この人も菊池さんです(幕末編)
コロン様主催の「菊池祭り」参加作品です。
その男はゆっくりと並木に囲まれた夜道を歩いていた。
その身体はこの時代の日本人としてはかなり大きい。だが、その男はあえて背中を丸め、極力目立たないように歩いていた。それでも目立つのだが。
男は気づいていた。
(いる……)。
しばらく前からつけられている。それも一人ではない。複数だ。そして、街道沿いについてくるのではなく脇の並木をつたって追いかけてきている。となると……
(忍びか)。
男は気づかないふりをしながら少しずつ歩を早める。だがやはり相手は忍び。難なくついて来ているようだ。
(どうしてもおいに御用ちゅうわけか。ならば伊賀者か)。
男は更に歩を早める。それは常人が追いつくのが難しい速さになってきた。忍びと言えど気配を隠しながら追いかけることが難しい速さだ。
ストッ
ついに男の前に一人の忍びが飛び出した。併せて他の忍びも男を囲むように降り立った。全部で五人である。
(五人か。おい一人相手に随分おごってくれたな)。
男は冷静だ。囲まれた身であっても静かに問いかける。
「何用かな? おいは旅を急ぐ身。道を聞きたいなら他の方に頼まれたいが」
男の前の忍びが逆に問う。
「その方、名前は?」
「菊池源吾」
「菊池とやら、その方の風体、我らがお尋ね者西郷吉之助に極めて似ておる。ご同行されたい」
「それは迷惑な。おいは菊池源吾。西郷とやらではない。先ほども申したが先を急ぐ身。その儀はお断り申す」
「嫌と申すか?」
「おう」
五人の忍びたちはお互いに目で合図すると、鎖鎌を取り出し、分銅を回し出す。
「ならば絡め取りするまで」
五人の鎖鎌の分銅がさっきまで菊池がいた地面に叩きつけられたのと菊池が空中に飛び上がったのは同時だった。
菊池は大木の太い枝に着地すると幹を背にした。五人の忍びは大木を囲むように飛び上がり、苦無を投げて、菊池を攻撃する。
菊池は後方からの攻撃は幹で防ぎ、前方からの攻撃は自らも取り出した苦無を使って、はじき返す。
更に菊池が放った三本の苦無は二人の忍びの喉に刺さり、二人の忍びは地上に落下。だが、一人は苦無をかわし、忍び刀を抜いて襲いかかってくる。
菊池も自らの刀に手をかけ、飛びかかってくる忍びと交差する。
ガキーン
刀のぶつかり合う音。空中から落ちたのは忍びの方だ。菊池得意の空中抜刀斬りだ。
残る忍びは二人。
双方が苦無が投げ尽くしたので、菊池と二人の忍びは刀を持ち対峙。
二人の忍びは刀を持って、一斉に菊池に襲いかかる。
菊池はとっさに忍び刀を一人に投げ、絶命させるが、もう一人の刃は菊池に迫っていた。もう、菊池は刀も苦無も持っていない。防ぎようがなかった。
(殺った)。
忍びは思った。
しかし、彼が次の瞬間に目の当たりにしたのは、菊池がとっさに拾った鎖鎌の鎖に絡め取られた自らの刀だった。
菊池は奪い取った刀を忍びに向かって投げ、遂に最後の忍びも倒した。
「ふーっ」
息を吐く菊池。しかし休んでもいられない。彼が徳川幕府のお尋ね者西郷吉之助であることには変わりがない。夜道に転がる五つの忍びの死体は更に格好の逮捕の口実を与えてしまうことになるだろう。
(急がねば。夜が明けるまでに出来るだけこの地を離れねば、この返り血を浴びた服も替えなければいかん)。
西郷吉之助。変名菊池源吾はその足を早める。目指す故国薩摩はまだ遠い。
読んでいただきありがとうございます。
西郷吉之助(隆盛)さんが「菊池源吾」という変名を名乗っていたのは史実です。
南北朝時代に活躍した肥後(熊本県)の豪族菊池氏の末裔と称し、「吾の源は菊池」という意味ではないかと言われています。
一方ですね。西郷どんが忍者だったという説もあります。こっちはかなりまゆつばと思われますがw