第8話 狩りの結末
「――はあああああっ!!」
少女の咆哮が、獣の唸りを切り裂いた。 キヤは逃げない。 網に足を取られ、体勢を崩して滑り込んできた巨大な質量の塊に対し、彼女は一歩踏み込んだ。 死を恐れぬ特攻ではない。冷静な計算と、己の技量への絶対的な信頼が生んだ迎撃だ。
彼女が構える黒曜石の槍は、地面に石突きが固定されていた。 人間が手で突くのではない。大地の力を借り、相手の突進エネルギーを全て切っ先一点に集中させる「槍衾」の構え。
ドォォォォンッ!!
衝突の瞬間、鈍く湿った音が森の空気を震わせた。 グレイグルの喉元、分厚い筋肉の隙間に、冷たい石の刃が吸い込まれていく。 三メートルを超える巨体が、槍という一本の軸によって強引に制動された。
「ガ、アアアア……ッ!?」
苦悶の声。 槍の柄が限界までしなり、ミシミシと悲鳴を上げる。 キヤの細い腕に、巨岩を受け止めるような負荷がかかる。ブーツの底が泥を削り、身体が後方へと押し下げられる。 だが、彼女は引かなかった。 歯を食いしばり、血管が浮き出るほどに柄を握りしめ、その衝撃を耐え抜く。
「逃がすか……ッ!!」
槍の穂先はすでに深々と刺さり、主要な血管と気管を破壊していた。 鮮血が噴水のように噴き出し、キヤの顔と身体を赤く染める。 グレイグルが最期の力を振り絞り、前足を振り上げた。その爪だけで、キヤの頭蓋骨など容易く粉砕できる暴力。
「危ない!」
ルオの声が届くよりも早く、キヤは槍から手を放し、バク宙で後方へと退避していた。 空を切った爪が地面を叩き、泥を撒き散らす。 それが、森の王者の最後のあがきだった。
ドサッ……。
糸が切れたように、グレイグルの巨体が崩れ落ちた。 喉から突き出た槍が、墓標のように空を向いている。 痙攣が数度走り、金色の瞳から急速に光が失われていく。 やがて、完全に動かなくなった。
森に、再び静寂が戻る。 聞こえるのは、キヤの荒い呼吸音と、ルオ自身の激しい鼓動だけ。
「……死んだ、か?」
ルオは慎重に近づいた。 鼻先に手をかざす。呼吸はない。 圧倒的な強者だった怪物は、ただの巨大な肉塊へと変わっていた。
「……やった。やったぞ!」
遅れて駆けつけてきたトガとサリが、歓声を上げてキヤに抱きついた。 だが、殊勲の少女は笑顔を見せず、震える手で顔についた血を拭っただけだった。その視線は、まだ死骸に注がれている。 自分が殺した命の重さを噛み締めているのか、それとも死の恐怖が今になって襲ってきているのか。
「お見事」
ルオは短く声をかけた。 キヤがハッとしてこちらを向く。 その瞳には、興奮と、そしてわずかな困惑が混じっていた。
「……お前の罠のおかげだ」 キヤが掠れた声で言った。 「あの網がなければ、槍を構える時間はなかった。正面からぶつかっていれば、私は死んでいた」 「俺はただの時間稼ぎだ。最後に仕留めたのは、お前の腕だよ」
ルオは肩をすくめて見せたが、内心では安堵で膝が笑っていた。 勝った。 魔法も、特別な加護もない。ただの知識と、即席の道具で、この理不尽な世界を生き延びたのだ。 その事実は、前世で積み上げた「騙しの技術」とは違う、確かな自信となってルオの胸に刻まれた。
「さあ、帰ろうぜ。こいつを村まで運ぶのは骨が折れそうだ」
ルオがグレイグルの巨体を見上げながら言うと、トガが「任せろ!」と力こぶを作った。 木漏れ日が差し込み、血の匂いが漂う森を照らす。 それは、ルオという異邦人が、この蛮族の社会で初めて「個」として認められた瞬間だった。




