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聖女様、失敗をお待ちしています

作者: 河辺 螢

 この国では治癒の力を持つ者を「聖女」と呼んだ。


 戦場を駆け抜け、多くの重傷者を祈りで治し、この国に勝利をもたらした聖女。

 大火災から人々を救った聖女。

 猛毒を持つ獰猛な魔獣を諫め、人を、大地を清めた聖女


 …など、伝説には事欠かなかったが、平和な時代にそんなすごい聖女はなかなか現れない。


 それでも人々は奇蹟を求め、治癒の力を持つ者は(いにしえ)さながら聖女と呼ばれた。特に力の強い者は中央に引き抜かれ、王族や貴族の治療をしながら悠々自適に暮らすのが常だった。



 ここヴェルディーア地区の教会にも不思議な力を持つシスターがいた。

 とはいえその力は実にささやかなものだ。具合が悪いところに手を当てて五分ほど。祈りと共にちょーーーっと、痛くなくなった? 楽になった? 程度に痛みが治まり、ほんわかといい気持になる。その後の怪我や腹痛などの治りは早く、人々は敬意を込めて「聖女様」と呼んでいたが、当人は聖女などと呼ばれるのはおこがましいと思っていて、他のシスター同様ルーラと名前で呼ぶようお願いしていた。



 教会では週に一回の祈祷の後、大鍋で煮込んだスープを集まった人々にふるまっていたが、残念なことにルーラはあまり料理が得意ではなかった。具材を切るのは問題なかったが、味付けをするといつも何かが足りない、なんか変な味と首を傾げられ、火の番をしていても生煮えだったり、ぐつぐつ煮立たせすぎたり、うっかり焦がしてしまうこともあった。


 自信作だと思って振舞っても、同僚のイレーナやジェンナが作ったものの方が受けがいい。しかし自分で食べても自分の作ったものよりイレーナやジェンナの作ったスープのほうがおいしいと思うのだから仕方がない。それでも作るからにはみんなが喜んでくれるものを作ろうと、食堂のおかみさんや料理の上手な主婦から手軽で安くておいしいスープの作り方を教わり、いろいろ工夫してみた。



 その日も頑張って作ったスープを振舞ったが、初めはうきうきして並んでいた人々は、スープを受け取ると微妙な顔になった。

 味見をしてみたが、別にまずい訳ではない、と自分では思う。それなのに落胆ともとれるがっかり感が伝わって来て、ルーラは自信をなくしてしまった。

 ルーラがしょげているのを見て、慌てて人々は

「おいしいな、な?」

「う、うん!」

と言って残さず食べてくれたが、ごまをすっているのは明らかだ。

 鍋は空にはなったが、せっかく寄付してもらった食材を充分に活かせなかったことにルーラはがっかりした。


「女神様…。次こそは、皆様からいただいた供物を活かし、皆様の心を和ませるようなおいしいスープを作ることができますように…」

 ルーラは手を組み、天に向かって祈った。



 翌週はルーラは用事があって祈祷の後の炊き出しに参加できなかった。イレーナが作ったスープは寄付してもらったきのこがいい出汁になり、好評だったようだ。

「みんな、ルーラのスープを楽しみにしていたみたいよ。今日は聖女様がいないって残念がってたわ」

なんて言われたが、絶対嘘だ、と思った。


 さらに、誰が作ったスープか知りたいと言われたらしく、次回からスープを作ったものは赤い線の入った三角巾をつけて鍋の前に立つことになった。まずいスープを作った時にはさらし者になるようなものだ。しかし司祭が決めた方針に逆らう訳にもいかず、自分の時だけ人が避けていくと嫌だなぁ、と思いながらも従うことにした。



 翌々週、ルーラがスープを作り、鍋の前に立つと皆列を作って待っていた。コップや壷、深めの皿など、自宅から容器持参で来ている者も多い。

 少しは期待されているのかな。

 今日は豆のスープだ。最後の人にも豆が行き渡るように、豆入れすぎ注意で器に盛っていった。


 その場で口にした子供が、

「うっ」

と声を上げて口を押えた。

 既に受け取っていた人達は手にしていたスープを口にすると、これまた一口で手を止め、目と目を合わせ、小さく頷くと飲みかけのスープを手にしてどこかに行ってしまった。

 ルーラは何かやらかしてしまっただろうか、とスープを味見しようとしたが、

「私もちょうだい!」

「私も!」

と並んでいた人達にせかされ、気がつけば長蛇の列ができていて、味を確かめる間もなくスープを注いでいった。

 全員に行き渡る前にスープはなくなってしまった。手に入らなかった人はがっかりしていたが、先に受け取った人が少しおすそ分けをすると、何度も何度も礼をしながらもその場で飲むことなく持ち帰ったようだ。

 結局ルーラは味見できなかった。


 教会が用意した容器を使った者は後日きれいに洗って返しに来た。返された容器には野菜や果物、穀物など、女神への供物が盛られていて、容器を持参していた人達からも多くの供物が届いた。司祭はホクホク顔だった。


 その翌週はジェンナが、その翌々週はイレーナがそれぞれ工夫を凝らしたスープを作った。

 秋が深まるほど教会のスープの提供は好評で、隣の町からわざわざ来ている人もいるという。寒さが増すほどに人は増え、祈りに来なくてもスープだけもらいに来る人も多いが、それを不信心だと咎めることはなく、女神の御心のまま炊き出しは続けられた。



 その翌週、ルーラがスープを作る番が来た。

 鶏ガラと野菜を前日から煮込んでスープを取り、骨を取り出して刻んだ野菜を入れ、さらにじっくりと煮込んでいく。

 なんだか傑作の予感。きっとみんなに喜んでもらえるはず。

 ルーラは大鍋をかき混ぜながら期待に胸を膨らませた。


「ルーラ、お客様よ」

 呼ばれて行くと、先日足をくじいたおばあちゃんから、痛みが出てきたからまた施術してほしいという依頼だった。

 痛みを取る施術は五分ほどなので、その場ですぐに済ませた。

 痛みが引き、おばあちゃんはいたく感動したらしく、お礼を述べながら長々と話し込んできた。足をくじいた時の話はこれで三回目だが、続いて嫁の話、孫の話、飼っている犬の話まで出て、お迎えが来てようやく解放されたら四十分は経っていただろうか。

 スープを作っていたことを思い出し、慌てて鍋のところに戻ったが、案の定、なべ底は焦げついていた。弱火だからと甘く見ていた。

 味見してみたが全体に焦げの味が広がっている。

 なんてこと、せっかくのスープが…。

 今から作り直しても間に合わない。

 ルーラはうなだれながらもその焦げたスープを持っていくことにした。みんなに見せたうえで、今日はお出しできません、と謝ろう。楽しみにしてくれている人たちには悪いが…。


 スープとともに広がる焦げたにおい。

 ルーラが言い訳するよりも早く、

「聖女様が失敗なさったぞ!」

 誰かの声で人が集まり、配給の列ができた。

「あ、あの、今日のスープ、焦げちゃって…」

 言い訳などする間もなく、集まった人々は早く器に盛るようせかした。

「早く()いでください!」

「わたしもちょうだい!」

「えっ、えっ?」

 うろたえるルーラをよそに、ジェンナはそのおこげスープを器に入れていった。

「ほら、あなたも注いで!」

 こんな失敗作なのに。恥ずかしさと申し訳なさでいっぱいだったが、どうしたことか受け取る側はいつも以上に高揚し、そして今回もその場で飲む人は少ない。


 底の方になり、おこげの塊が出てくると、さっきスープを受け取っていた人までもがもう一度並び、焦げを分けてくれと頼んできた。

 おこげはスプーンですくい、ひと匙分渡されたが、

「うちは4人家族なんです」

「こっちはずっと待ってるんだぞ!」

「押すな押すな、並べ!」

などと、ただならぬ様子になってきた。

「皆さん、そんな事では女神様が悲しみます」

 ルーラの一言で皆きれいに列を作り、おこげは端の端まできれいにすくわれ、なくなっていた。


 これは、一体何? 何かおかしい。

 ルーラはスープやおこげを持って帰った人の後を追いかけ、そっと聞き耳を立ててみた。

「おーい、持って帰ったぞー!」

「わあ、おこげもある。真っ黒だー!」

 子供の囃す声に、ルーラはますます恥ずかしくなった。

「おこげは日持ちするからとっておくぞ。ほら、スープ」

「はいはい。聖女様、腕を上げたわねー。いいだしが出てるわ。焦げ臭いのが残念だけど」

 焦げ臭くてすみません、ルーラは心の奥で何度も謝った。

「焦げてる方が効くからな。みんな喜んでたよ」

「前のスープはずいぶんしょっぱくって、薄めてみんなで楽しめたけど、今回は…、そうね、このお肉の煮込みに入れてみようかしら」

 しょっぱかった…? 薄めてみんなで楽しんだ…??

 薄めないと飲めないほど???

 今回は煮込みって、それはスープでなくて、調味料かなんかの扱いでは????

「聖女様の失敗作って、ほんと体にいいから」

「味が悪いほど効き目が長いよな。こないだのスープなんて、三日は力がみなぎってたもんな。不思議だなぁ」

 不思議なのはルーラも同じだ。そんな効果があるなんて信じられない。

「お向かいの旦那さん、ぎっくり腰が一日で治ったって言ってたわよ」

 そんな効能、ある訳ない。何かの間違いでは…??

「まあ、普通においしくても元気にはなるけど、やっぱり失敗したやつよね」


 何と言うことだ。失敗作がもてはやされている。

 そんなことがあるだろうか。気のせいじゃないんだろうか。思い込み、偽薬効果、信じる者は救われる…。


 ルーラが教会に戻る道中、男の子が転んでひざをすりむいた。泣きだした子供に通りすがりの人が

「あらあら、泣かないのよ。ちょうどいいものがあるわ」

 そう言って取り出したのはあのおこげだった。

 そんなもの、塗っちゃダメ! せめて傷口を洗ってぇ!!

 焦るルーラをよそにおこげが傷口に塗られると、傷口の汚れも裂けた傷跡も、時間を巻き戻したかのようにきれいになっていた。


 うっそー!



 ルーラは教会に戻ると、イレーナとジェンナに見たこと、聞いたことを話した。

「なんか変な噂にはなっていたけど…」

「試してみたら? ほら、わざと焦がしてみるのよ、スープを」

 ジェンナに提案されたが、ルーラは大きく首を横に振った。

「そんな、食べ物をわざと焦がすなんて、女神様がお許しになる訳がありません!」

「薬になるなら女神様のご意向ってやつじゃないの? まずは試して、それからよ」


 二人に言われるまま、ルーラはジャガイモを小さな鍋で茹でた。

 おいしそうなのに、火を止めてはいけない。

 少しづつ茶色に変化していく鍋肌。焦がすためでも丁寧にかき混ぜ、ああ、ここで止めたいのにぐっと我慢し、女神様に向けてずっと謝り続けた。茶色がこげ茶に、そして黒ずみ、マッシュポテトからマッシュ炭になったのを見て、ルーラはぽろりと涙を流した。ごめんなさい、大事な食べ物なのに。

 ひと匙すくって口にしてみたが、苦いばかりで何の効果があるのかわからない。あかぎれに塗ってみても効果はなく、肌がきれいになる訳でもない。やはりわざとおこげを作ったところで女神様の恩恵は得られないのだろうという結論になった。


 ルーラは、ジャガイモにごめんなさいと何度も謝った。そしてこれからは決して食べ物を無駄にはしないと、女神様の像に向かって毎日反省の言葉を唱えた。

 女神像はいつもと変わることなく、人々を微笑で見守っていた。



 毎週よりは一カ月に一度くらい。

 失敗すればするほど元気になる力が湧いてくる。

 おこげは保存がきいて常備薬に。


 いろんな噂が飛び交おうと、ルーラのおいしいスープを出す目標は変わらなかった。

 じっくり煮込み、しっかり混ぜ、おいしくなることを願い続ける。

 みんなのために。食材のために。

「よし、今回こそは、皆傑作だと言ってくれるわ!」


 しかし、ルーラの努力とは裏腹に、みんな聖女様の失敗を心待ちにしていた。







お読みいただき、ありがとうございました。


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