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「君の動画、もう必要ないから」——三年間、人気YouTuberの裏方として全てを支えた私は捨てられましたが、私の才能を見抜いた若社長のもとで自分の名前で勝負したら、業界が騒然となりました。

作者: uta
掲載日:2026/03/11

「君の動画、もう必要ないから。莉子の方がセンスあるし、登録者も増えてきたでしょ?」


蓮の言葉が、薄暗い編集部屋に落ちた。


パソコンのモニターが青白く光る中、私——織田咲希は、三年間使い続けてきたマウスから手を離した。画面には、まだ完成していない動画のタイムラインが映っている。蓮の誕生日に合わせた特別企画。徹夜で仕上げるつもりだった。


「……そっか」


声は、自分でも驚くほど平坦だった。


(ああ、やっぱりこうなるんだ)


蓮は私の背後に立ったまま、スマートフォンをいじっている。画面に映っているのは、ピンクベージュの巻き髪をした女性——宮野莉子のインスタグラムだ。ハートマークだらけのコメント欄。蓮のアカウントからの「いいね」が並んでいる。


「莉子はさ、センスがいいんだよ。君の編集って暗いじゃん? もっとキラキラした感じが今のトレンドだし」


三年間で487本。

私が編集した動画の数だ。


企画書は200本以上書いた。企業案件の成約率は92%。登録者数50万人を達成した「あの動画」——72時間かけて編集した旅動画がバズったのは、去年の夏のことだった。年間再生回数3000万回。全部、私が徹夜で積み上げた数字。


でも蓮は知らない。知ろうともしなかった。


「編集なんて誰でもできるでしょ。莉子に教えればすぐ覚えるって」


(誰でもできる、か)


After Effectsのプロジェクトファイル。Premiere Proのカスタムプリセット。サムネイルのクリック率を平均3.2%上げるためのテンプレート。企業担当者の連絡先リスト。三年分の信頼関係。


——誰でもできるなら、やってみればいい。


「分かった」


私は椅子から立ち上がり、デスクの引き出しから外付けハードディスクを取り出した。三年分の編集データ。企画書。素材フォルダ。全てが詰まっている。


「え、何それ」


「データ。全部入ってる」


蓮の手に押し付けるように渡す。優しさじゃない。これは決別だ。もう二度と、このデータを理由に連絡してこないでほしい。そういう意味だった。


「ちょ、急にどうしたの。別に今すぐ出てけとは——」


「もう疲れたから」


三年分の感情を、その一言に詰めた。


伊達眼鏡を外し、鞄に入れる。パソコンは会社のものだから置いていく。私物はほとんどない。この部屋に、私の痕跡はほとんど残っていない。いつでも消えられるように、無意識にそうしていたのかもしれない。


「咲希?」


蓮が初めて、少しだけ動揺した声を出した。


振り返らない。振り返ったら、三年間の全てが無駄じゃなかったと信じたくなる。徹夜明けに「ありがとう」の一言もなく寝室に消えていった背中。企業案件が決まっても「俺の実力だな」と笑った顔。登録者が増えるたびに、私の存在感が薄くなっていく感覚。


全部、無駄だったのだ。最初から。


「じゃあね、蓮」


ドアを閉める音が、やけに大きく響いた。


外は十一月の夜だった。吐く息が白い。マンションのエントランスを出て、ようやく足が止まる。


泣かない。泣いてたまるか。


スマートフォンが震えた。楓からのLINE。


『今日暇? 飲もう』


——知ってたんだ、この子は。ずっと前から、こうなることを。


『今から行く』


返信を打つ指は、少しだけ震えていた。




         ◇




「だから言ったじゃん。あんた、都合よく使われてるって」


駅前の居酒屋。カウンター席で、楓は三杯目のハイボールを煽った。ショートボブが乱暴に揺れる。


「……うん」


私はウーロン茶を啜りながら頷いた。お酒は飲めない。編集作業に支障が出るから、三年間ずっと控えていた。——もう、その必要もないのに。


「三年だよ? 三年。あんたが何本動画作ったと思ってんの。何回徹夜したと思ってんの。あのクソ男、自分じゃ企画書一本書けないくせに——」


「楓」


「何」


「もういいの」


楓の手が止まった。


「……何が」


「私が選んだことだから。三年間、分かってて続けてた。蓮が私を見てないことも、私の仕事を理解してないことも。全部分かってて、それでも——」


言葉が詰まる。


何を期待していたんだろう。いつか気づいてくれると思っていた。これだけ尽くせば、いつかちゃんと見てもらえると。


馬鹿みたいだ。


「……咲希」


楓の声が、急に柔らかくなった。


「泣いていいんだよ」


「泣かない」


「泣けって」


「だって——」


視界が滲んだのは、楓が私の手を握ったからだ。


「泣かないって決めたの。あの人の前では絶対泣かないって、三年前に決めたの。だから——」


「ここ、あの男の前じゃないでしょ」


楓の目が赤くなっている。ああ、この子は私の代わりに怒ってくれていたんだ。三年間、ずっと。


「咲希の代わりに泣いてやる。だからあんたは——ちょっとくらい休みなさい」


涙が一筋、楓の頬を伝った。


私は結局、泣けなかった。涙の代わりに、ただ楓の手を握り返した。


「……ありがとう」


「礼なんかいらない。あのクソ男、絶対後悔させてやるから」


「どうやって」


「知らない。でも絶対。あんたがどれだけすごいか、思い知らせてやる」


居酒屋の喧騒の中で、私は小さく笑った。


明日から、何をすればいいんだろう。三年間、蓮のチャンネルのことしか考えてこなかった。自分の時間なんてなかった。自分の作品なんて、作ったことがなかった。


——でも、もしかしたら。


スマートフォンを取り出す。ブックマークしていた映像コンペのページを開いた。締め切りは来月。ずっと出したいと思っていた。でも時間がなかった。蓮の動画が優先だった。


「何見てんの」


「……映像コンペ」


「出すの?」


「分かんない。でも——」


初めて、自分のために何かを作れるかもしれない。


そう思った瞬間、胸の奥で何かが軽くなった気がした。




         ◇




——二週間後。


『最近つまらなくない?』

『編集どうした? 素人かよ』

『サムネ手抜きすぎ』

『企画がマンネリ。前はもっと面白かったのに』


桐谷蓮のチャンネル、最新動画のコメント欄は荒れていた。


「嘘だろ……」


蓮は自室でスマートフォンを握りしめていた。投稿から24時間で再生回数は8万。先月までは初日で30万再生が当たり前だったのに。


「莉子!」


隣室から、ピンクベージュの髪が覗いた。


「なに? 今メイクしてるんだけど」


「この動画、お前が編集したんだよな?」


「うん。可愛くしたでしょ? キラキラのエフェクトとか入れて——」


「可愛くねぇよ! テロップのタイミングおかしいし、カット割りガタガタだし——」


「え、だって蓮くんの撮り方が悪いんじゃないの? 素材が良くないと編集でもカバーできないし」


蓮は言葉を失った。


——咲希は、そんなこと一度も言わなかった。


どんなに撮影が雑でも、どんなにトークがグダグダでも、編集で完璧に仕上げてくれた。カットの繋ぎ方一つで、退屈な映像が見違えるようになった。


(編集なんて誰でもできる)


二週間前の自分の言葉が、脳内でリフレインする。


スマートフォンに通知が入った。企業案件の担当者からだ。


『先日の件ですが、今回は見送らせていただきます。理由は——編集クオリティの低下と、ブランドイメージとの不一致です』


これで三件目だ。


咲希が繋いでくれた案件が、次々と切られていく。担当者との関係構築も、契約書の細かい交渉も、全部咲希がやっていたことを、蓮は今さら知った。


「ねぇ蓮くん、今週のコラボ動画どうする? 企画書は?」


「企画書……?」


「咲希って子が作ってたんでしょ? 私、企画とか苦手なんだよね」


蓮は咲希が残していったハードディスクを見た。中を開けば、200本以上の企画書が入っている。でも——それを使うのは、負けを認めることだ。


「自分で考える」


「えー、面倒」


莉子は興味なさそうにスマートフォンをいじり始めた。画面には、他のYouTuberの動画が映っている。


(咲希は——こんな態度、一度も取らなかった)


深夜3時まで編集して、朝6時に企画のアイデアをLINEしてくれた。サムネイルは最低でも5パターン作って、A/Bテストをしてくれた。コメント欄の管理も、アンチ対応も、全部——


『登録者数:498,521人』


画面の数字が目に入る。二週間前は50万2千人だった。


減っている。確実に、減っている。


蓮は震える手で、咲希のLINEを開いた。メッセージ欄は空白のまま。既読はつかない。ブロックされているのか、それとも——


『咲希、ちょっと話したいんだけど』


送信。


既読はつかなかった。




         ◇




渋谷のカフェ。窓際の席で、私はMacBookを開いていた。


画面には、映像コンペ用の編集データ。締め切りまであと一週間。三年間、人の動画ばかり作ってきた私が、初めて「自分の作品」を作ろうとしている。


(構成が甘い。ここのカット、もう少し溜めた方がいい——)


イヤホンをつけて、集中する。周囲の喧騒が遠くなる。


「この編集、あなたがやったんですか」


突然の声に、顔を上げた。


目の前に、男性が立っていた。短く整えた黒髪。鋭いけれど、どこか温かみのある眼差し。年齢は二十代後半だろうか。スーツ姿だが、ネクタイは緩めている。


「……すみません、画面見えてました?」


「少しだけ。失礼しました。ただ——」


男性は、私の画面を見つめたまま続けた。


「このカット割り、すごいですね。2.3秒の溜めから0.8秒のフラッシュ、その後のスローモーション。音楽のビートに完璧に合わせてる。プロですか?」


心臓が跳ねた。


三年間、一度も言われたことがない言葉だった。「すごい」なんて。蓮は動画が完成しても「うん」としか言わなかった。再生回数が伸びても「俺のトークが良かったな」で終わり。


「……プロというか、元・裏方です」


「裏方?」


「YouTuberの動画編集してました。三年間」


「三年」


男性の目が、少しだけ見開かれた。


「それだけのキャリアがあって、『裏方』なんですか。この技術で?」


「……評価されなかったので」


自分で言って、少し笑えてきた。三年間、誰にも認められなかった。それが今、見ず知らずの人に「すごい」と言われている。


「失礼ですが——」


男性がポケットから名刺を取り出した。


『FRAME WORKS株式会社 代表取締役 藤堂誠一』


映像制作会社。名前は聞いたことがある。老舗だが、最近YouTube事業に参入したと業界で話題になっていた。


「藤堂誠一です。うちの会社で、YouTubeチャンネルを立ち上げようとしているんです。でも、社内に編集できる人間がいなくて」


「……私に、何か?」


「率直に言います」


藤堂さんは、真っ直ぐに私を見た。


「うちで働きませんか。裏方じゃなく、あなたの名前で勝負する形で」


——私の、名前で。


三年間、私の名前がクレジットされたことは一度もなかった。動画の概要欄にも、エンドロールにも。私は透明人間だった。


「急な話で困惑されてると思います。でも、僕は本気です。あなたの編集、業界で十年やってる人間でもああはできない」


「……買いかぶりすぎです」


「いいえ」


藤堂さんは首を振った。


「僕は映像をやってきた人間です。才能を見抜く目だけは、自信があります」


胸の奥が熱くなる。泣きそうになるのを、必死で堪えた。


「……考えさせてください」


「もちろん。連絡先、交換してもらえますか?」


名刺の裏に、私のLINEを書いて渡した。手が少しだけ震えていた。


藤堂さんが去った後、私はしばらく画面を見つめていた。


『裏方じゃなく、あなたの名前で勝負する形で』


——もしかしたら、私はずっとこれを待っていたのかもしれない。


誰かに見つけてもらうことを。私の努力を、正当に評価してくれる誰かに。




         ◇




FRAME WORKSのオフィスは、恵比寿のビルの7階にあった。


「織田さん、ここが編集ルームです」


藤堂さん——誠一さんに案内された部屋は、蓮のマンションの一室とは比べものにならなかった。4Kモニターが3台。業務用の編集ソフトがインストールされたワークステーション。防音完備の空間。


「これ、全部私が使っていいんですか」


「もちろん。必要なものがあれば何でも言ってください」


隣に立っていた男性——佐伯健太さんが口を挟んだ。


「社長、YouTubeなんて本当にうちでやるんですか? 映像制作会社がそんなことして——」


「佐伯さん」


誠一さんが穏やかに遮った。


「まず織田さんの編集を見てください。それから判断しても遅くない」


私は頷いて、持参したノートパソコンを開いた。映像コンペ用に作っていた作品。まだ未完成だが、構成は見せられる段階だ。


「……これ、織田さんが?」


佐伯さんの声が変わった。


「3分の映像なのに、ストーリーがある。カット一つ一つに意図がある。うちの映像班より——いや、正直に言います。うちの誰よりも構成力がある」


誠一さんが小さく笑った。


「だから言ったでしょう」


「……参りました。社長の目は確かだ」


佐伯さんは深々と頭を下げた。私は慌てて手を振る。


「いえ、そんな——私なんて、まだ全然」


「謙遜しないでください」


誠一さんが静かに言った。


「あなたは三年間、誰にも評価されずに腕を磨き続けた。その努力は、本物です」


——評価されずに腕を磨き続けた。


その言葉が、胸に刺さった。


誰にも見られていないと思っていた。でも、私は確かに積み上げてきた。487本の動画。200本の企画書。数えきれない徹夜。全部、無駄じゃなかったのかもしれない。


「最初のプロジェクトは、うちの企業チャンネルの立ち上げです」


誠一さんが続けた。


「コンセプトは任せます。織田さんの思う『面白い映像』を、自由に作ってください」


「自由に……?」


「そうです。裏方じゃない。あなたの作品として、世に出す。それがこのプロジェクトの目的です」


私は深呼吸した。


三年間、誰かの言いなりで作ってきた。「もっと明るく」「もっと短く」「俺の顔をもっと映せ」。自分の意見なんて、求められたことがなかった。


「……やらせてください」


声が震えた。


「私の全部を、ぶつけます」


誠一さんは微笑んだ。初めて見る、柔らかい表情だった。


「期待しています」




         ◇




それから三ヶ月。


私は文字通り、全てをぶつけた。


朝から晩まで編集室にこもり、一本の動画に何十時間もかけた。蓮のチャンネルでは「早く」「とりあえず」が口癖だった。でもここでは違う。誠一さんは「納得いくまでやってください」と言ってくれた。


企業紹介動画。普通なら退屈な内容だ。


でも私は、ストーリーを入れた。


働く人々の想い。製品が生まれるまでの過程。汗と情熱。失敗と成功。


カット一つ一つに意図を込めた。光の角度、色味の調整、音楽のタイミング。全てを計算し尽くした。


三年間の経験が、ここで花開く——そんな感覚があった。




『FRAME WORKS公式チャンネル、登録者100万人突破』


業界メディアの見出しが、SNSを駆け巡った。


「嘘でしょ……」


私は自分のデスクで、画面を見つめていた。登録者数のカウンターが、リアルタイムで回っている。100万1千。100万2千。止まらない。


「織田さん!」


佐伯さんが駆け込んできた。


「見ました? 100万ですよ100万! たった三ヶ月で!」


「は、はい……」


「企業案件の問い合わせが殺到してます。大手メーカー3社、アパレルブランド5社、あとテレビ局からも——」


頭が追いつかない。


『この動画、映画みたい』

『企業チャンネルでこんなの見たことない』

『編集者誰? 天才なんだけど』


コメント欄には、そんな言葉が溢れていた。


「織田さん」


振り返ると、誠一さんが立っていた。


「おめでとうございます」


「いえ、私だけの力じゃ——」


「そうですね。チーム全員の力です。でも、核はあなただった」


誠一さんは私の隣に立ち、モニターを見つめた。


「『あの編集者は誰だ』って、業界中で噂になってますよ」


「……え?」


「FRAME WORKSの編集者。名前は明かされてないけど、とんでもない才能だって。オファーが来てます。他社から」


私は言葉を失った。三年間、透明人間だった私が。名前も出していないのに、探されている。


「断りました」


誠一さんが静かに言った。


「え?」


「勝手にすみません。でも——織田さんは、うちにいてほしい」


その言葉の重さに、胸が詰まった。


「もちろん、強制はしません。他社の方が条件がいいなら——」


「いいえ」


私は首を振った。


「ここがいいです。ここが——私を見つけてくれた場所だから」


誠一さんの目が、少しだけ緩んだ。


「……ありがとうございます」


その声は、いつもより少しだけ温かかった。




         ◇




——同じ頃。


桐谷蓮のチャンネルは、登録者数が35万人まで落ち込んでいた。


莉子はとっくに離脱していた。「蓮くんと関わると私のイメージが」とSNSで匂わせ投稿をして、別のYouTuberにすり寄っている。


企業案件はゼロ。コメント欄は荒れ放題。


蓮は一人、暗い部屋でスマートフォンを見つめていた。


画面には、FRAME WORKSの動画が映っている。


『登録者100万人突破』


その文字の向こうに、かつて切り捨てた女の影が見えた。


「……まさか、な」


業界の噂で聞いた。FRAME WORKSの凄腕編集者。どこからともなく現れた、無名の才能。


(咲希が——あの咲希が——?)


ありえない。いや、ありえる。


あいつの編集は、確かに上手かった。今思えば。


動画一本を仕上げるのに、いつも徹夜していた。サムネイルは何パターンも作っていた。企画書は分厚いファイルに綺麗にまとめられていた。


全部、当たり前だと思っていた。


「くそっ……」


蓮は拳を机に叩きつけた。


『登録者数:347,892人』


数字は、今日も減り続けている。




         ◇




業界イベント『Creator Awards 2024』——年に一度の祭典。


会場は六本木のホテル。華やかなドレスとスーツが行き交う中、私は誠一さんの隣を歩いていた。


「緊張してますか?」


「……少しだけ」


肩までの黒髪を今日は下ろしている。伊達眼鏡も外した。楓が選んでくれたネイビーのワンピースは、普段の私とは別人のようで落ち着かない。


「大丈夫。今日の主役は、あなたですから」


誠一さんが小さく笑った。FRAME WORKSは、今年の『ベストクリエイティブ賞』にノミネートされている。もし受賞すれば、編集者として私の名前が呼ばれる。


「藤堂さん、お久しぶりです!」


業界関係者が次々と挨拶に来る。誠一さんは丁寧に応対しながら、さりげなく私を紹介してくれた。


「うちの映像ディレクター、織田です」


映像ディレクター。その肩書きが、まだ自分のものだと信じられない。


「織田さん、FRAME WORKSのあの動画、本当に素晴らしかった。どうやったらあんな構成思いつくんですか?」


「いえ、チーム全員の——」


「咲希」


背後から、聞き慣れた声がした。


振り返る。


——桐谷蓮が、立っていた。


三ヶ月前より痩せている。目の下にクマがあり、かつての自信に満ちた表情は影を潜めていた。


「久しぶり」


「……蓮」


「綺麗になったな。見違えた」


誠一さんが、さりげなく私の横に立った。その気配に蓮が気づき、目を細める。


「そっちは?」


「FRAME WORKSの藤堂です」


誠一さんが名乗った。蓮の顔色が変わる。


「FRAME WORKS……100万人のやつか。咲希、お前——」


「私が編集してます」


静かに告げた。蓮の目が見開かれる。


「嘘だろ……あの動画、お前が……?」


「嘘じゃない。私の名前で、私の作品として」


沈黙が落ちた。周囲の喧騒が、遠くなる。


「咲希」


蓮が一歩、近づいてきた。


「戻ってきてくれ。お前がいないとダメなんだ。俺——間違ってた。お前の価値、分かってなかった」


「……」


「頼む。もう一度、俺のチャンネルで——」


「ごめんね」


私は穏やかに微笑んだ。


「私はもう、自分の名前で勝負できる場所を見つけたから」


蓮の顔が歪んだ。悔しさと、焦りと、どうしようもない後悔が混じった表情。


「お前——俺をバカにしてるのか」


「してない。ただ、もう振り返る必要がないだけ」


誠一さんが静かに口を開いた。


「失礼ですが、織田は当社の大切な人材です。引き抜きは受けかねます」


「あんたに聞いてない! 咲希は俺の——」


「あなたの、何ですか?」


私は真っ直ぐに蓮を見た。


「三年間、私の名前を一度も出さなかった。『編集なんて誰でもできる』って言ったよね。それが、あなたの答えだった」


蓮が何かを言いかけて、口を閉じた。


「私は疲れたの。あなたのために消えることに。だから——もう終わり」


踵を返す。誠一さんが隣を歩いてくれる。


「咲希——!」


蓮の声が追いかけてきた。でも、振り返らなかった。


振り返る必要なんて、もうどこにもなかった。




         ◇




授賞式が終わった後、私と誠一さんはホテルの屋上テラスにいた。


冬の夜空に、星がまばらに光っている。東京の夜景が、遠くまで広がっていた。


「受賞、おめでとうございます」


誠一さんが静かに言った。『ベストクリエイティブ賞』のトロフィーは、私の手の中にある。


「私だけの力じゃないです」


「またそれですか」


誠一さんが小さく笑った。


「織田さんは、もう少し自分を認めていい」


「……慣れてないんです。褒められるの」


「三年間、褒められなかったから?」


黙って頷いた。誠一さんは夜景を見つめながら、続けた。


「僕は——織田さんの才能に惚れ込んで、声をかけました。でも今は、それだけじゃなくなってる」


心臓が跳ねた。


「仕事に向き合う姿勢。誰にも見られていなくても、手を抜かない誠実さ。そういう——人としての部分に、惹かれてます」


振り返ると、誠一さんの目が真っ直ぐに私を見ていた。


「これは仕事の話じゃないです。僕個人の、気持ちです」


——三年間、私は誰かに求められることを諦めていた。


蓮は私を見ていなかった。私の仕事を見ていなかった。私という人間を、透明なものとして扱った。だから——誰かに認められるなんて、もう期待しないと決めていた。


「……誠一さん」


「はい」


「私、まだ壊れかけてます。三年間の傷が、全部治ったわけじゃない」


「知ってます」


誠一さんは穏やかに答えた。


「だから、待ちます。織田さんが自分を好きになれるまで。僕はそばにいるだけでいい」


涙が滲んだ。今度は、堪えなかった。


「……ありがとうございます」


「礼を言うのは僕の方です。FRAME WORKSに来てくれて、ありがとうございます」


冬の風が、頬を撫でた。冷たいけれど、不思議と温かかった。


——かつて、裏方として消費された才能は。


正当に評価される場所で、ようやく陽の光を浴びた。


「誠一さん」


「はい」


「私——」


言葉を選ぶ。三年間、押し殺してきた感情を、少しずつ解凍するように。


「——少しずつ、自分を好きになれそうな気がします」


誠一さんが微笑んだ。


「それは、良かった」


東京の夜景が、二人を静かに見守っていた。




         ◇




——一年後。


桐谷蓮のチャンネルは、登録者数が18万人まで落ち込んだ後、更新が途絶えた。業界のイベントで見かけることも、なくなった。


最後に見たSNSの投稿は、「充電期間に入ります」という言い訳じみた文章だった。コメント欄は「お疲れ様」と「復活待ってます」という社交辞令で埋まっていたが、いいねの数は二桁だった。


莉子は別の配信者と付き合い始め、蓮のことは「元彼」として笑いのネタにしているらしい。


——因果応報、というやつだろうか。


私はそんなことを考えながら、カフェで楓と向かい合っていた。


「ねえ咲希、結婚するの?」


楓がカプチーノを啜りながら、ニヤニヤしている。


「……まだ。でも——」


左手の薬指に、小さな指輪が光っている。誠一さんがプロポーズしてくれたのは、先月のことだった。


「ゆっくり、進んでる」


「あのクソ男、後悔してるだろうね」


「どうかな。私はもう、興味ない」


本当だった。蓮のことを考える時間は、もうどこにもなかった。


今の私には、やりたいことがありすぎる。


FRAME WORKSの企業チャンネルは、登録者300万人を突破した。私の名前——「織田咲希」は、映像クリエイターとして業界に知れ渡った。


来月からは、自分のチャンネルも始める予定だ。誠一さんが「やってみたら?」と背中を押してくれた。三年前の私には想像もできなかったことだ。


「ねえ咲希」


楓が、少し真面目な顔になった。


「ん?」


「幸せ?」


窓の外を見る。春の陽射しが、暖かく降り注いでいた。


桜が咲いている。去年の今頃は、まだ蓮のマンションで編集作業をしていた。眠れない夜。報われない努力。消えたいと思った瞬間も、一度や二度じゃなかった。


でも今は——


「——うん。今、すごく幸せ」


楓が目を細めた。


「よかった。本当に、よかった」


「楓のおかげだよ。あの夜、一緒に飲んでくれて」


「バカ。私は何もしてない。あんたが自分で立ち上がったんでしょ」


「……そうかな」


「そうだよ」


楓は照れくさそうにカプチーノを飲み干した。


「さ、そろそろ行くよ。私も仕事あるし」


「うん。また連絡する」


「結婚式、絶対呼んでよ。スピーチしてやるから。『あのクソ男を捨てて正解でした』って」


「やめて」


笑いながら、カフェを出る。


春の風が、頬を撫でた。


三年間の影を抜けて、私はようやく、自分だけの光の中にいた。


——かつて、「編集なんて誰でもできる」と言われた私は。


今、自分の名前で、世界に映像を届けている。


誰にも消されない。誰にも奪われない。


これは、私だけの物語だ。




〈了〉

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