オッズメーカーの誤算
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ゼミ終わりの気だるい教室。西日が差し込む窓際で、世界で一番不快な周波数の声が鼓膜を震わせた。
「ねえタケシ、週末はパパの別荘で過ごさない? 携帯は圏外だから、デジタルデトックスしながら静かで二人っきりでビーチを満喫しようよ!」
「お、いいねミチル。邪魔が入らないのが最高だ」
甘ったるい声で囁くミチルと、にやけた面を晒すタケシ。
大学公認のリア充バカップル。俺のような陰気な工学部生を「オタクくん」と見下し、嘲笑ってきた連中だ。
俺はキーボードを叩く手を止めず、心の中でどす黒い好奇心を膨らませた。
――圏外。別荘。二人きり。
それは、あまりにも「都合の良い」舞台設定だった。
俺は帰宅するなり、悪戯半分でPCを立ち上げた。
奴らのSNSから画像を収集し、最新の生成AIに食わせる。ディープフェイク技術は、今や素人でもプロ並みの動画を作れるところまで来ている。
数時間後、そこには涙ながらに助けを乞うミチルの動画と、縛り上げられた写真が完成していた。
送り先は、ミチルの父親。表向きは不動産屋だが、実態は街金の社長だ。
「商売柄、脛に傷持つ身。警察には駆け込めないはずだ」
俺の読み通り、父親は警察を通さず、手下の若い衆を使って必死に娘を探し始めた。だが、別荘は圏外。連絡などつくはずもない。
焦燥がピークに達した頃合いを見計らい、俺はメールを送った。
『身代金は5000万円。
土曜日の平和島競艇 第1レース。締切5分前に、6号艇の単勝に全額ぶち込め。
それが確認できたら娘は解放する』
口座への振り込みでも、現金の受け渡しでもない。
指定したのは、公営競技の市場を通したマネーロンダリングだ。
◇◇◇
「ふざけやがって……!」
街金事務所の奥、社長はスポーツ新聞を床に叩きつけた。
「平和島1レースの6号艇だぞ? モーター勝率はワースト、選手はB級の新人だ。艇王が乗っても勝てんわ! 金をドブに捨てろと言うのか!」
「社長、どうしますか?」
「……やるしかねぇだろ。5000万なんぞ、また稼げばいい。だがな、舐められたままで終わらせるなよ」
社長の目が爬虫類のように細められた。
「若い衆を競艇場と場外舟券売場に総動員しろ。締切直前に大金を賭ける挙動不審な奴がいたら、即座に攫え」
◇◇◇
土曜日の朝、俺は自室でコーヒーを啜っていた。
平和島競艇場? 行くわけがない。
俺の手元にはスマホがある。「テレボート(ネット投票)」を使えば、指先一つで投票は完了する。
平和島第1レース、締切5分前。
オッズ画面の数字が異常な動きを見せた。6号艇の単勝オッズが、一瞬にして「1.0倍」に張り付いたのだ。
5000万円が投入された合図だ。
パリミュチュエル方式の妙だ。誰かが極端な大金を特定の買い目に投じれば、相対的に「それ以外の買い目」のオッズは天文学的に跳ね上がる。
俺はなけなしの貯金をかき集め、6号艇以外の全艇(1〜5号艇)の単勝に一万円ずつ賭けていた。
ファンファーレが鳴る。
「さあ、スタートしました!」
俺の祈りが通じたのか、あるいは単なる確率の収束か。
無理な前付けを狙った5号艇がフライングで散り、レースは安定した枠なり進入で進んだ。
第1ターンマークを旋回し、先頭に立ったのは大本命の1号艇。
6号艇は予想通り、はるか後方の波に飲まれている。
「よし……よしっ! そのまま!」
結果は1着1号艇、2着2号艇、3着3号艇。
誰もが予想した、ガチガチの本命決着。
しかし、確定オッズがモニターに表示された瞬間、全国の競艇ファンが目を疑ったはずだ。
単勝 1番:100,000円
本来なら数百円の配当が、10万円(1000倍)に化けた。
俺のスマホの残高表示が更新される。
払戻金:10,000,000円。
「勝った……!」
俺は歓喜の声を上げ、天井を仰いだ。
これでハイスペックPCも、サーバーも買い放題だ。
高慢ちきなお嬢様の身代金が、俺のあぶく銭に変わった瞬間だった。
◇◇◇
俺の「完全犯罪」は、完璧だったはずだ。
その男が、インターホンを鳴らすまでは。
「税務署の者です」
無機質な眼鏡をかけた男は、淡々と告げた。
「あなたの口座に多額の一時所得が確認されましたが、申告がありませんね。無申告加算税を含め、約500万円の納税義務が生じます」
俺は顔面蒼白になった。
1000万円? とっくに使ってしまった。
PCパーツ、高級な家具、連日の豪遊。手元には数万円しか残っていない。
「は、払えません……」
「そうですか。では差し押さえの手続きに入ります」
全てを失い、大学も退学になった。
だが、本当の地獄はそこからだった。
税金を払うために金策に走り回っていた俺の前に、黒塗りの高級車が滑り込んできたのだ。
後部座席の窓が開き、見覚えのある顔が覗く。
ミチルの父親だ。
「税金払えなくて困ってるんだって? 500万円、貸してやろうか?」
心臓が早鐘を打つ。なぜ、こいつが俺のことを?
社長は慈悲深い笑みを浮かべ、続けた。
「……利息は『お前の人生』だけどな」
◇◇◇
拉致された先は、雑居ビルの地下にある監禁部屋だった。
与えられたのはハイスペックなPC一台と、寝袋だけ。
「お前の腕は確かだ。最初の仕事だ、やれ」
社長が放り投げた資料を見て、俺は乾いた笑いを漏らすしかなかった。
ターゲットは、タケシの父親。
あの上場企業の社長を、スキャンダルのフェイク動画で強請れというのだ。
かつて俺が「リア充への腹いせ」で行った手口を、今度は「リア充の親父」の利益のために、強制的にやらされる。
因果応報にしては、あまりにも皮肉が効きすぎている。
薄暗い事務所、モニターの青い光だけが俺の顔を照らす。
背後では、屈強な男たちが怒号を飛ばし、誰かを殴る音が響いている。
俺は震える手で栄養ドリンクの蓋を開け、キーボードを叩き続ける。
ふと、スマホの通知が目に入った。
ミチルのSNSだ。
『パパの別荘最高! デジタルデトックス終わって、タケシくんともっとラブラブになった~♡ パパありがとう!』
添付された写真には、白い砂浜で抱き合う二人の笑顔。
彼らは何も知らない。
自分たちのバカンスが、一人の男を破滅させ、父親の裏稼業を肥え太らせたことなど露知らず。
「……クソが」
俺の呟きは、ファンの回転音にかき消された。
俺だけが、あの「パパ」の闇に堕ちて、彼らの享楽を支える金を、死ぬまで稼ぎ続けるのだ。
(完)
中山大障害、ホープフル、有馬記念、東京大賞典G1連闘の皆様に幸多からんことを祈念いたします。
読了頂きありがとうございました。




