
「私は負けてないもの。勝ってるもの」
「いや、どう見ても俺の勝ちだろう?」
「私の体に夢中なくせに」
「は?」
そう言うとローランドは激しく目を瞬かせた。
「な、何を言い出すんだ。……フン、夢中なのは君の方だろう」
「でたらめを言うのはやめてくれる?」
「八回」
「何のこと?」
「昨夜君からキスしてきた回数」
「なっ……! そ、そんなこと数えてたの? 信じられない!」
「夢中な君が可愛くてね」
「あ、あなたからしてきた方が多いでしょ!」
「そりゃあダンスでも何でも男がリードするものだからね」
「女が男の体に溺れるなんてありえないわ」
「何を言っているのやら。あれだけ声を上げておいて……」
顔がカッと熱くなった。
「声なんて出してません!」
「耳がおかしいのか?」
「おかしいのはあなたの認識よ!」
「それじゃ確かめてみようか?」
「望むところよ」
それでその夜はずっと口を閉ざしていたのに、ローランドは勝ち誇った顔で「ほらみろ」と言った。
ローランドは耳がおかしい。
「──もうローランドったら、すっかり私のご主人様気取りなの。失礼しちゃうわ」
「へー」
「そうなのね」
私の愚痴を聞いてくれるクラスメイトの数はずいぶん減ったけど、聞いてくれた彼女たちはみんな砂を噛むような顔をしていた。
ローランドの傲慢さに憤慨しているのだろう。
「ねえ、あなた、子供はまだかしら?」
アポイントもなしに来訪した伯母はあけすけにそんなことを聞いてきた。
「そうですわね、おいおいに……」
「あなた、そんな悠長なことを言っていては駄目よ。よろしいこと、夫婦と申しますものは──」
夫婦生活の心得についての伯母の長いお説教を私は作り笑いと中身のない相槌でやり過ごした。
伯母にお帰り頂いてげんなりしながら部屋に引っ込んでいると、ローランドがうんざりした様子で戻ってきた。
「あら、どうしたの?」
「それがね──」
聞けばローランドの方もあちらの伯父がやって来て、子供はまだかとせっつかれた上に夫婦生活について延々と説かれたのだ、と言った。
「あなたもお疲れ様ね」
「ああ。……まだ早いよな?」
「ねえ」
私は彼の子供を妊娠したくなかったし、彼は私に妊娠して欲しくなかったので、私たちは極力子供ができないように気を配っていた。
せめて学校を卒業するまでは、今のままでいたかった。
子供ができてしまったら何もかも変わってしまうと思うから。
「──ということがあったのよ。皆様気がお早いわ」
翌日、デボラともう一人だけになった友人たちにお節介な親族の様子を伝えると、彼女たちは作り笑いを浮かべながら「そうね」と曖昧に答えた。
そして二人して外出の誘いをかけてきた。
「ねえ、そんなことより、たまには私たちにもつきあってよ。久しぶりに旧交を温めましょう」
「上級生の方主催のパーティーがあるんだけど、あなたも出ない?」
「いいわね。いつの予定?」
「今度の休日なんだけど」
「あら、ごめんなさい。その日は先約があるの」
「誰と?」
「ローランド。結婚二か月のお祝いをするのですって」
「……」
「記念日が好きなのよね、あの人。男のくせに」
「……」
「──という感じだったのよ。聞いてくれるのもとうとうあなただけになってしまったけど」
休日明けの学校で、私は昨夜の記念日の話をした。同じテーブルについているのはデボラしかいない。
私の愚痴を聞いてくれる友人はとうとうデボラだけになった。
「みんな冷たいわ」
つい不満を漏らすと、デボラは緩慢な動作で視線をティーカップから私に移した。
その視線はとても白けたもので、私は思わず怯んでしまった。
「な、何よ」
「……みんな自分の恋人を探すのに忙しいのよ」
「あら、自分で相手を決められるなんて羨ましいわね」
「そうね。あなたの話を聞いているうちに、羨ましくなってしまったの」
「羨ましい? 何が?」
「あなたの新婚生活が」
「みんなおかしいの?」
デボラはティーカップをソーサーに戻した。
その勢いが少し強くて、カップはかちゃりと音を立てた。
「あのね、私はまだ友達だと思っているからこうして聞いてあげているけど。……あなたの犬も跨いで通るようなのろけ話なんて、みんなもう聞いていられないのよ!」
「何を言っているの? 私がいつそんな話をしたかしら?」
「いつもいつも嬉しそうに報告を聞かされるこちらの身にもなってくれる?」
「そんな、嬉しくなんてないわ」
「昔からそうだったわよね。口では嫌い嫌いと言っておきながら全然本心が隠せていないの」
「違うわ」
「その蕩けきった顔で言われても説得力がないわ」
「そ、そんなことないわ!」
最後にははしたなくも叫ぶことになったけれどデボラは信じていない顔をしていた。
「本当に仲睦まじくていらっしゃって。羨ましい限りですわ、奥様」
皮肉っぽくそう言ってデボラは再びカップを手に取った。
カップに隠されているその口元はきゅっと引き結ばれているようだ。
まったく、失礼な親友もいたものだ。私の気持ちなんて誰もわかってくれないのね。
仕方ないので今夜はローランドをからかって憂さ晴らしすることにした。
鋭い指摘を受けてうろたえるローランドを想像すると、自然と頬が緩むのだった。




