第5話 持たざる者の提案
翌朝、村を覆っていたのは、沈黙という名の諦観だった。 集会所である首長の家には、動ける男たちが集まっていたが、その表情は一様に暗い。 昨日の敗北は、彼らの戦士としての誇りをへし折るのに十分だったのだ。
「……やはり、北の山へ迂回して狩りをするしかあるまい」 「無理だ。あそこまでは距離がありすぎる。往復だけで数日かかる上、獲物がいる保証もない。村の備蓄が尽きるのが先だ」
出口のない議論。 その淀んだ空気を切り裂くように、入り口の布が跳ね上げられた。
「失礼します」
場違いなほど落ち着いた声と共に現れたのは、ルオだった。 背後には、心配そうにオロオロするサリもいる。
「ルオ? 何をしに来た」 首長が不機嫌に眉を寄せる。 「ここは戦士たちの場だ。水汲み係の来るところではない。下がれ」
大人の一人が手を振って追い払おうとする。当然の反応だ。 だが、ルオは動かなかった。それどころか、部屋の隅で膝を抱えていたキヤに視線を据え、静かに口を開いた。
「また、餌になりに行くつもりですか?」
ピクリ、とキヤの肩が跳ねた。 彼女はゆっくりと顔を上げた。包帯だらけの顔に、明確な殺気が走る。
「……今、なんと?」 「正面から挑んでも、昨日の二の舞だと言ったんです。あの『グレイグル』とかいう化け物は、あなたたちの槍より速い。違いますか?」 「貴様……ッ!」
キヤが立ち上がり、ルオの胸倉を掴み上げた。 圧倒的な力。ルオの足が宙に浮く。殺そうと思えば、指先に力を込めるだけでルオの首など簡単に折れるだろう。 サリが「キヤ様、やめて!」と叫ぶが、ルオは表情一つ変えずにキヤを睨み返した。 心臓は早鐘を打っている。だが、ハッタリは詐欺師の基本技能だ。
「怒る元気があるなら、頭を使ってください、キヤ様。……悔しくないんですか。あんな獣風情に、仲間を傷つけられたままで」
キヤの瞳が揺れた。 怒りではない。図星を突かれた悔しさだ。彼女が誰よりも、昨日の無力さを憎んでいる。
「……勝てるというのか。槍も持てぬ、お前のような木偶に」 「俺には勝てません。ですが、俺が『舞台』を作れば、あなたが勝てる」
ルオは告げた。 キヤの手から力が抜け、ルオはドサリと床に落ちた。 咳き込みながら立ち上がり、周囲の大人たちを見渡す。
「奴は速い。ですが、所詮は獣です。本能で動く生き物は、単純な罠にはめやすい」 「罠だと?」 首長が鼻で笑う。 「落とし穴か? 無駄だ。奴の跳躍力なら、どんな穴も飛び越える」 「穴じゃありません。……使うのは『壁』と『音』です」
ルオは床に落ちていた炭を拾い、板切れに図を描き始めた。 それは、前世の歴史で騎馬隊を無力化するために使われた『馬防柵』と、狩猟の『追い込み漁』を組み合わせた戦術だった。
「奴の武器は速度です。なら、加速できない場所で戦えばいい。森の木々を利用して通路を限定し、動きを封じたところを、キヤ様の一撃で仕留める」
ルオの説明は論理的だった。 感情論ではなく、地形と物理法則に基づいた作戦。 最初は懐疑的だった大人たちも、次第に身を乗り出し始めた。彼らとて、死にたくはないのだ。
「……だが、誰が奴をその『場所』まで誘き寄せる?」 首長が核心を突く。 「あれは警戒心が強い。半端な囮では見切られるぞ」
「俺がやります」
ルオは即答した。 隣でサリが息を呑むのがわかった。
「俺は魔力も膂力もない、ただの弱者です。奴から見れば、警戒するに値しない『最上の餌』でしょう」
これは賭けだ。 だが、ここでリスクを負わなければ、誰も動かない。詐欺師が客を信用させる最高の方法は、自らの身銭を切ってみせることだ。
沈黙が落ちた。 やがて、キヤが静かに口を開いた。
「……いいだろう」 彼女は黒曜石の槍を手に取り、切っ先をルオに向けた。 「その策に乗ってやる。だが覚えておけ、ルオ。もし失敗し、これ以上同胞を傷つける結果になれば……その時は、奴より先に私がこの槍でお前を貫く」
「構いません。……商談成立ですね」
ルオは不敵な笑みを浮かべた。 実際には、背中を冷たい汗が伝っている。 だが、舞台には上がった。あとは脚本通りに演じるだけだ。
「サリ、手伝ってくれ。必要な木材と蔦の量は多いぞ」 「……もう。知ってるわよ、馬鹿」
サリは涙目で、しかし力強く頷いた。
決戦は正午。 太陽が最も高く昇り、獣の影が濃くなる刻。 「最弱」の詐欺師と「最強」の戦士による、奇妙な共同戦線が始まろうとしていた。




