第一章 始まりの場所に・後編
制服のまま寝ていたから、やることと言ってもせいぜい服の皺を伸ばして、髪を整えて、顔を洗って……それくらいである。洗面所の場所は昨日教えられたから問題は無し。この世界にも水道とかそういう設備はあるらしい。
一通り終えて食堂に入ると、ちょうどこちらを向いたアレスと目が合った。
「良く眠れたか?」
「……ええ、まぁ」
微笑んでくるアレスの問いに首肯し、促されるまま空いている椅子に座る。と同時に、一人の少年が立ち上がった。
エディよりは年上だろうか。紫がかった銀髪に、深い紫眼。賢そうな、それでもまだまだ子供っぽさの残る子だった。
「どうした? テオ」
アレスの問いに、テオと呼ばれた少年は警戒するように私の方をちらりと見て、そしてアレスに視線を戻す。
「オレはもう食い終わったし、外行ってくる。……行くぞカイル」
その言葉に、彼の隣に座っていた明るい茶髪に茶色の瞳の小さな少年が慌てて立ち上がり、彼の後を追う。何か言っているみたいだけど、声が小さいのか私には聞こえない。
……ふむ、これでも感覚は普通の人の何倍も良いはずなのだけど。
「良いんだよ別に! じゃ、昼までには戻るから」
しかしテオにはその声は聞こえたらしく……怒鳴るように答えて二人は部屋を出て行く。
呆然とする私と、嘆息するアレス。エディが呆れたように呟く。
「もー、二人とも子供なんだから……エレナお姉ちゃんは大丈夫だと思うのに、全然分かってないんだもん」
その言葉の意味も気になるけど、その前に。
「……それで、あの二人は? 恐らくここにいる三人のうちの、残りの二人ですよね」
訊ねると、アレスは首肯。
「ああ。大きい方がテオ……テオドール=レイゼンファ。十二歳だから、子供達の中では一番年上だな。俺とも一番長い付き合いだ。で、小さい方はカイル=カルアディス。五歳。テオと一緒に遊んでいることが多いか」
「……男の子ばっかりなんだもん、エディが女の子らしくないのはしょうがないんだよ」
エディの呟きに、思わず苦笑する。
確かにその環境じゃ『女の子らしさ』に触れる機会は無いかもしれない。そういえば『エディ』と言うのは、私のいた世界じゃ主に男性の名前として使われるものではなかったか。まぁ、この世界では違うのかもしれないし、そもそもエディと言うのは愛称だとさっきはっきりしたのだけれど。
だけど、私はエディに微笑みかける。
「そうでも無いと思うわよ?」
「ほんと!?」
目を輝かせるエディと対照的に、アレスは驚いたような顔で私を見る。
「何ですか」
「いや……そんな顔も出来たのか」
その言葉で私はまた自分が笑っていたことに気付いた……けど、それを素直に認めるのは恥ずかしいので言い返してみる。
「……失礼ですね」
「すまない。自分でもそう思った」
彼は素直に謝る。……こういうところが、私にはとても眩しく思えるのだけど。
「じゃ、エディも外行って来るねー!」
「ああ、気をつけろよ」
部屋を出て行くエディを見送って、そして私に向き直るアレス。
「さて……これからどうするか、なんだが。昨日君がいた森を抜けると、割と大きな街があるんだ。今日の午後は買出しに行くつもりだから、そのついでに君を送ろうと思う。働き手を必要としている店が多いから、追い出されることは無いだろう。王都と違って人も優しいからな」
「王都と違って、というのが気になりますね」
呟くと、アレスは苦い顔をする。
「……王都には、『軍』がいるからな」
「『軍』?」
その単語に首を傾げると、彼は一度だけ嘆息し、私を見た。
「ああ……そうだな、とりあえず昨日の続きでも説明しておくか。この国……イグレシアには、二種類の軍事組織があるんだ。一つは王立騎士団。国王の名の下に編成された、ちゃんとした組織だ。こっちは信用して良い」
そこで一旦言葉を切るアレス。私が黙って続きを促すと、彼は軽く首肯して続ける。
「問題はもう片方、『軍』の方だ。正式な名称は知らないが、やっていることは嫌と言うほどよく知っている。簡単に説明すると、生まれつきの精霊術者の迫害だ」
「つまり、貴方達の敵……ということですか」
「……そういうことになるだろうな」
答える彼の声は、どことなく疲れたかのようで……それと同時に、氷の如く冷たい何かも含んでいて。
一瞬だけ彼の目に浮かんだ、とても強い憎しみの色。後悔、悲しみ。
他人である私にすら分かるその感情に、何かあったんだろうな、と考えて……
だけどそのことを訊ねる前に、彼は話を続ける。
「実際、奴らは何度かここに来たことがある。精霊術者を保護するなど言語道断、この世の理に反している、さっさと子供達を引き渡せ……そんな感じだな」
「…………よく断れましたね」
「奴らもせいぜい警告程度だったみたいだからな。それと、ちょっと脅した」
「脅した、ですか」
表情一つ変えずにとんでもないことを言われた気がする。
だって話を聞いていると『軍』というのは嫌な奴らだけどそれなりに強い組織のようで、当然それなりの権力とか発言力も持っているはずで。
それを脅したと、彼は言っているのだ。
どうやって? と訊ねたいのを堪える。
訊ねても、恐らく答えてはくれないのだろうし……それにどうせ、後数時間で彼らとは別れることになるのだ。
どうしようかは決めていないけど、とにかく街に行って仕事を見つけて、普通の暮らしを。街に来た彼らに会うこともたまにはあるかもしれないが、所詮顔見知りの域。深く踏み込む必要は、無い。
そのはずなのに。
知りたい、と思ってしまう私がいて。
……何だろう。信用した、わけでは無いのだろう。
なのに彼らの――彼の、アレスの近くにいたいと、そう思ってしまう。力になりたいと。
その気持ちには名前がついているのだろう。だけど私には、分からない。
いや、何となく分かるのだけど、確信が持てなかった。
今まで一度も抱いたことの無い、触れたことすらない『想い』だから。
「っと、話が逸れたな。とにかく王都には、騎士達のような根っからの善人もいるが、同時に『軍』の奴らもいるんだ。だから、あまり平和とは言えない。少なくとも俺達にとっては、な」
「……そうでしょうね」
鉢合わせでもしたら、どうなることやら。
ああ、だから彼らはこんなところにいるのか。街から歩いて一時間以上かかるような、森に囲まれたところに。予想が正しければここは国の中でも辺境だと考えて良いだろう。人が来ない場所であればそれだけ来るのが不便にもなるし、そうなれば『軍』とやらが来る回数も自ずと減っていくだろうから。
「ここから一番近い街の人間は、精霊術者……エディ達の存在を容認しているのですか?」
「ああ。食料やら、そういう生活に必要なものを手に入れるにはあの街に行くしかないだろう? 最初は反発する人間もいたが、今は殆どいない」
人も優しい、とさっき言っていたから、それは思い込みなどではなく、本当に街の人間と打ち解けたということなのだろう。
無意識に、そんなことを考えている自分に気付く。
彼らを理解しようとしている自分に、気付く。
……さっさと決断してしまうべきかとも思うけど、決断には後押しが必要で。
「一つ提案なのですが、アレス」
「何だ?」
「いえ、今の話とは関係の無いことなのですが、泊めてもらった礼がまだでしたから……街に行くのは昼食を終えてから、ですよね」
「……そうなるな」
訝しげに首肯するアレス。
「でしたら、私に作らせてもらえませんか? 昼食」
「いや……流石にそこまでさせるわけには」
「そこまでも何も、私からは何も返していないでしょう。借りは作りたくありませんから。……味は保証しますよ、料理は得意ですから」
そんな私の言葉に。
少し考え込んで、彼は頷いた。
「それもそうだな。じゃあ、任せて良いか?」
「最初からそう言っているでしょう」
僅かに微笑みながら、私は答える。
……これでタイムリミットは決まったぞ、と自分に言い聞かせながら。
***
とは言えまだ昼まではだいぶ時間があるわけで、どうしようかと迷った私にアレスが『ここの子供達と話してみたらどうだ?』と提案してきた。
まぁ他にやることも無いしと、外に出てみたのは良いけれど。
「……話す以前に、そもそも見つけることが難しいですね……」
無駄に広い庭を歩きながら、そっと嘆息する。ちなみにアレス曰く、一応この施設の敷地は柵で囲まれている範囲なのだけれど、子供達には森の入り口辺りまでなら行くことを許可しているらしい。この辺りに人が来ることはあまり無いからと。
まぁ、そもそも柵の中でもかなりの広さがあるから、まずはそこを探すべきなのだけど。
と、木の下で金髪が揺れているのが視界に移る。エディかと思って近付いてみると、予想通り。
「エディ?」
「あ、エレナお姉ちゃん! どうしたの?」
笑顔で私を見上げる少女の手には、本。
「……読書?」
何となく、この子には似合わないな、と思って首を傾げると、エディは首肯して読んでいた本を見せてくる……けれど。
「文字は私のいた世界とは違うみたいね……ごめんなさい、読めないわ」
「言葉は通じるのに?」
「ええ、そうみたい」
「そっかぁ……これねー、お料理の本なの。いつもお兄ちゃんのお手伝いするんだけど、分かんないこともあるから……だから、お勉強!」
「偉いのね」
エディの言葉に頷きつつ、思いつく。
「そうだエディ、じゃあ後でちょっと手伝ってくれないかしら?」
「ふぇ? 何を~?」
「料理よ。今日の昼食、私が作ることになったから」
「本当!?」
エディの目が輝く。
「本当よ。それで、エディにも手伝って欲しいの。駄目?」
「ううん、手伝いたい! ……でも、良いの?」
「ええ、大歓迎よ」
頷くと、エディの顔に笑みが広がる。……見ているとちょっと落ち着いたりして、段々と影響されているなぁ……などと少し思って。
「あ、そうだエディ。後の二人、どこにいるか知らないかしら」
「後の二人って、テオとカイル? えーっとね、カイルは川の近くじゃないかなぁ? テオは多分、カイルが知ってると思う! ……一緒に行く?」
「良いの?」
「うん! だってお料理はお姉ちゃんが教えてくれるんでしょ?」
なるほどそれもそうか、と私は頷き、立ち上がったエディの後についていく。
歩きながら、彼女は私の方を見て訊ねてきた。
「でも、テオ達に何の用なのー?」
「用ってほどじゃないのだけど……少し、話してみたくて」
「そっか……あのね、エレナお姉ちゃん」
エディは納得したように頷いた後、さっきまでとは打って変わった真剣な表情で私を見上げる。
「テオが何言っても、カイルが何しても、あまり怒らないでね。多分、怖いだけだと思うの。二人とも、子供だから」
まるで自分はそうでは無いかのように言ってくるエディ。
「怖い……? エディは、怖くないの?」
「そんなことない」
首を横に振る彼女の表情が、微妙に変化する。
「わたしだって、こわいよ」
それはこの子を初めて見たときと同じ……
儚げな、少し突いただけで崩れてしまいそうな、そんな表情。
一人称すら変わるそれは、恐らく彼女が普段隠している本心なのだろう。
エディはすぐにその表情を隠し、明るい笑みを浮かべる。
「でもね、怖がっていたら何にも変わらないから! だから、エディはお姉ちゃんのこと信じてみることにしたんだ!」
――信じてみる。
その言葉が、心の中で反響する。
……その言葉の意味を、私は知らない。信じるとは何なのか、どうすれば人を信じられるのか、分からない。忘れてしまった。
だけど、この子は強いと思う。
わざわざこんなことを言うってことは……きっと過去に、人を信じるのが怖くなるような『何か』があったのだろう。それは当然なのかもしれない。だってこの子は『精霊術者』の一人で、この世界の人間には迫害されてしまう立場らしいから。
それでもこの子は、笑顔なのだ。
簡単に笑うことを忘れた私には眩しく思えるくらいに、この子は前向きなのだ。
「凄いのね、エディは」
「ふぇ?」
呟いた言葉は聞こえていなかったようで、だけどエディは笑顔で私を見上げる。
答えようとすると、エディが前の方に視線を移した。いつの間にか森に入っていたようで、つられて見ると視界に入るのはたくさんの木々と流れる川と、
「……カイルかしら?」
「うん、発見ー!」
川辺に座ってぼんやりと宙を眺める、幼い茶髪の少年だった。
エディの声が聞こえたのか、彼は振り返り……エディの隣にいる私を見て、怯えた表情を浮かべる。
「――――」
駆け寄ってきて、エディに何かを訊ねるカイル。声が聞こえないことに首を傾げると、エディが説明してくれる。
「カイルはね、喋れないんだよー。普段は精霊の力を借りているの。カイルが信用している人にだけ、精霊が『声』を届けてくれるんだって。まぁ、それはカイルの本当の声じゃないんだけど……」
「そう、それで聞こえなかったのね……つまり私は信用されていない、ってことかしら」
「……多分」
エディは控えめに頷いて、カイルの方を見る。
「でもねー、カイル。エレナお姉ちゃんは良い人だよ?」
正直自分がそれほど良い人間だとは思わないのだけど、まぁそこは流しておくとして……私はまた聞こえない『声』で返答するカイルの、その口元を見つめる。
「――――」
「そうね、それは私も同感だわ」
「ふへっ!?」
私が答えるのを聞いて驚くエディ、カイルも驚きの表情を浮かべている。
……まぁ、ある意味予想通りの反応でもあるか。
「お、お姉ちゃん……カイルの言ったこと、分かるの!?」
「え? ええ……『どうして良い人だって言えるの?』でしょう。違うかしら?」
「ううん、合ってる……どうして? 何で分かったの?」
「読唇術、よ。唇の動きを読んだの」
向こうの世界で――東宮で叩き込まれた技術の一つである。使いたくないと思っていたのだけど……こういう形で使うのなら、悪くない。
呆然としているカイルに、私は続ける。
「それでね、カイル。私も同感よ。会ったばかりの人間を『良い人』だって断定する材料なんて無いし、むしろ私なんかを良い人扱いするエディの方が異端だわ」
「ふぇ、お姉ちゃんそれは酷――」
言いかけるエディに、そして黙って私を見ているカイルに向けて。
そっと、問いかけるように。
「だけどね、私は貴方達と仲良くなりたい。貴方達の言う『良い人』でありたい。貴方達に信じてほしいし、信じたいの。……駄目かしら?」
二人の反応は、全く逆のものだった。
顔を上げて嬉しそうに笑顔を返してくるエディと、俯いて何も答えてこないカイル。しばらくしてカイルも顔を上げ――
「駄目じゃないよ。ぼくも、信じたい」
聞こえた『声』に彼の方を見ると……カイルの表情は、笑顔だった。
「ところで、カイルはあそこで何をしていたの?」
カイル曰く森の奥の方にいるらしいテオを探しながら、私はそう問いかける。ちなみにこの数分でこの子とも打ち解けられたようで、カイルも私に普通に受け答えしてくれるようになった。
とは言えこの『声』は彼の本当の声では無いらしいのだけど。
「えっとね……精霊と、お話」
「精霊と? ……確か精霊は『全てを構成し、司るもの』だったかしら」
「うん! カイルはね、精霊と仲が良いんだよ。エディもテオも精霊と話は出来るけど、ちゃんと仲良しなのはカイルだけ!」
「……全部じゃ、無いよ。水の精霊の、ほんのちょっとだけ」
恥ずかしそうに言うけれど、それは相当凄いことなのではないだろうか。これも彼が精霊術者であるが故なのか。
「つまり、カイルのその『声』を作っているのは水の精霊なのかしら?」
問うと、カイルはこくりと首肯。
「うん……他の精霊だと、あまり上手くいかない……から」
「そうなの?」
適性というか、属性のようなものだろうか。向こうの世界の小説なんかには良くある、『こういう系統の魔法は得意で~』みたいな……そういえば精霊も四種類いるといっていたし、自分に合うものと合わないものがあるのは当然だろう。
……と、不意にカイルが立ち止まる。
「どうしたの?」
「……いた」
彼の視線を追って上を向くと、木の上で何かが光った。いや、考えるまでも無いか。光ったのは銀色の髪。つまり……
「面白いところにいるのね、テオ? だけど私は貴方と話をしたいの、ちょっと下りてきてくれないかしら?」
「……家族以外の奴が、テオって呼ぶな」
私を睨みつつ、案外あっさり降りてきてくれるテオ。座っていた枝から飛び降り、鮮やかに着地する。……異常な身体能力も精霊術者であるが故だとしたら、ちょっとずるいかもしれない。
彼はどうやら私に愛称で呼ばれるのは嫌らしい。まぁ、気持ちは分からなくも無いかもしれないので気にせず今は希望通りちゃんと名前で呼ぶことにする。ええと……
「テオドール、だったかしら?」
訊ねるも、返事は無い。まぁ否定してこないってことは、これで良いのでしょうけど……代わりに彼は私の背後、エディとカイルに視線を向ける。
「何だよ……エディもカイルも、結局そっちの味方かよ」
「あのねーテオ、お姉ちゃんは良い人だよ? エディはテオと違って子供じゃないから、お姉ちゃんのこと信じることにしたの!」
「子供はエディだろ、オレより三つ下のくせに……で、カイルは何でだよ」
「……お姉ちゃん、分かってくれた。ぼくの、ことば」
「は? ことばって、カイルの『声』かよ? カイルから心を開いたわけじゃないよな?」
「う、ん……それでも、分かってくれた、から」
「……それが事実だとして、お前それだけで信じたのかよ。信じられるかどうか、それだけで判断して良いのかよ」
やはりこの子達に共通しているのはここか、と……当事者でありながら三人のやり取りを傍観していた私は、その事実にふと気付いた。
即ち、相手が信じられる人間なのか否か。それをこの子達は、必死で確かめようとしているのだ。
……そういう意味では、私と似ている。
「テオこそ、分からないの? お姉ちゃんは『軍』の人達とは違うよ。だからエディもカイルも、お姉ちゃんを信じるんだよ。テオにはそれが分からないの?」
『軍』。
昨日聴いた……この子達を脅かす存在。
その名が出た途端にテオはびくりと肩を震わせ、それでもエディを睨みつけて言い返す。
「あいつらじゃなくても、オレ達のこと嫌ってる奴は大勢いるだろ! エディもカイルも、精霊術者のこと知ってる人間に……アレス兄以外の人間に、ちゃんと人として認められたことあるのかよ!」
悲痛な叫び声。
それはつまり、彼らがアレス以外の人間には酷い扱いを受けていたことを……人として扱われないことを告げていて。
テオの言葉は、それでも『認めてほしい』と訴えかけてきていて。
「……っ!?」
気付くと私は、テオを抱きしめていた。驚いたように黙り込み、それでも私から無理やり離れようとはしない彼の体は、確かに震えていて。
……やっぱり、同じなのだ。この子達は。
寄り代を失い、一歩先も見えずに震えていた、小さな頃の私と。
心を閉じることしか出来なかった、幼い頃の私と。
だから……
「信じろ、なんて言わないわ」
貴方達のその気持ちは、よく分かるから。
「それでも、貴方達に信じてほしいの。貴方達を信じたいの」
カイルに言ったのと同じ言葉を、繰り返す。
せめてこの子達の前では、『良い人』でありたいと……そんな初めての願いを、そっと心の中で呟いて。
やがてテオは、小さな声で言う。
「…………異世界から来たって、アレス兄に聞いた」
「ええ」
「魔法とか精霊とか、そういうこと全然知らないって」
「そうね、知らないわ」
「怖がらないって、約束出来るのかよ。オレ達のこと……精霊術のこととか、知っても。精霊術を見ても。……大の大人だって、逃げ出すような力なのに」
「約束出来るわ。そんな力、慣れっこだもの」
テオの顔を見て、微笑む。まだ慣れない、ぎこちない笑顔。それでも効果はあったらしく、彼はしばらく硬直し……
不意に私の腕から抜け出し、森の更に奥へ駆けていこうとする。
……駄目だった、かしら。
「テオドール?」
「テオで良い」
こちらに背を向けたままの、短い言葉。
だけどそれは、彼もまた私を認めてくれたという、信じてくれたという証でもあった。
「……テオ。何処へ行くの、もうすぐお昼よ?」
「エレナ姉が作るのか!?」
驚いたようにこちらを振り返るテオに対し、頷いてみせる。
「ええ。エディにも手伝ってもらうけれど」
「そっか……あ、昼食出来る頃にはちゃんと戻るから、三人とも先に戻っててくれ」
「良いけど、何するのー? テオ」
それまで黙って私達のやり取りを見ていたエディが横から口を挟んでくる。
「決まってんだろ、いつもの魔法の練習!」
「……ずる、い」
羨むようなカイルの声に、テオは苦笑。……その表情にはさっきまでのような不安や警戒は無く、だけど大人びていて。
「カイルもアレス兄に教わってんじゃん」
「でも……テオみたいに上手く、出来ない、から」
「それは単に練習と、後は年齢の問題だろ。大きくなれば出来るようになるっつの。それより早くしないと昼、間に合わないんじゃねーの?」
「そうね、テオの言う通りだわ。行きましょう」
エディとカイルがついてくることを確認して、来た道を辿る。
「行く当て、か……決まってしまいましたね、この世界でやりたいことが」
歩きながら。隣を歩く二人に聞こえないよう、そっと呟く。
彼らの優しさに甘えてしまうようだけど、それならそれ以上の気持ちを返せば良いと。
そんなことを思えるまでに、この短期間で子供達は私の心を溶かしていたのだった。
……だから。
***
正直に言ってしまえば、エレナの料理の腕は予想以上だった。俺の何倍も上手い……どころか、もうこれで商売が出来るレベル。それも、例え王都で店を始めたとしても間違いなく繁盛するであろうレベルだ。
「エレナ……どこで身に付けたんだ? こんな技術」
「言っていませんでしたか? 向こうの世界での生活が生活なので……こういうことに割く時間が、自然と多くなっていたのですよ。……こら、テオ。一口くらい食べなさい」
「えー、オレこれ嫌いなんだよ……あれ? 美味い」
避けようとしていた野菜を文句を言いつつ頬張り、テオは目を丸くする。
「味付け次第でいくらでも変わるのよ。……どこの世界でも、子供が好む味付けは変わらないみたいね」
そんなテオを見て、エレナはくすりと笑みを零す。僅かではあるが……面白そうな、純粋な笑顔。
こんな顔も出来たのかと、彼女と出会って何度目かの驚きを抱く。昨日、出会った直後の彼女は、何かに怯えるような硬い顔で、常に周囲を警戒していた。それがたった一日……違うな。半日程度で、更に警戒心の強いここの子供達と打ち解けてしまった。
……いや。むしろ、だからこそ打ち解けられたのだろうか?
「お兄ちゃん? どうしたのー?」
「っ……ああ、エディか」
義妹に声をかけられ、我に返る。
「何でも無い、ちょっと考え事をしていただけだ」
「そーなの? あのね、お姉ちゃん凄いんだよ! エディとカイル、隣でお手伝いしていたんだけど――」
エディの話に相槌を打ちつつ……ふと思う。
ならば、彼女が――エレナが選ぶ道は、俺が考えていることと同じじゃないだろうか? と。
実際その予感は、見事に当たったのだった。
全員昼食を終え……食器の類も片付け終えた食堂で、俺はエレナと向かい合って座っていた。昨日、正しくは今日の夜と同じ位置である。
子供達は全員自室にいる。昼には出かける、と言ってあるのでその準備だろう。故に、今なら聴かれることも無く本音を言えるのだと、彼女も気付いているはずなのだが……
「……良い子達、ですね」
長い長い沈黙を挟んで……俯いたままではあるが、ようやくポツリと呟くエレナ。それに対し、俺は笑みで返す。
「随分打ち解けていたじゃないか」
「そうですね。……少し、話があるのですが」
「何だ?」
訊ね返すと、ここに来てようやく彼女は顔を上げた。
彼女の黒い瞳が、真っ直ぐに俺を見つめる。
「単刀直入に言いますね。……ここに置いてもらうことは出来ませんか?」
「……何故?」
短く訊ね返すと、彼女は俺を見たまま。
「私は……本当ならこれから街に行って、そこで暮らすのだと、もう貴方達とは殆ど関わらないだろうと、そう思っていたのですが」
「ああ」
頷き、続きを促す。
「ですが……あの子達は、放っておけない」
僅かに。本当にごく僅かに、彼女の瞳が揺れる。
「同じなんです、あの子達は。小さい頃の私と。……私は駄目だったけれど、そこから抜け出すことは出来なかったけれど。あの子達は、まだ救える。……助けたいんです。それはアレス、貴方だって同じなのでしょう? だから、ここを作ったのでしょう?」
俺は無言で首肯。それを確認し、彼女は言葉を紡ぐ。
「なら、私は貴方を手伝いたい。貴方がしたことを、知ってしまいましたから……貴方だけに押し付けておくなんて、出来ないんです。したくないんです。だから――」
エレナはそこで言葉を切る。が、どう続けたかったのかは分かった。
だから俺は少し間を置いて、呟くように答える。
「……一つだけ、条件がある」
「条件、ですか?」
彼女の瞳に、僅かに警戒の色が戻る。それを見て、俺は苦笑。
「そんなに警戒しなくても、大したことじゃないさ。……ずっと敬語じゃ、疲れないか?」
俺の問いを聴き、彼女は警戒を解く。が、その身が僅かに強張るのが、テーブル越しでも分かった。
「……お、恐らく私の方が年下ですし」
「君のいた世界では違うのかもしれないが、この世界じゃ年齢なんて関係無いことも多いぞ。そもそも一緒に暮らしていくのに敬語じゃ他人行儀じゃないか? ちなみに俺は後二、三ヶ月で十九だが」
「私はもうすぐ十七ですから、やはり私の方が年下ですね……って、そんなことじゃなくて。それは、そうなんですが……」
エレナは迷うように俯いた後、何かを決心したかのように再び顔を上げた。
「えっと、その……私も、向こうの世界での生まれが割と特殊でして。物心付いたときから殆どの人間に対して敬語を使ってきたせいで、『普通の話し方』というのがよく分からなくて。自分より年下の子供ならまだ良いのですが、同世代とか年上は……特にここ数年は、本当に敬語しか使っていませんでしたから」
……まず驚いた。想像以上に過酷らしい、彼女にとっての向こうの世界に。
だが俺は、エレナに向かって微笑む。
「じゃ、それも含めて変えていけば良いだろう」
「え?」
「話を聴いていて、君が前の世界に帰るのが嫌なことは分かった。そう考えてしまうような環境にいたことも」
「まぁ、それは否定しませんが……それとこの話に、一体何の関係が?」
「あくまでも俺にとって、だが。君のその敬語や他人行儀な態度は、君がそんな環境から自分を護るために作った『壁』に思えるんだ。こっちの世界では、そんなものが無くても……本来のエレナでいても、大丈夫なんじゃないか?」
「本来の……私?」
「ああ。君を苦しめたものは、この世界には無いんだ。君のいた世界とは違う、向こうじゃ許されなかった君でいても、誰も叱らない」
「っ」
俯くエレナ。だけどその表情は、どこか穏やかに。
「……ああ……そうですね。私は、あの場所から逃げてきたんだから……それなのに、今までと同じ私じゃ、きっと周りの環境も変わらない。別な世界であっても、同じ道を辿るだけになりそうですね……」
呟いて、エレナは顔を上げ、ふっと微笑んだ。
「そう……そうね。よろしく、アレス」
そんな彼女に、俺もまた笑みを返した。
「ああ。よろしく、エレナ」
こうして……俺は、出会ったのだった。
後に最愛の女性となる……保護施設を、俺達を取り巻く事情の全てを良い方向へ持っていく、一人の少女に。
予想通りというべきか、やっぱり前編よりだいぶ長くなってしまったんだぜ……!
さて、そんなわけで、四ヶ月ほど間が開いてしまいましたが第一章はこれにて完結です。少しずつ本来(第二章以降)の雰囲気に近付いて
いっている感じ?
第二章以降は今以上にほのぼのした雰囲気とたまにシリアスな展開をお楽しみ頂けるんじゃないかなー、と思います。
プロローグ・第一章の前編しかアップされていない状態でもお気に入りや評価を下さった皆様。大変お待たせしました。
第二章の開始までにはまただいぶ間が開いてしまうかもしれませんが、見捨てず呼んでいただけると作者が踊り狂います。
では、第二章でお会いできることを祈って。