第58話:KISS IS その1
――光がテレビ出演を果たした翌日の土曜日。
彼女は何事もなかったかのように、俺の部屋に来ていた。
「えーっと……STAR IS PUSHで……DADA IS YOUに戻して……」
いつもと同じように俺のベットに座って、コントローラーを握ってゲームに興じている。
今日やっているのは、数年前に発売された『DADA IS YOU』。
ステージに配置しているテキストのオブジェクトを動かして、ゲームのルールを変更していく傑作パズルゲームだ。
例えば、『◯◯ IS PUSH』というルールを作れば、◯◯が押せるようになり、『✕✕ IS WIN』というルールを作れば✕✕に触れることでステージクリアとなる。
ああでもないこうでもないと頭を捻りながらも、光は持ち前の柔軟な思考でテンポよく攻略していっている。
「ん? 私の顔に何かついてる?」
テレビの画面ではなく、じっと彼女の顔を見ていたのを気取られる。
「いや、なんでもない……」
慌てて目を逸らすが、当然理由なく見ていたわけじゃない。
ただ、その理由が嫉妬や独占欲なんて言えるわけがないだけだ。
あの動画が投稿されてから今日で二日が経過した。
テレビで紹介された効果も加わり、動画のいいね数は脅威の五十万超。
各SNSの総フォロワー数も遂に百万の大台を越えて、更に増え続けている。
まさに、“時の人”と呼ぶに相応しいバズりっぷりだ。
「岩を移動させてから……ROCK IS WINにして……いえーい! クリアー!」
ステージをクリアし、両手を上げて喜んでいる。
バズってテレビに出演しても、彼女はいつも通り何も変わっていない。
何も変わっていないはずなのに……あれからずっと、ただでさえ人気者の彼女がもっと人気になってどこかへ行ってしまうんじゃないかという不安が拭えない。
「たまにはパズルゲームも楽しいなー。脳みその普段は使ってない部分を使ってる感じが気持ちい~!」
お母さんは、取材の問い合わせが殺到していると言っていた。
雑誌のインタビューやテレビの出演なんかも、きっとこれから更に増えるんだろう。
ワイドショーだけじゃなくて、ゴールデン帯のバラエティ番組なんかにも呼ばれて、光のキャラクターならもっと人気が出るに違いない。
更にドラマや映画なんかにも出たりしたら、周りに色んな人間が集まってくるだろう。
有名な芸能人、プロデューサー、実業家……。
果ては、ハリウッドデビューして欧米セレブの仲間入り……。
その時に自分が選ばれ続けるんだろうかと、ネガティブ思考が際限なく止まらない。
もちろん、そんなのが荒唐無稽な杞憂に過ぎないのは分かってる。
分かっているけれど――
「ちょっと、そっちに行ってもいい……?」
拭いきれない不安から、つい物理的な接近を求めてしまう。
「ん? いいけど……黎也くんからそういうこと言ってくるの珍しくない?」
「そ、そう……?」
「うん、いつも甘えるのは私の役目だし」
「べ、別に甘えたいとかそういうわけじゃなくて……そっちの方が画面を見やすいかなって思っただけだって……」
俺の本心を見抜いているのか、光が無言のドヤ顔で『おいで』とベッドをポンポンと叩く。
これ以上口を開けばボロが出てしまいそうなので、俺も黙って彼女の隣へと行く。
「じゃあ、ご希望に応えて私のスーパープレイを見せてあげようじゃないか」
拳二つ分程の距離を空けて隣に座ると、光が満足げに微笑んだ。
「このゲームにスーパープレイとかある……?」
ツッコミながらも普段と変わらない彼女に安堵する。
そう、俺がバカみたいに考えすぎてるだけで光は何も変わっていない。
こうして隣に座れば、すぐに我慢できなくなってベタベタと甘えてくるはず。
KISS IS WIN
いつものように向こうからキスを要求されれば、こんな不安はすぐに消し飛ぶ。
「ん~……これはどうすればいいんだろ……」
コントローラーを両手で握って、画面を見ながら首を捻っている光。
画面の中では、極限までデフォルメされた四足歩行の謎生物が文字を運んでいる。
もう十秒もしない内に、まずは身体を俺の方へと預けてくるはず。
光の甘えたは本当に仕方がないなぁ……。
今日は特別に、どんな要求にでも二つ返事で応えてやろうか……。
「えーっと……まずはWALLをKEYに変えて……」
さあ、カウントダウン開始だ。
10、9,8、7、6……。
「そしたら次はPUSHを外して……」
5,4,3、2、1、0……ほら、来――
「よし、解けた!」
こ、来ない……!?
予想外の事態に、慌てて隣を見る。
「さーて、どんどん攻略してくぞー!」
そう言って、コントローラーを握り直して画面へと集中している光。
経験則的には間違いなく、ステージクリアと同時に寄りかかってくるはずだった。
いや、いきなり抱きついてくる可能性だって十分にあった。
「次は~……むむっ、これは難関の予感!」
しかし、今日の光はそんな気配を一切見せずに画面へとかじりついている。
まさか、本当にハリウッド……!?
ありえない出来事に、不安は消えるどころか更に膨れ上がった。
*****
――時は遡ること一時間前。
朝日光は、恋人の部屋の呼び鈴を鳴らす直前にある大きな決意を固めていた。
『今日は慎ましく過ごそう!!』
彼女がそう思うに至ったのは、数日前の着物屋での出来事に端を発する。
試着室の中で、恋人の浴衣姿に興奮して何度も濃密なキスを交わしてしまった。
誰にも見られなかったから良いものの、あれは一歩間違えれば大事になっていた。
加えて、今自分には世間の注目が集まっている。
今後もああいうことを繰り返せば、いずれは彼に迷惑をかけてしまうかもしれない。
そうなる前に、いずれはプロになる者として忍耐力を身につける必要がある。
「今日は甘えすぎない我慢の日! 特にチューは明るい内は我慢! 絶対に我慢!」
言葉にすることで更に強く決意を固めて、彼女は呼び鈴を鳴らす。
KISS IS DEFEAT
こうして、絶妙にすれ違う二人の戦いが幕を開けた。





