第55話:夏祭り その6
「す、好きって……私が、大樹くんのことをですか……?」
まるで、自分でも気づいていなかった感情を指摘されてしまったかのように衣千流さんは呆然と言葉を吐き出す。
「何? 違うっていうの?」
「ち、違うっていうか……そんなこと考えたことも無いっていうか……。大樹くんはただ、光ちゃんの兄妹で、今日も服を汚しちゃったお詫びで夕飯をご馳走させてもらうつもりだっただけですし……」
「ふ~ん……それにしては随分と仲良さそうに見えたけどね。さっきなんて、腰に手を回されちゃってさ」
「そ、それは私がぶつかって転びそうになったのを支えてもらっただけです」
じっと心の奥底を覗き見るような南さんの視線を受け、衣千流さんが狼狽えながらも即座に否定する。
「じゃ、大樹くんの方はどうなの?」
南さんがその場でクルっと方向転換して、今度は矛先を大樹さんへと向ける。
「え? お、俺ですか?」
「君はチルのこと、どう思ってんの? まさか、揃いの浴衣でお祭りに来といて、『単なる妹の彼氏の従姉弟でしかない』ってわけでもないでしょ?」
「ええっと……俺はですね……その……確かに水守さんの店には通わせてもらって……でも、それは料理が美味しいからであって……」
大樹さんにも圧をかけて、言質を引き出そうとしている南さん。
まずいまずいまずい。まずいことになった。
ヘタレの大樹さんがこんな重圧に耐えられるわけがない。
実際に当人も俺の方を見ながら
『黎也! 黎也! 俺はどうすればいい!? 助けてくれ!!』
と、必死に助けを求めてきている。
テンパって変なことを口走る前にフォローしないと……。
でも、どうすれば……。
「私は水守さんってすっごい素敵な人だと思います!」
俺が動くよりも先に、横から光がそう言って会話に加わった。
「優しくて美人だし、何より料理も上手だし!」
「お、おぅぅ……そ、そだな……」
「もし水守さんみたいな人がお兄ちゃんの恋人になってくれるなら妹としてはすっごい嬉しいですね!」
「こ、恋人っておま……うぐっ!」
余計なことは言わずに、ここは私に任せろと肘で脇腹を小突かれている。
しかし、光は流石に人間関係のコントロールが上手い。
ここで大樹さんの口から直接、告白紛いの言葉を引き出すのは時期尚早。
下手をすれば、今後の関係に悪影響が出るかもしれない。
そう考えたのか、妹の意見として間接的に衣千流さんの意識が大樹さんの方へと向くように仕向けてる。
「……って妹ちゃんは言ってくれてるけど?」
光に誘導されて、南さんも大樹さんの言葉を待たずに攻撃対象を元に戻す。
「えぇ……そう言われても……ちょっと、いきなりすぎて……」
戸惑いつつも、間違いなく大樹さんを意識し始めている衣千流さん。
ここで俺が――
「ま、まあまあ! 衣千流さんの言う通り、そこまで事を急ぎすぎなくても!」
すかさずフォローの側に入って、結論を軟着陸させる方向へと持っていく。
光が言外に、『ナイス!』と視線で合図を送ってくる。
まるで三属性(+α)による巨大レイドボスの討伐戦だ。
「何だよ、黎也。お前だってチルには、さっさと男でも出来て落ち着いてくれた方が心配事も減るんじゃないの?」
「それは、そうですけど……流石に無理やりすぎるっていうか……」
「こいつが多少無理やりにでも背中を押してやらないとダメなやつだってのは、お前もよく分かってるでしょ? この機会を逃したら次はいつになるの? 五年後? 十年後?」
「それもそうなんですけど……」
衣千流さんの受け流し性能と、大樹さんの押しの弱さ。
その二つが合わされば、十年後も『店主と常連さん』以上の関係に進んでいないのは火を見るよりも明らかだ。
「だから、後のことはくっつけてから考えればいいの! ってことで、今すぐに――」
「分かります! 南さんが衣千流さんのことを昔からめちゃくちゃ心配してくれてるのはものすごくよく分かります!」
「し、心配って……別にそういうわけじゃ……」
「でも、人にはそれぞれのペースがあるじゃないですか」
自分の内に渦巻く未知の感情を恋だと認識したら、成就に向けて一直線。
誰もがそんな朝日光のようになれるわけじゃない。
「だから、ここはもう少し穏やかに見守るべきじゃないかな~……と、俺としては思うんですよ」
少し尻込みしながらも俺のスタンスを表明すると、南さんは『はぁ』と大きく息を吐き出した。
「……分かったよ。確かに急かしすぎた」
続けて渋々ながらも発せられた言葉に、ほっと安堵の息を吐き出す。
「でも、それはそれとしてお節介はさせてもらうけどね」
そう言うと、南さんはどこからともなく二枚の紙片を取り出した。
「なんですか? それ」
「遊園地のチケット。今日の手伝いの報酬だって独り身の私に二枚も渡してきやがって喧嘩売ってんのかと思ったけど、渡りに船とはこの事だね。あんたら二人、これで今度の休みにでもデートに行ってきなよ」
「で、デート……!?」
唐突に告げられた提案に、衣千流さんが普段より声を張り上げて驚く。
「そっ、自分の感情を確認するならそれが一番手っ取り早いでしょ? そうやって合わないと思ったらそこまでだし、少しでも何か芽生えたら次に繋げればいい。ちなみにこれはお願いじゃなくて命令だから拒否権はありません」
一旦は諦めたかと思ったが、引き続いての横暴っぷりに衣千流さんも困り果てている。
「でも、私だけの話じゃないですし……」
衣千流さんが、様子を伺うように大樹さんの方を一瞥する。
「大樹くんはどうなの? 君はチルと違って私に借りがあるわけでもないから無理にとは言わないけどさ」
「俺は……その……水守さんが乗り気じゃないな――いてっ! い、行きます! 是非、行かせてもらいます!」
横から光に『いいから受け取れ』と小突かれて、大樹さんは情けなくも了承する。
「……って大樹くんは言ってるけど?」
「まあ……大樹くんがいいって言うなら……チケット、もったいないですし……」
包囲網を敷かれた衣千流さんも渋々ながら了承する。
「よし、決まりだね! それじゃあ若人の会瀬を邪魔するのはこの辺りにして、私は退散させてもらおうかな。デートが終わったら色々聞きに行くから、ちゃんと連絡寄越すんだよ」
そう言い残して、レイドボスは祭りの運営テントの方へと去っていった。
「はあ……ほんとに、いつも強引なんだから……」
南さんが消えていった方を見ながら、衣千流さんが今日一番の大きな溜め息を吐く。
「大樹くんも変なことに付き合わせちゃってごめんね。先輩の手前で断りづらかっただけで、やっぱり無理なら今からでも止めるって言ってくれて私は全然構わ――」
「い、いえ! む、無理なんて……お、俺も……た、楽しみにしてます!」
光に小突かれる前に、緊張から汗だくになりながらも大樹さんは自分の言葉ではっきりとそう宣言した。
「そ、そう……なら、次のお休みは予定を空けておかないと……」
恥ずかしそうに、視線を逸らす衣千流さん。
まだその感情が恋愛のそれなのかは本人にも俺たちにも分からない。
ただ、それを確認するためのデートの場は実現された。
後は本番がどうなるか次第だけど、それについてはまた後で考えよう。
そうして、気を取り直して祭りに戻ろうとしたところで――
「黎也くんも、ごめんね。変な気を使わせちゃって……」
衣千流さんが、俺にだけ聞こえる程の小さな声で話しかけてきた。
「いや、俺こそごめん……妙なお節介を焼いちゃって……」
「ううん、その気持ちはすごく嬉しかったから……ありがとね」
「うん……俺は相手が大樹さんだからとか関係なく、衣千流さんには誰よりも幸せになって欲しいって本当に思ってるから……」
少し勇気を振り絞って発したその言葉に、衣千流さんはただニコっと力無く笑っただけで返事はなかった。
彼女が事故で両親を失ってから今年で十年。
未だ、呪いのように『自分は幸せになってはいけない』と思い続けてるのかもしれない。





