第一章 始まりの場所に・前編
「……何だ?」
夜も更け、そろそろ寝ようかと立ち上がった瞬間。
俺は、不思議な感覚に襲われた。
……恐らくこの近隣で、大きな魔力の動きがあったのだろう。魔法生物でもいるのか、誰かが大規模な魔法でも使ったのか、それとも腕の立つ魔法使い同士が決闘でもしているのか。
魔法生物ならまだ良いが、人や魔法使いの仕業だとしたら。その人間がここを訪ねてくるのは……相手にもよるが、大抵の場合あまり良い事態とは言えない。
天井を見上げる。上の階にいる義弟達や義妹は、とっくに寝ているだろう。
「……少し、見てくるか」
これほど大きな魔力を一度に動かすほどのものなら、それが何であろうと『今の俺』にはどうすることも出来ないだろう。だが、せめて正体くらいは掴んでおかなければ、いざという時に困る。その『いざという時』が異常に多いここではなおさらだ。
上着を取り、羽織りながら意識を外に向ける。
魔力が動いたのは……どうやら小さな森を一つ抜けた先、草原の中央辺りのようだった。
***
「ぅ……」
目を開けると、頭上には満点の星空が広がっていた。
私はゆっくりと体を起こし、辺りを見渡す。
「ここは……?」
どうやら私が倒れているのは草原のようで、何となく、ここが元いた場所――日本では無いことを悟る。それは直感のようなもので、でも、だからこそ確信をもってそう言える。
つまり、私は……逃げられた? あの家から?
それはまだ分からない。東宮で育ってきて、多少の超常現象なら受け入れられるようにはなっている。が、ここがどこであるかは、まだ分からないのだ。よほど小さな国の辺境でも無ければ、あっと言う間に東宮に連れ戻されるだろう。
とりあえず立ち上がろうとすると、遠くから足音が聞こえ……私は思わず固まってしまう。
野生の動物か何かだとしたら、大きさや種類にもよるか。運が良ければ『力』を使って脅かせば逃げていくだろう。
人間だとしたら……とりあえず、相手が善人であることを祈るのみか。
無意識に、首に下げている銀のペンダントを握り締める。剣と十字架を象った、幼い頃から肌身離さずつけているもの。これを外すことになるのは避けたいところだ。流石に人を殺したくは無い。
足音が段々とこっちに近付いてくる。私はその方向に目を向ける。
現れたのは、恐らく私と同じか少し上くらいの年齢の男性だった。
黒い髪に、落ち着きと知性を感じさせる蒼い目。間違いなく日本人では無いだろう。
「君は……魔法使い、じゃ無いみたいだな。どうしてこんなところに?」
男性は訝しげに、そんな言葉を口にする。その中に出てきた単語に驚き、私は思わず聞き返した。
「魔法、使い……?」
その単語は、物語の中でなら何度も見たことがあるけど、現実で聞いたことは無いものだった。
『似たような力』なら私も……否、東宮の人間なら誰でも使えるけど、『魔法』と言うものは存在しない。東宮によって徹底的に調べられていることだから、間違いは無い。
……つまり考えられるのは、一つ。
「ここは……私のいた世界じゃ、無い?」
思わず呟いた声が聞こえたのか、彼は眉を顰める。
「どういうことだ?」
「あ……何でもありません。忘れてください」
「構わないが……一つだけ確認させてもらおう。君は、『保護施設』に用があるわけじゃ無いんだな?」
「保護施設?」
訊ね返すと、彼は一瞬驚いた後、面白そうに笑い……あろうことか、私の隣に座った。……少し離れているからまだ良いものの、まともに男性と話したことの無い私からすれば既に赤面モノだ。
そんな私の心境を知ってか知らずか、彼は僅かに笑みを浮かべ、私の方を見る。
「君は、知らないんだな? 『保護施設』のことも、そこに住む子供達のことも」
「何ですか、それは?」
思わずそう返すと、彼はまた笑う。
とても面白そうな、楽しそうな、だけど落ち着いた雰囲気のままの、私には浮かべられない笑みを浮かべる。
「君はさっき、『ここは自分のいた世界じゃない』と言っていたな」
「ええ。……まだ、分かりませんが」
「君のいた世界は、どんな世界なんだ?」
……どんな世界。どんな世界だっただろう。
私にとっての『世界』は、ただ私を苦しめるものだった。終わらない苦しみ、抜け出せない地獄、孤独、私だけ置いていかれたみたいで――!
「どうかしたのか?」
男性が驚いたように訊ねてくる。
……表情に出ていたか。私は慌てて、さっきまでの――普段の無表情を装う。
「何でもありません。……そうですね、私のいた世界は……貴方がさっき口にした『魔法』などと言うものは殆ど無い世界です。もちろん例外はありますが」
「そうか、じゃあ君の推測は当たっているな」
その言葉に、確信する。それじゃあやっぱりここは、
「異世界……」
「君からすればそういうことになるだろうな、ここは。俺はそういうことには詳しくないから、断言は出来ないが……」
「いえ、十分です」
首を横に振る。私の表情こそ変わらないだろうけど、恐らく声はほんの少しだけ明るくなっているだろう。
だって、そうでしょう?
つまりここは東宮の支配の及ばない場所で、
つまり私は、東宮から逃げられた、ということになるのだから。
……しかしそうなると、別な問題が浮かんでくる。
「訊ねてもよろしいでしょうか。ここはどういう世界なのですか?」
「ああ、そうだな……それに答える前に、俺からも一つ訊ねたい。君に、行く当てはあるのか?」
「あるわけが無いでしょう」
見知らぬ土地どころか、見知らぬ世界なのだ。
当然の答えを口にすると、男性は頷く。
「そうだろうな。……なぁ、うちにこないか?」
「え……?」
思わず男性を凝視してしまう。彼はハッと気付いたような表情になり、顔を赤くして否定する。
「あ、いや、変な意味じゃないんだ。そう言う意味で言ったんじゃなくて……今日はもう遅いだろう。ここの周りは見ての通り森ばかりで、一番近い街でも歩くと一時間はかかる」
そんな男性の言葉から、『ああ、時間の数え方は同じなのか』などと呑気なことを考える。
しかし確かに森ばかりなのも事実で、ついでに森なのだから当然野生の動物などもいるはずだ。そんな場所を夜に歩くのは、危険極まりないだろう。
……ふと。何故そんな場所に住んでいるのか、という疑問が浮かぶ。一時間歩いたところに町があるのなら、最初からそこで暮らすべきだと思うのだけど。
彼はそんな私の思いは知らずに続ける。
「だからだな、その……とりあえず一晩だけ泊まっていかないか、ってことだ。話はそこでするし、君が訊きたいことには出来る限り答える。もちろん嫌なら構わないが……」
それは危険だ、と彼の表情が語っていた。
……ふむ。こうして話している限り、この男性は善人なのだろう。私は幼い頃から愛情などと言うものとは無縁だったが故にか、逆に人の感情には敏感なのだ。
もっとも善人だからと言って無条件で信頼するほど甘くも無い、はずなのだけど……
「そうですね……では、とりあえず案内して頂けませんか?」
気付くと私はそう返事していた。彼を信じても良いという自分の直感に、素直に従おうとしていた。
男性は驚いたように私を見る。
「……誘っておいてなんだが、良いのか?」
「ええ。私もここで野宿と言うのは避けたいですから」
答えると、彼は面白そうに笑った。
「それもそうだな。じゃ、ついてきてくれ」
***
森を抜け、辿り着いたのは一軒の家だった。大きさだけ見れば貴族か何か、とにかく裕福な人間の住む家だろうか。でも、それにしては装飾が少なすぎる。
そんなことを考えながら、男性の後について中に入る。ホールらしき空間を抜け、他と同じくそれなりに優雅ではあるが装飾の少ない廊下を少し歩いて、案内されたのは食堂らしき部屋だった。
「座ってくれ」
その言葉に無言で頷き、彼が指した部屋に座る。
男性はそのまま部屋の奥にある扉の先……恐らく台所か何かだろう。そこへ入って行く。少しすると彼は戻ってきて、私の向かいに座った。
私の前に、湯気を立てる液体の入ったカップを置いてから。
「入れた後で言うのもなんだが、紅茶で大丈夫か? ……君のいた世界にあったのかも分からないが」
「ありました。……頂きます」
軽く首肯してカップを取り、口をつける。ふと『温かいな』と思い――
そこで初めて、自分の体が冷え切っていたことに気付いた。
そういえば私は川に落ちたわけで……いえ、正しくは飛び込んだのだけれど、何故か服は濡れていなかった。ここが本当に異世界だというのならば、恐らく私は水に触れるより前にこちらに飛ばされたのだろう。
だけどこの肌寒さからして季節はこちらも同じ初冬らしく、それなのにこの世界に来る前、私は薄着になってしまっていたわけで……寒さとか痛さとか、そういう感覚は意識すると途端に自己主張を始めるものである。
無言でもう一口飲む私を見て、彼は苦笑。
「その格好じゃ寒そうだからな。……さてと、まずはこの世界のことからか」
彼は近くの棚から一枚の紙を取り出し、テーブルの上に広げる。
恐らくこの世界の地図、だろう。もちろん私の住んでいた世界のものとは全く違うそれは、中央に大きな楕円形の大陸が一つ……そしてそれを囲むように、その半分くらいの大きさの大陸が四つ。更にその周りに比較的小さな島がいくつもあった。
彼は楕円を囲む四つの大陸のうち、私から見て右下を指差す。
「俺達が今いる国はここ、イグレシア王国。領土はこの大陸と、近隣の島がいくつかだな」
「……平和なのですか? この国は」
「中央の大きな大陸に比べれば、周りの四国は平和だな。中央大陸は数国家に分かれていて、よく領土争いが起こっているから。この国は今の王が優れているから、普通の人間にとっては特に平和な方だと思う」
普通の人間にとっては、の部分で彼の顔が僅かに曇る。……つまり彼は普通じゃ無い、とでも言いたいのだろうか。
「『魔法』は? この世界には存在するのですよね」
「そうだな。基本的に魔法学校や魔法院で習うことが多いが、独学でも覚えられないことは無い。それに一部の人間は、生まれたときから魔法を使える。呼吸をするのと同じ感覚で」
「生まれたときから……?」
「ああ。ここ――『保護施設』にいるのは、そんな子供達だ」
「……何故『保護』なのですか?」
「迫害されているからさ」
男性が僅かに、哀しげな笑みを浮かべる。
「この世界、特にこの国じゃ、そういう人間……精霊術者と呼ぶんだが、生まれつき精霊術を使える人間を嫌う傾向にあるんだ。今の女王はそれを止めさせようとしているが――」
「……昔からの習慣は、そう簡単には抜けないと言うことですね」
「ああ。だから俺はここを作った」
彼が息をつき、天井を見上げる。
「普通の人間ならまだ良い、嫌うだけで終わるから。だが中には本気で精霊術者を捕らえたり、時には命を奪おうとすらしてくる奴らがいる。ここは……ここだけは、その手から逃れられる場所なんだ」
……それは、一人の人間が頑張ればどうにかなるような問題では無いように思えた。
だけどきっと彼は、一人でそれをしたのだろう。聴いている限り、それに手を貸す人間はきっと少ないのだろうから。
「『精霊術者』と言いましたね。魔法には種類があるのですか?」
「ああ、三種類に分かれている。まず――」
彼が説明したところで、唐突に廊下に繋がる扉が開く。
思わず警戒する私と驚いた様子も無く視線を向ける男性の前に現れたのは、小さな……恐らく十歳前後の女の子だった。
軽くウェーブのかかった、セミロングの金髪。緑色の目を眠そうにこすっている。
……一瞬。
どこか、物凄く儚げな印象を受けた。
少し突いただけで崩れてしまいそうな、そんな。
男性が彼女に声をかける。
「どうかしたのか、エディ?」
「……お水」
「そうか。……ほら」
彼はコップに水を注ぎ、その子に手渡す。私は彼女が水を飲むのを見ながら、小さく呟いた。
「……この子が……?」
それが聞こえたのか、彼は軽く首肯する。
「ああ。今『保護施設』にいるのはこの子を含めて三人だ。もともと精霊術者自体が少ないからな。更に生まれたときから精霊に好かれる人間は滅多にいない。それに、生まれても親や周りの大人に殺されてしまう例も少なくない」
悔しさ、苦痛、そんな感情に顔を歪めて……彼が説明する。
私はあえてそこには触れず、別なことを訊ね返した。
「……精霊に好かれる、とは?」
「精霊の王様が、力を貸してくれるんだよ」
予想に反し、私の問いに答えたのは小さな少女の声だった。
視線を下げると案の定、水を飲み終わったらしい少女が私の方を見て、可愛らしい笑顔を浮かべる。
「エディ達はね、『精霊が従いたがる質』の魔力をいっぱい持っているんだって。だから精霊の王様が力を貸してくれて、凄い魔法を使えるんだよ」
「精霊が、従いたがる質……?」
首を傾げる私を見て、男性は苦笑し、少女の頭を撫でる。
「そうだな。よく覚えていたな、エディ」
「えへへー。……ね、お兄ちゃん、この人誰ー? お客さん?」
「ああ、今夜だけ泊めてほしいらしい」
「そうなんだー。こんばんは!」
「え、ええ……」
深夜にも関わらずテンションの高い少女の挨拶に、私は戸惑い気味に返す。こ、子供って皆こうなの……?
そんな私の気持ちなど知らず、少女と男性は話を続ける。
「それじゃエディ、先に寝てた方が良いかなー?」
「そうだな。自己紹介は明日で良いだろう」
「うん、分かった。おやすみー!」
「ああ」
男性との会話を終えた少女が出て行って、私はようやく息をつく。
それを見て、男性は苦笑。
「それじゃ、さっきの話の続きだな」
「……確か、魔法が三種類に分かれている……というところでしたね」
「ああ。それを話す前に、この世界そのものについて説明しておく必要があるだろうな」
彼はそこまで話すと一度立ち上がり、紅茶を二人分入れなおして再び座る。
「まず、この世界の頂点に立つのは、四種類……風火水土それぞれの『精霊』の王と、何体いるのか確認されていないが『龍』達だと言われている」
「王……ということは、その下にまだ精霊達がいる、と考えて良いのですね?」
「そうだな。数え切れないほどにいる……というより、物質そのものが精霊だ、と言うべきかな。もっとも、王以外の精霊の力は皆同じようだが……精霊は全てを構成し、司るもの。自然現象も『魔法』を使うことで起こりうる現象も、全て精霊達が起こしているようなものだ」
ふむ。まぁ、『全てを構成し、司る』のだから当然なのだろうか。
「……龍の方は?」
「精霊達が構成した世界の『護り手』たる存在、だな。人々に最も恐れられる、高度な知能と強い力、長い寿命を持つ生物だ。基本的に、強ければ強いほど賢い」
「私がいた世界で伝えられているのと変わりませんね。……で、その話が三種類の魔法とどう関係するのです?」
「ああ……魔法って言うのは、基本的に彼らの力を借りるものなんだ。一般的に『魔法』と呼ばれるのは、たくさんいる精霊達に力を借りること。魔力の消費が少ない代わりに威力も低いものばかりだ。使用者が一番多いことも事実だがな。……と、『魔力』は説明しなくて大丈夫か?」
「ええ」
恐らく私のいた世界と基本的な認識は同じだろう。
そう考えて首肯すると、彼は話を続ける。
「で、精霊の王に力を借りて、精霊達を『従わせる』のが『精霊術』だ。通常の魔法より威力が高いが、精霊を従わせるのに強い意志と魔力が必要。だから、誰でも使えるわけじゃない。故に使用者は少ない。学ぼうとしても挫折する人間が多いからな」
彼のその言葉に、思わず首を傾げる。
「ですが、さっきの子は……」
「そうだな、エディは精霊術者だ。もっとも、ここにいる子供達は皆、精霊術を使うための訓練なんかしたことも無いが」
「さっきの……精霊が従いたがる質の魔力、ですか」
「ああ。普通は精霊を従わせるほどの魔力になるまでに物凄い努力が必要な上、意志が弱いと逆に精霊に喰われてしまうこともあるんだ。だが、生まれつきそういう『精霊が従いたがる質』の高い魔力の持ち主もいて、そういう人間は難なく精霊術を使うことが出来る。ここにいる三人の子供は、そういう魔力の持ち主なんだ。それを持って生まれたが故に、生まれつき精霊術が使える。……迫害されることは、その代償としては重すぎるが」
「……そう、ですね」
生まれてすぐに周りの大人に殺されることも少なくないと言うのだから、確かに重すぎる代償だ。
そうありたい、と望んで生まれてきたわけでもないのに――
迫害される子供達の姿を、自分の姿と重ねてしまって……思わず黙り込む私に、彼が訊ねてくる。
「どうかしたのか?」
「……いえ、何でも」
首を横に振ると、男性は訝しげに首を傾げつつ立ち上がる。
「基本的なことはこれくらいだな。もう遅いし、空いている部屋の一つに案内するよ」
「ええ」
頷き、彼の後について部屋を出る。廊下を歩きながら……ふと、聞き忘れていたことに気付いた。
「そういえば」
「何だ?」
振り返る彼に向かって、問う。
「貴方、名前は何と言うのですか? 一日だけとは言え、互いの名前も分からないのでは不便でしょう」
「それもそうだな……俺はアレス。アレス=クライディアートだ。君は……」
「東宮エレナ。苗字はついさっき捨てたので、名前で呼んでいただけるとありがたいですね」
「じゃあそうさせて貰おう。短い間だがよろしくな、エレナ」
「……ええ」
曖昧に頷く。
こういう純粋な善意を向けられるのは本当に久しぶりで、慣れていなくて……
どう反応すれば良いのか、分からなかったから。
***
「お姉ちゃん、起きて起きてっ!」
「ん……」
そんな少女の声に、薄っすら目を開ける。
そこに光が飛び込んできて、私はここがあの暗い自室では無かったことを思い出した。
「……向こうで言うと、朝の七時くらいでしょうか」
窓から見える太陽の上がり具合を見て、そう判断する。
……私にしては物凄く遅い起床時間だ。夜明け頃には目覚める、というのが体に刻み込まれているのに。自分では気付かなかっただけで、結構疲れていたのだろうか。知らない場所とは思えないくらいにぐっすり眠れたのだけれど、起床はとても賑やかだな、と。そんなことを思いつつベッドを降りて。
……再び実感する。私は、東宮から逃げ出せたのだと。あの、縛られた孤独な世界から逃げ出せたのだと。
「どしたの、お姉ちゃん? まだ眠いー?」
少女が私の目を覗き込み、首を傾げる。
……確か、エディだったか。昨日そう呼ばれていた少女である。そういえばこの子の部屋は隣だと言っていた。
彼女は昨日と違い私服らしき服装。らしき、というのはこの世界の基準がよく分からないからだ。あまり私のいた世界と変わりは無いみたいだけど……昨日の夜に見た限り、防寒着の類はもっと異世界らしいというか、向こうには無いようなデザインのものだったし。昨日は下ろしてあった金髪は、今日は二つに結んでいた。
とりあえず私は彼女の問いに答える。
「いいえ、平気よ。エディ、だったかしら」
笑みこそ浮かべられないが、自然に口調は砕けたものになっていた。子供に敬語を使うのもどうか、と思ったからだけど……こんな口調は数年ぶりだ。
少女は笑顔で首肯。
「うん、エディ……エディフェル=トリエルトって言うの。もう少しで九歳!」
訊いてもいないのに自己紹介する少女。エディというのは愛称だったのか、とぼんやり思う。
……初めて見たとき、脆そうに見えたのは気のせいか。見ていると年相応の元気な女の子にしか見えない。いや、子供と接したことなんて無いから、『年相応』なのかは分からないけど……
「ねぇ、お姉ちゃんは何て言うの?」
「あ……エレナよ」
「ふぅん、名前も綺麗!」
エディの笑顔を見て、私は戸惑う。
その言葉は純粋な褒め言葉で、今までそういう言葉と同時に向けられた悪意や下心の類は一切無くて……だからこそどう返せば良いのか分からなかったから、思わず話を逸らしてしまう。
「そ、それでどうしたの、エディ? アレスに起こしてこいって言われた?」
「ううん、お兄ちゃんは疲れているだろうから起こさない方が良い、って言ってたの。でも、エディは早くお話してみたかったから」
「話してみたかったって……私と?」
「うん! お姉ちゃん綺麗だし……それに、お兄ちゃんから聞いたの。お姉ちゃんは『異世界』から来たって……どんなところなのかな、って思って」
「……っ」
その言葉に思わず表情を硬くする私に、エディは心配そうな表情で訊ねてくる。
「えっと……お姉ちゃん? あの……訊いちゃ駄目、だった?」
その心底不安げな表情に、私はゆっくりと首を横に振る。
「……いいえ。でも、出来れば訊かないで欲しいわね。私は、あの世界から逃げてきたのよ」
「逃げてきた……?」
「そう。私は貴女が思うような、綺麗な人間じゃないわ。外見も、心も」
私の言葉に、エディは少しの間考え込み……
そして、笑顔で顔を上げた。
「ううん、それでもお姉ちゃんは綺麗だよ。お兄ちゃんが前に言ってたよ、『逃げられることも強さだ』って。それに、エディはお姉ちゃんが逃げてきてくれて良かったって思うよ!」
「え……?」
「だって、そうしなきゃエディ、お姉ちゃんと会えなかったもん!」
「っ」
思わず目を見開く。
……まただ。純粋な善意。
だけど、今度は戸惑うだけじゃなくて――
「……ありがとう、エディ」
私の言葉に少女は驚いた表情を浮かべ、それはすぐに満面の笑みへと変わった。
「それじゃ、エディ先に食堂に行ってるね! 場所、分かるよね?」
「ええ。すぐ行く、って伝えておいてくれるかしら」
「うん!」
エディはドアの方へと走っていき……笑顔で振り返る。
「あのね! エレナお姉ちゃん、笑った顔は物凄く綺麗だったよ!」
「っ!?」
私が何か言う暇も無く、エディは部屋を出て行く。
ぱたぱたと、遠ざかる足音。
……気付いた。エディに礼を言ったときの私は、確かに微笑んでいたことに。
少しずつ、笑うことに抵抗がなくなっている私に。
そんなわけで、だいぶ間が空いてしまいましたが、世界観説明をして主要キャラの半分が出てきたところで第一章の前編は終了です。後編で残りの半分のキャラが明らかになったり、少し話が進んだりすると思います。
……『思います』なのはまだ後編も半分しか書いていないから。後編は恐らく前編より長くなると思いますが、お付き合い頂けると幸いです。
そうそう、プロローグしか投稿していないのに評価やお気に入り登録してくださった方、ありがとうございました。もう少し更新ペースが上がるよう頑張ります……
感想頂けると飛び上がって喜びます。
では、次は後編でお会い出来ますよう。