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蛮地の嘘つき軍師  作者: 呉羽錠


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第3話 灰色の悪魔

昼過ぎの集落には、肉と香草が煮込まれる匂いが充満していた。  広場の中央にある煮炊き場。そこでルオは、巨大な鍋を木の棒でかき混ぜていた。


「ルオ、火加減が絶妙ね。あんたに任せると、硬い猪肉も柔らかくなるから不思議だわ」


 隣で芋の皮を剥いていたサリが、感心したように鍋を覗き込む。  ルオは無言で汗を拭った。  別に魔法を使ったわけではない。硬い肉を果実の汁に漬け込み、繊維を分解させてから煮込んだだけだ。だが、力任せの料理しかしないこの部族にとって、それは一種の錬金術のように見えるらしい。


「……そろそろ煮える。サリ、味見してくれ」 「ええ、任せて」


 サリが小皿に汁をすくおうとした、その時だった。


「戻ったぞ! 手を貸せ!」


 悲鳴のような怒号が、村の入り口から響き渡った。  ただ事ではない。ルオとサリは顔を見合わせ、煮炊き場を飛び出した。


 入り口には、朝に出発したはずの狩猟部隊が雪崩れ込んでいた。  だが、その様相は悲惨だった。  屈強な戦士たちが肩を貸し合い、足を引きずっている。何人かは担架に乗せられ、その褐色の肌は鮮血で濡れていた。


「トガ!」


 サリが叫び、一人の大柄な戦士に駆け寄る。トガだ。  彼は右腕をだらりと下げ、顔面蒼白で息を切らしていた。その腕には、鋭利な刃物で抉られたような三本の深い傷が刻まれている。


「……っ、痛ってえ……」 「何があったの!? これ、ひどい傷……!」 「わからねえ。一瞬だったんだ。何か、灰色の塊が飛んできて……」


 トガは恐怖に引きつった目で森の方角を振り返った。  その奥から、さらに酷い深手を負った大人たちが運ばれてくる。


「道を空けろ!」


 鋭い声と共に、キヤが現れた。  彼女も無傷ではなかった。自慢の羽根飾りは半分ちぎれ、頬には赤い切り傷が走っている。だが、その瞳だけは燃えるような怒りと、隠しきれない焦燥に揺れていた。


 騒ぎを聞きつけた首長が、集会所から姿を現す。  歴戦の傷跡が残る巨漢の首長は、惨状を見渡して眉をひそめた。


「キヤ、何があった。南の森で何を見た」 「……奴が出ました」


 キヤは唇を噛み締め、血を吐くように告げた。


「**『グレイグル』**です」


 その名が出た瞬間、周囲の空気が凍りついた。  サリが息を飲み、大人たちがざわめき出す。ルオですら、その名が意味する絶望を知っていた。


 グレイグル。  密林の樹上を風のように駆け、鉄のような骨格を持つキバ族すら一撃で引き裂く、巨大な灰色の豹。  森の生態系の頂点に君臨する、「死」そのものだ。


「馬鹿な。奴の縄張りはもっと北の山岳地帯のはずだ」  首長が唸る。 「ええ。ですが、奴は確かに南の狩場に現れました。……動きが速すぎて、槍が届きません。主力部隊の半数がやられました」


 キヤが悔しげに拳を握りしめる。  部族最強の彼女ですら、頬をかすられるのが精一杯だったのだ。


「狩場を……占拠されたか」


 首長の言葉に、絶望的な沈黙が落ちた。  そこはこの時期、獲物が集まる最も重要な食料庫だ。そこを封鎖されれば、村は干上がる。  かといって、今の戦力で挑めば全滅は必至だ。


「父上、私がもう一度精鋭を率いて……!」 「ならん!」


 首長が一喝する。 「手負いのお前たちを行かせれば、ただの餌になるだけだ。……だが、奴を放置すれば村は飢える」


 八方塞がりだった。  大人たちが口々に議論を始めるが、誰も有効な手立てを持たない。「総力戦で挑むか」「森を捨てるか」という極論だけが飛び交う。


 その喧騒の外側で、ルオは静かにトガの傷口を見ていた。  深く、鋭い爪痕。  だが、ルオの脳裏には恐怖よりも先に、冷徹な計算が走っていた。


(……速すぎる相手に、正面から槍で挑むから負けるんだ)


 力比べでは勝てない。  ならば、ルールを変えるしかない。  ルオは周囲の混乱をよそに、ゆっくりと視線を森の方角へと向けた。


「……おい、ルオ。水を持ってきてくれ」  怪我人の手当てをしていた男に怒鳴られ、ルオは「あ、はい」と現実に戻った。


 今はまだ、ただの雑用係だ。  だが、この状況を打破できるピースを持っているのは、筋肉自慢の戦士たちではなく、鍋をかき混ぜていた自分だけかもしれない。


 村を覆う灰色の絶望が、ルオの中で静かに火を点けようとしていた。

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