冥王第一補佐官アズマ・キクガの誕生日特権
「ユフィーリア君の部下になりたい」
冥府総督府の昼休みのことである。
賑やかな冥府総督府の職員食堂には、様々な獄卒が出入りしていた。全員の目的は今日の昼食である。冥府総督府の食堂は日によって提供される料理が変わるが、基本的に提供される料理は食べ放題なことが多い。職員価格で料金もお安く、職員は今日の昼食を今か今かと待ち望んでいるぐらいだ。
提供される料理は揚げ物からサラダなどの生野菜類、世界各国の料理、麺類からご飯ものなど多岐に渡る。食堂のおばちゃんたちは色々な国で生きていた死者なので、提供される料理に異国の風が取り入れられるのはもはや慣れたものだ。
そんな平和極まる冥府総督府の片隅で、頭を抱えたくなるような会話が繰り広げられていた。
「…………ユフィーリア君の、部下になりたい」
そんなことを疲れたような口調で言うのは、冥王第一補佐官のアズマ・キクガである。脇に退けた昼食終わりのお盆の横で机に突っ伏し、精魂疲れ果てたといった雰囲気でしみじみと呟く。
正面に座っていた黒髪の美丈夫、オルトレイ・エイクトベルと斜向かいに座っていた銀色の狼、アッシュ・ヴォルスラムが何だか困ったような表情で自分たちの食事を片付けていた。さらにキクガの両隣を挟むように赤髪の青年、リアム・アナスタシスと金髪の紳士、アイザック・クラウンが慰めるように背中を撫でていた。
全員キクガと仲のいい獄卒である。こうして時間が合えば昼食を取る仲ではあるのだが、今はキクガの調子が最悪なのでどう反応すればいいのか分かっていない様子である。しかもキクガが仕切りに口にしているのは、自分自身の上司ではない人物の名前である。
オルトレイは「あー……」と大変言いにくそうに、
「転職でもするのか?」
「しないが」
「では何だ。何故にそんな阿呆なことを呟くようになった。お前はそんな子じゃないだろう」
「これには深い訳があってな……」
キクガは身体を起こすと、
「冥王様の裁判の書類が悉く間違えており、添削をするのに今日の昼休み前までかかってしまった訳だが」
「おい、今日の裁判件数は結構多かったと聞いたぞ。いつそんな暇があった」
「裁判をこなしながらに決まっている訳だが」
「訳だが、じゃねえんだが?」
オルトレイのツッコミもそのままに、キクガはしおしおと再び机に突っ伏す。
通常業務と上司の尻拭いを同時並行でやったことが影響し、今日のキクガは大変お疲れ気味なご様子だった。最近、裁判件数がやたらと増加していることも起因しているのではないかと考えられる。
せめて上司が申し訳なさそうに謝罪でもしてくれれば「まあ、許してやるか」とは思うものの、あの冥王様は殴れば喜び罵倒すればお代わりを要求する変態である。付き合いきれなくなってきた。
「いっそ上司を変えて仕事をしたい……ひいては私の中で最もまともな人間を上司にしたい……」
「それがオルトさんの娘さんだって?」
リアムはやたら硬いパンを「ぐぎぎぎぎ」と噛みちぎろうとしながら言う。
「まともかなぁ。だって問題児なんでしょ?」
「とはいえ、ウチんとこの倅もテメェんところの倅も慕ってんだろ。まあまあいい上司ってことじゃねえの?」
「上司っていうよりただの悪ガキ集団に見えるけどね」
アッシュの言葉に、リアムは少しばかり納得していないように応じる。
確かにオルトレイの娘であるユフィーリア・エイクトベルは、上司と呼ぶには素行不良が目立つ。常日頃から問題行動に勤しみ、雇用主から正座で説教をされるような問題児を上司に据えると胃痛も加速しそうだ。
ところがどっこい、部下には大いに慕われている様子である。時に友人のように分け隔てなく接し、時に上司らしく部下のミスを背負い、時に悪友らしく揶揄ったりと部下の人間からは人気が高いらしい。意外にそれで仕事が出来るみたいなので、上司として師事してみたい気持ちはある。
思いがけず娘の優秀さを示され、父親のオルトレイはちょっと鼻高々に言う。
「まあ、娘の優秀さを見るとはなかなかの慧眼だ。普段は阿呆だが、やる時にはやるぞあいつは」
「何目線?」
「父親目線だろ」
「うるさいぞ、脳筋コンビ。お前たちの職場に導入予定の魔法兵器を暴走させるぞ」
呵責を開発する部署の長であるオルトレイが独特の脅しをかけると、アッシュとリアムは口を揃えて「止めて」「止めろ」と叫んだ。この呵責開発課の課長も確かに上司としては優秀な類だが、いつも余計なことしかしない問題児ではある。娘のユフィーリアとよく似ていた。
「それならこういうのは如何かね?」
「? 何かいい案があるのか、詐欺師」
「誰が詐欺師だ、誰が。オルト殿、吾輩のことをそう思っていたのか?」
満を持して発言したアイザックにオルトレイが、しれっと割と酷いことを言う。睨みつけてくるアイザックから視線を逸らしたオルトレイは下手くそな口笛を吹き始めた。
「今日はキクガ殿の誕生日だ。誕生日特権と言えば彼女も納得してくれるのではないかね?」
「なるほど」
キクガもアイザックの言葉に納得する。
今日はキクガの誕生日である。だから面倒な仕事を押し付けられて精魂疲れ果てているのだが、そろそろここで誕生日特権を使ってもいい頃合いだ。毎日見飽きた上司は捨て置き、新しい上司のところに行ってみよう。
そうと納得してしまえば話は早い。キクガは素早く立ち上がり、すでに空っぽの状態のまま放置されていた食器類を返却口に返しにいく。それから清々しいほどの笑顔で悪友たちに手を振った。
「では午後は私は暇をいただく訳だが。仕事があれば執務机の上に置いておきなさい」
「おう、楽しんでこいよ」
「お土産よろしくな」
「美味しいお土産がいいなぁ」
「ゆっくり羽を伸ばしてくるのだぞ〜」
キクガの事情を知っている悪友4名は、それぞれ手を振り返して割と自由な冥王第一補佐官を見送った。
☆
そんな訳で、である。
「今日から世話になる、アズマ・キクガな訳だが。よろしく頼む」
「何て?」
「何でぇ?」
早速とばかりにキクガはヴァラール魔法学院へ足を運び、用務員室の扉を開け放つなりそんな頭のおかしなことを言い始めた訳である。そりゃ最初から問題児をやっている用務員は混乱する。
今日は最年少の用務員であるショウの父親、キクガの誕生日だ。そのことはよく知っているから問題児筆頭のユフィーリアも、彼女と長いこと付き合いのあるエドワード・ヴォルスラムも誕生日には何を贈るかと話し合っていた時にこれである。
せっかく先程までの議論で「何か礼装でも作るか?」「簪とかどぉ? 使うじゃんねぇ」と贈り物の案がまとまろうとしていたのに、急に「今日からお世話になります」と言われてしまうと困ってしまうのだ。さっきまでの議論は何だったのか。
キクガは不思議そうに首を傾げると、
「三つ指をついた方がいいかね?」
「話が全く読めないんだ、親父さん。何がしたいの?」
「おっと、説明を省いてしまった。オルトと君がどうにも同じに見えてしまう訳だが」
「不名誉」
ユフィーリアはちょっとだけ不機嫌そうに眉根を寄せるが、キクガが気にせず話し始めてしまう。
「実は冥王様に嫌気が差したので、今日1日は家出をすることにした訳だが」
「子供か?」
「私はいつでも少年の心を忘れないと自負している訳だが」
「子供だったか」
深々とため息を吐いたユフィーリアは、
「嫁の父親を部下として扱うのはちょっとな……」
「私は気にしない訳だが」
「いや気にするのはこっちなんだよ。誰が冥王第一補佐官殿を部下として扱いたいんだ」
ユフィーリアはエドワードを小突き、
「エド、お前も後輩として親父さんを扱いたくねえよな?」
「部下よりも後輩の方がハードルは低いから別に何ともないねぇ」
「こいつ、簡単に裏切りよる。この野郎」
部下として扱うユフィーリアよりも後輩として扱うエドワードの方が抵抗はないようだ。納得していないユフィーリアはエドワードの足を強めに踏んでおいた。
ユフィーリアは納得していないが、キクガが1歩も引かないと分かるとため息を吐いて「仕方ねえな」と言う。お嫁さんの父親を部下として迎え入れることを決意したらしい。今日1日は付き合ってやれば満足すると考えたのだろう。
すると、
「ショウちゃんパパが後輩になるの!?」
「父さんが後輩になるのか?」
「おや」
興奮気味の未成年組、ハルア・アナスタシスと息子のアズマ・ショウがキクガの両脇に張り付いてきた。
今まで部屋の隅で大人しくユフィーリアとキクガのやり取りを聞いていたが、この度キクガが後輩になると判明して瞳を輝かせる。彼らは未成年組で自分の後輩という存在に飢えているのだ。ハルアからすればアイゼルネとショウという後輩がいるのだが、後輩は何人いても可愛いらしい。
キクガはそんな未成年組の反応に小さく笑みをこぼすと、
「そういうことで、今日は1日だけ私を後輩として扱ってほしい訳だが。――ハルア先輩、ショウ先輩」
後輩としての礼儀として未成年組の2人を先輩として呼ぶと、ショウとハルアの表情がパァと明るくなる。やはりいつでも先輩呼びは嬉しいようだ。
「じゃあ先輩として後輩にいいとこ見せないとね!!」
「先輩として後輩に奢ってあげよう」
「おやおやおや?」
ショウとハルアに両腕へしがみつかれたキクガは、そのまま興奮気味な先輩たちに引き摺られて用務員室から撤退を余儀なくされた。
残された大人たちは、遠ざかっていく未成年組の興奮気味な声と背中をただ見送る。何か本人たちも楽しそうだし、今日の主役であるキクガも微笑ましそうだったので何も言えなくなってしまった。
今日が誕生日なので、誕生日だから好き放題にやってみたいのだろう。たまにはこういう日もあっていいかもしれない。ちょっと考えものだが。
ユフィーリア、エドワード、そして居住区画にいたアイゼルネは互いの顔を見合わせ、
「……とりあえず、誕生日パーティーの準備は続行でいいよな?」
「いいんじゃないのぉ?」
「後輩の誕生日をお祝いしまショ♪」
途中で中断していたキクガの誕生日パーティーの準備は、とりあえず続けることにしたのだった。
☆
「後輩、後輩♪」
「後輩だ、後輩だ♪」
「とても嬉しそうな訳だが」
ショウとハルアは弾んだ足取りで購買部に向かっていた。先輩となった未成年組の背中を、キクガは笑いながら追いかける。
後輩が出来たということで、未成年組のテンションは高い。ブチ上がりにブチ上がってしまっている。跳ねるように廊下を歩き、2人揃って手を取り合って今日1日限定の後輩の存在を喜ぶ。
ハルアは「そうだよ!!」と振り返り、
「後輩の存在は誰であれ嬉しいんだよ!!」
「そうかね。嬉しそうで何よりな訳だが」
キクガはふと首を傾げ、
「用務員の仕事はしないのかね?」
「仕事?」
「仕事とは?」
「おや?」
ショウとハルアもまたキクガの質問に対して首を傾げていた。
そういえば、キクガは今まで用務員が用務員らしい仕事をしていないことに気づいた。校内清掃も荷物の運搬も消耗品の購入も、何もしていないのだ。
だからこそ雇用主に「働け!!」と日頃から怒鳴られているのを知っている。それでもなお彼らがまともに働いたところを見たことがない。問題児だから仕方がないと言えば仕方がないのだが。
「働かないのかね? 校内清掃とか」
「敷地が広いから魔法でどうにかしているぞ。あと副学院長が作った全自動お掃除魔法兵器がそこら中に走り回っている」
「消耗品の買い出し」
「何を使うか分からないから自分で揃える方針だよ!!」
「その他の雑務は?」
「各自でどうにかするようにしているなぁ」
まともな労働をしていなかった。いやまあ、問題児だから予想されて然るべきだが、これはさすがに給与をもらう立場としてはどうなのだろう。
ハルアは元より、息子であるショウも働かずに給与をもらう立場とは親としていただけない。これは教育的指導をすべきではなかろうか、などとキクガはぼんやりと息子の将来を不安に思う。
すると、
「む、失礼」
「ああいえ、こちらこそ。よそ見をしていまして」
廊下を歩いていたキクガに、見慣れない男がぶつかってきた。どうやら男の方がよそ見をしていた影響で、曲がり角から出てきたキクガに気づかずにぶつかってしまったようである。
申し訳なさそうに眉を下げるその男は、キノコのような髪型をしていた。頭髪の色味が真っ白なので余計にキノコのようだった。銀縁の眼鏡の向こうにある緑色の瞳は気弱そうに垂れ気味で、全体的に地味な印象を与える。ヴァラール魔法学院の制服ではなく普通にシャツとズボン、ローブを合わせていたので教職員の誰かだろうか。
そそくさと会釈のみをする男に、キクガも会釈だけ返す。すぐ横を通過していき、それで終わるはずだった。
「ハルさん」
キクガの横を通り過ぎた男の背中をじっと眺めていたショウは、自身の先輩であるハルアの名前を呼ぶ。
「あの人、見たことない」
「あい」
その言葉を皮切りに、ハルアは急に方向転換すると風のような速度で走り出した。目標はそそくさと足早に立ち去るキノコ頭のあの男だ。
キノコ頭の男はハルアの接近に気づくと、ギョッとしたような表情を見せる。緑色の目を見開いて、口元を引き攣らせた。いきなり自分めがけて知らない少年が駆けつけてくれば驚くものである。
ハルアはキノコ頭の男の手前で廊下を蹴飛ばすと、
「不審者!!」
その背中に飛び蹴りを叩き込んだ。
「ぐええッ」
蹴飛ばされた男はうつ伏せで廊下を滑る。衝撃で何か紙束のようなものも廊下に散らばり、男は慌てた様子で落ちたそれらに手を伸ばす。
しかし軽やかに着地を果たしたハルアがそれを許さない。伸ばされた男の手を踏みつけ、体重をかける。男の顔が苦悶に歪み、その口から呻き声が漏れた。
廊下に縫い止められた男に、ショウがまるで散歩するような足取りで近寄る。廊下に散らばった紙束を男が拾い集めるより先に回収し、その紙面に視線を走らせた。紙束から顔を上げた息子の表情は、あらゆる感情が抜け落ちて能面のようになっていた。
「これ、学院長室で見かけたことのある紙束ですね。まさか学院長の研究資料を盗もうとしたんですか?」
「クソ、勘のいいガキめ……!!」
「そのガキにあっさりと負けている貴方は何なんですかね。羽虫でしょうか?」
ショウは紙束を小脇に挟み、タンと廊下を強めに踏みつけた。
それが合図となり、腕の形をした炎――炎腕が大量に召喚される。キノコ頭の男を取り囲むように伸びた炎腕に、男の引き攣った悲鳴が漏れた。
炎腕は男の両腕と両足を中心に群がる。何十本もの指先で掴まれ、呆気なく持ち上げられた男は背筋を強制的に反らされた。背骨を折らん勢いである。男の口から絶叫が迸った。
何が何だか分からず立ち尽くすキクガに、ショウは振り返って言う。
「父さん、あの人を冥府天縛で縛ってくれ。転移魔法で逃げられたら厄介だ」
「あ、ああ。分かった」
キクガは右手を掲げ、純白の鎖を呼び出す。冥府天縛と呼ばれる神造兵器で、これで縛られた相手はあらゆる魔法や能力を封じられてしまう拘束具だ。下手に力を込めても決して壊れることはない。
純白の鎖を巻きつけたことで、炎腕は用済みと言わんばかりに男を廊下に下ろした。見張り代わりに何本か残されているだけに留め、さらにハルアも冥府天縛によって拘束された男を尻に敷いている。これでもう逃げられることはない。
それにしても、よくあの男が不審者だと気づいたものである。やはり毎日校舎内を歩いていると、不穏な動きをする人物の見分けがつくようになるのか。
知れず息子の成長っぷりに感心するキクガは、
「どうして彼が不審者だと?」
「全校生徒と全教職員の顔と名前は一致させているんだ。ユフィーリア経由で学院に訪れる業者の顔と名前も記憶している。今日はそれらしい業者の出入りもないし、新しく教職員が増えたというお知らせも聞いていないから不審者だと判断した」
ショウは淡々と説明をしながら、通信魔法専用端末『魔フォーン』を取り出す。
「ここから先はユフィーリアに任せるとしよう」
☆
ショウからの通報を受けて程なくして、ユフィーリアとエドワードとアイゼルネが現場に駆けつけた。遅れて、学院長のグローリア・イーストエンドもやってくる。
「あらららら、簀巻きにされちまってまあ」
「冥府天縛に縛られてるから便利だねぇ」
「逃げ出そうとしても逃げられないわネ♪」
「…………え? 何でキクガ君がここにいるの?」
グローリアだけがキクガが存在する理由に疑問を持っていたので、誕生日特権のことを簡単に説明した。納得はしていたが、表情は少し難しそうなものを浮かべていたが。
「この人、学院長の研究資料を盗もうとしていましたよ。ちゃんと管理はしておいてください」
「うわ危なッ。これ失敗したものだから、悪用されたら大変なことになるところだったよ」
ショウに手渡された紙束の内容を確認して、グローリアは「やだなぁ」と言いながら魔法で紙束を燃やす。そんな危ないものを学院長室に放置しておくとは何事だ。
問題児の標的は、すでに捕まえられた不審者に移行したようである。ショウとハルアの未成年組は遠巻きに眺めるだけで、主に詰め寄っているのはユフィーリア、エドワード、アイゼルネの大人組だ。
彼らは「今日の夕飯はどうするか?」と献立の相談をするように、拷問の内容を相談していた。魔法は封じられても聴力などは失う訳がないので、下手人の魔法使いはガタガタと冷や汗を掻きながら震えている。
そんな様子を眺めているキクガは、グローリアに問いかけた。
「グローリア君、ユフィーリア君たちは用務員として雇っているのではないのかね?」
「用務員だよ。そのはずなんだけどね」
「それでは用務員の仕事をしないのは?」
「彼女たちが用務員の仕事をしないんだよ。まあでも、授業の材料なんかはこだわりを持つ先生も多いし、面倒だから自分で揃える方針だけどね。校内美化はスカイが最近、全自動お掃除魔法兵器を開発していたし」
グローリアは不審者の周囲に群がる問題児を顎で示し、
「正直、あっちの方が助かっているよ。教職員は暴力を振るわれたら溜まったものじゃないだろうし、生徒を危険に晒す訳にはいかないからね」
「なるほど」
「自分たちの縄張りを荒らされるのが嫌みたいなんだよね、問題児たちって。だから進んで校内巡回もしてくれるし、不審者を見つけたら確保してくれるし、ああやって情報も吐き出させてくれるしね。だからむしろ日々の業務はあっちがメインになっているかも」
グローリアが彼らをクビにしない理由が、何となく分かったような気がする。
普段こそ用務員の仕事はしないが、彼らは警備員として最高の能力を兼ね備えている。全校生徒と全教職員の顔と名前を頭に叩き込み、不審な人物は即座に排除できるように備えている。さらに文句なしに強いので、暴力に慣れていない魔法使いや魔女などは太刀打ちできない。
彼らの給料は、校内警備の対価によるものだ。なるほど確かに給料をもらうだけの仕事はしている。用務員ではないが、用務員の皮を被った警備員なのだ。
ようやく拷問の方針が決まったのか、エドワードがヒョイと冥府天縛で縛られた男を担ぐ。アイゼルネが「じゃあ準備するわネ♪」なんてエドワードの背中を追いかける様を、ユフィーリアが手を振りながら見送った。
「ショウ坊、ハル。よくやったな」
「わはー!!」
「うにゃにゃにゃ」
不審者を捕まえた功績を讃えて、ユフィーリアがショウとハルアの頭をわしゃわしゃと掻き混ぜる。乱暴に撫でられたにも関わらず、2人はどこか嬉しそうだった。髪がぐちゃぐちゃに乱れることも気にした様子はない。
ぐちゃぐちゃになった髪型はそのままに、ショウとハルアはキクガの両腕を掴んでくる。彼らがユフィーリアに期待するような眼差しを投げかけていた。キクガも訳分からずに首を傾げるだけである。
ショウとハルアは、口を揃えて説明する。
「ショウちゃんパパが拘束したんだよ!!」
「冥府天縛で父さんが縛らなきゃ、今頃は転移魔法で逃げていたかもしれないな」
「……ああ、なるほど」
キクガはようやく理解する。
今のキクガは、ショウとハルアの後輩である。つまりはユフィーリアの部下だ。
先輩たちは、後輩のキクガにも同じ報酬を与えろと言っているのだ。冥府天縛で拘束に一躍買ったのだから、後輩も褒められて然るべきだと。
ただ、キクガはいい大人である。もう撫でられて喜ぶような年齢ではないし、そもそも褒められるようなことをした覚えもない。不審者を拘束するのは当たり前の仕事ではないのか。
「そうだな、捕まえたもんな」
ユフィーリアは頷くと、パチンと指を弾く。
ふわりと空中に浮かぶ彼女の身体。重力の枷から解き放たれたユフィーリアは、キクガの目線よりも遥か上を飛ぶ。
驚くキクガをよそに、彼女の黒い手袋で覆われた手のひらがキクガの頭に触れた。まるで包み込むようにわしゃわしゃと撫でてくる。冷たくもあったが、それ以上に彼女の手は柔らかくて心地よい。
目の前で、ユフィーリアが笑う。色鮮やかな青い瞳を煌めかせ、キクガを褒めた。
「よくやったな、キクガ。偉いぞ」
「…………うむ」
キクガは恥ずかしげにはにかみ、
「これはちょっと、恥ずかしい訳だが」
「何言ってんだ、ちゃんと働いたんだから褒めてやらねえと」
わしゃわしゃとユフィーリアの頭を撫でる手は止まらない。それは恥ずかしくもあったが、ちょっとだけ嬉しかったのだ。
☆
翌日。
誕生日特権が終わり、キクガは冥府総督府で冥王第一補佐官としての立場に戻った。今日も今日とて裁判に奔走し、上司の冥王に蹴りを入れ、部下の仕事を監督し、裁判記録をまとめる。友人と昼食を共にして、他愛ない会話に花を咲かせて、今日の業務を着実にこなしていく。
これがアズマ・キクガの日常である。淡々と、黙々と、自分に与えられた仕事をこなすだけだ。そこに変化はない。
ない、のだが。
「オルト、もう終業時刻な訳だが」
「ん、ああ。もうそんな時間か。早いな」
キクガが覗き込んだのは、呵責開発課の部屋である。
いくつも並んだ事務机には、それぞれ設計図やら魔導書やらが積み重ねられていて汚い印象だ。さらに何だかよく分からない魔法兵器まで積まれている。どうやら呵責に導入予定の魔法兵器だろうが、何の用途として使われるのかは分からない。
一般獄卒とはまた違い、課長のオルトレイの座席はかなり広かった。大きな机いっぱいに魔導書やら設計図などを広げて、刑場に導入予定の魔法兵器を組み立てている。ちょうど小さい部品でも取り扱っていたのか、オルトレイは工具を机の上に放り出し、かけていた眼鏡を取り外した。
オルトレイは欠伸をしながら、
「お前たち、終業だ。とっとと片付けて帰れ」
「課長、魔法兵器の設計図がまだ終わらないんですけどぉ」
「ンなもん明日でいいだろう。明日できるものは明日にしろ、導入予定の期間が迫っているものはオレに相談しろ。ここにいる冥王第一補佐官殿を騙くらかしてやろう」
「目の前で言うのかね?」
オルトレイに促されるまま、彼の部下たちはめいめいに片付けをして職場をあとにする。「課長、お先に」「お先でーす」なんて声掛けをされている辺り、オルトレイもまた部下から慕われている様子である。
「オルト」
「どうした、キクガよ。言われんでも、オレも帰るぞ。今日はタイムセールがあるからなぁ」
ガチャガチャと投げ出した工具を片付けるオルトレイの前で、キクガはしゃがみ込む。
オルトレイの黒い瞳が、不思議そうに瞬いた。「何をしているんだ」と言わんばかりの視線が突き刺さる。
だから、
「オルト。私は今日、とても頑張った訳だが」
「おう、そうだな。冥王第一補佐官殿がいるから、冥府総督府も住みよく働ける環境が整えられた」
「裁判もこなした訳だが」
「駄々を捏ねた冥王に代わって、お前が判決を下した裁判が何件かあったなぁ」
「刑場の視察もこなし、裁判記録もまとめた訳だが」
「うむ。お前はよく頑張ったな、素晴らしい労働者だ」
「褒めてほしい」
「ん?」
「褒めてほしい」
ん、とキクガは自分の頭を差し出す。
キクガは、ユフィーリアに撫でられたことが嬉しかったのだ。滅多なことでは撫でられることもなく、手放しで賞賛されることもなかった。それが前日の誕生日特権で存分に与えられてしまったので、あの味が忘れられない訳である。
ユフィーリアと同じ遺伝子を持つオルトレイならば、と可能性を感じてここに来たのだ。彼女と父親のオルトレイは非常に似ている。褒め方も似ていると踏んだ訳である。
オルトレイはしばらく考える素振りを見せてから、
「ん」
両手で包み込むように、キクガの頭を撫でる。
わしゃわしゃと乱暴に髪を掻き混ぜる。その感覚は昨日のものと同じだ。ただしこちらは少しばかり手のひらが分厚くて、指先もちょっと硬くなっていて、見かけによらず大きな手のひらだったが、何とも心地がいい。
ふと視線を上げると、黒い瞳を緩めて笑うオルトレイの顔が目の前にあった。
「よく頑張ったな、キクガよ。偉いぞ」
「…………ふふ」
キクガもつられて笑うと、どこか誇らしげに返した。
「そうだろう?」
たまには褒められるのも悪くはない。そう、大事なことを気づかされた誕生日だった。
《登場人物》
【キクガ】冥王第一補佐官。普段は他人を褒める立場にいるので、いざ自分が褒められることはあまりない。実の息子を先輩呼びするのはちょっと恥ずかしかったが、たまにはこういうのも悪くはないと実感。
【オルトレイ】呵責開発課の課長。キクガに「褒めてくれ」と言われたので、言われるがまま褒めた。部下から飴と鞭のバランスがいいと評判。相談しやすいらしい。
【アッシュ】獄卒課の課長。部下からは上司というより先輩みたいな印象を抱かれがち。
【リアム】獄卒課所属、深淵刑場担当の獄卒。いつでも誰かの後輩扱い。たまには先輩風を吹かせたいので、その時はハルアに会いにいく。
【アイザック】送迎課の課長。部下からは愉快な上司と印象を抱かれているが、勤務態度は真面目ではある。
【ユフィーリア】オルトレイの娘。用務員を束ねる魔女。4人の部下からは信頼されているし、エドワードとハルアに関しては悪友みたいな扱いをする。
【エドワード】アッシュの息子。後輩はちゃんと誰であれ可愛がる。
【ハルア】リアムの遺伝子より作られた人造人間。年齢が年齢なので後輩が出来ると嬉しい。
【アイゼルネ】アイザックの娘。用務員の中ではショウに次ぐ後輩なのだが、後輩には見えない。
【ショウ】キクガの息子。愛されるみんなの後輩。小悪魔のように大胆に、天使のように純粋無垢に、そんな可愛い後輩。
【グローリア】名門魔法学校の学院長。後輩には縁遠い。