第54話:夏祭り その5
着物屋で全員分の装備を揃えた俺たちは、再び夏祭りへと繰り出した。
最初に通ったのとは違う道を並んで歩き、目的のワークショップがある神社へとまた向かう。
「黎也くん! 見て見て! ポリステあるよ! ポリステ5!」
俺の浴衣の袖を引っ張り、くじ引き屋の表に並べられたゲーム機を指差す光。
「ほんとだ。でも、ああいうのって基本当たりクジは入ってないんだよね」
「そうなの?」
「うん。男子は皆、あれで小遣いを散財して大人になっていくんだよ」
「へぇ~……そうなんだ……。世知辛いね~……」
くじ引き屋の前にたむろしている男子児童たちを見ながら光が言う。
そんな何事もなかったかのように祭りを無邪気に楽しんでいる彼女とは対照的に――
「っ……!」
衣千流さんはよそよそしいままで、さっきから俺と目が合う度に逸らされている。
あんな場面を見てしまったから仕方ないのかもしれないけど、少々露骨すぎないかとも思う。
ただ、怪我の功名というのか――
「た、大樹くん! ほら、見て! うなぎの蒲焼きだって!」
「は、はい……蒲焼きっすね……」
「屋台でうなぎなんて珍しくない?」
「そ、そうっすね……珍しいですね……」
「おいしそ~……食べてみようかな。大樹くんはどう思う?」
俺たちから少し距離を取っているせいか、おかげか……大樹さんとの会話が増えている。
大樹さんの方は相変わらずだけど、これで少しは距離が縮まるかもしれない。
「確かにうなぎもいいですけど……俺としてはキスも捨てがたいですね」
「き、キス……!?」
大樹さんの口から唐突に出てきた二文字に、衣千流さんと合わせて驚く。
「はい、キスです。あれもいいですよね」
「そ、そうなんだ……私、あんまりそういうの知らなくって……」
「え? そうなんすか? 珍しいですね。じゃあ、せっかくだし試してみませんか?」
衣千流さんを正面から見据えながら、どこか色気のある真顔で大樹さんが迫る。
まさか大樹さんがこんな大胆な攻め手を打つなんて……。
いや、変わり種でも朝日の血筋。
本来ならこのくらいの攻撃力を持ち合わせていてもおかしくないのかもしれない。
「た、試しって……大樹くんと……?」
「まあ、せっかくなんでご相伴に預かろうかと……」
「え、えぇ……でも、そういうのって普通は……大切な人同士でするものっていうか……」
大樹さんの誘いを受けながら、白い指先で自分の唇をなぞっている衣千流さん。
傍から見ているだけで、彼女の心臓が普段と異なる鼓動を鳴らしているのが分かる。
偶然解除されたギミックで強固に守れていた弱点がむき出しになっている状態。
今なら行けるぞ!!と心の中で大樹さんを必死に後押しするが……
「ほら、タルタルソースをつけるとめっちゃ美味そうですよ」
そう言って、大樹さんが指さしたのは『キスのフライ』の屋台だった。
……まあ、そんなもんだよな。
「あっ、キス……魚の鱚ね……あはは……」
「あっ、それ美味しそう! 私も食べたーい! 一本くださーい!」
安堵と照れが半々に入り混じった笑みを浮かべる衣千流さんの横で、何も知らない光が店主に小銭を差し出す。
そうして第一次の攻勢は不発に終わった……かのように思えたが――
「この後、ステージでなんかライブあるらしいけど見に行く~?」
「ライブって言っても、地元のおじさんたちのコピーパンドじゃなかった? キッスとかいう古いバンドの」
「き、きっす……!?」
時には、通りがかりの女子高生の会話に身体をビクっと震わせ――
「おーい、ちゃんと中までしっかり火を通しとけよ~! アニサキスがあるからな」
「あ、兄さんとキス……!?」
時には、また別の屋台のおじさんの会話に『流石にそうはならないだろ』と言いたくなるような翻弄のされ方をしていた。
そうして、再び神社の到着する頃には大樹さんのことを意識しまくってる一人の女性が出来上がっていた。
「……あの、大丈夫っすか? 顔、真っ赤ですけど熱とかあるんじゃないですか?」
そんな機微には気づくことなく、ただ様子のおかしい彼女を気遣っている大樹さん。
「う、ううん……! 大丈夫……! 熱いものを食べたから火照ってるだけ……」
それが逆に功を奏しているのか、あれだけ硬かったガードが今は緩みきっている。。
「あっ、あそこで線香花火の――」
これまで体験したことのない空気感に耐えられなくなったのか、衣千流さんが照れを隠すように振り返った瞬間――
「きゃっ……!」
近くを歩いていた人の肩がぶつかり、体勢を崩して倒れそうになる。
「おっと……大丈夫ですか?」
しかし、それを大樹さんが片手で難なくと支えてみせた。
大人一人を支えても全くブレていない体幹は、男の俺でも惚れ惚れとしてしまう。
「あ、ありがとう……」
「気をつけてください……人、多いんで……」
「はい……気をつけ、ます……」
熱っぽい視線を交わして、至近で見つめ合う二人。
互いの間にある恋愛の波動的なものがどんどん増幅されていってる気がする。
無関係の俺でさえ、心臓が少しドキドキしてきた。
「ねえねえ……あの二人、結構いい感じじゃない……?」
二人の様子を観察していると、光が耳元で囁いてきた。
「いい感じかどうかは分からないけど、画になる二人だなーとは思うかな」
大樹さんは言わずもがなのモデルばりの高身長イケメンで、衣千流さんも身内の贔屓を抜きにしても和装の似合う穏やかな美人だ。
外見だけなら、これほど“お似合い”という言葉が合うカップルはそう居ない。
「だよね。私、ちょっと本格的にくっつけようかなと思ってるんだけど……」
少し決意の含んだ声で、身内の俺に確認を取ってくる光。
「それはいいんだけど……どうしてそこまで?」
ただ、兄のためだけとは思えない意気込みに尋ねてみると――
「私、水守さんのことお姉ちゃんって呼びたい!」
思ったよりも俗な理由だった。
「まあ、実は俺も迷惑をかけない程度には後押ししようかなと思い始めてたとこ」
当初は二人の意思を尊重するつもりだったけど、こうなると多少はお節介を焼きたくなってくる。
何より、衣千流さんには支える人が必要なのはずっと思ってたことだ。
「じゃあ、共同戦線締結ってことで」
「オッケー。でも、基本は穏やかに見守る形で」
拳を合わせて、約定を取り決める。
今はまだぎこちないあの土壌をゆっくり大事に耕し、いずれは愛の巨木を育てようと。
「あれ? 誰かと思ったら黎也じゃん」
そうしていると、背後から聞き覚えのある声に呼びかけられた。
「あっ、南さん……」
振り返ると、行きつけの美容院の店主である東風南さんが立っていた。
「うわっ、しかも浴衣着てる……! もしかして、今から雨でも降る……?」
「なんすか、それ……」
「あっ、先輩! お久しぶりです!」
俺から少し遅れて、衣千流さんもその存在に気がつく。
「おー、チルもいたんだって……お前も浴衣かよ。何? 二人で祭りとか何か怪しい雰囲気だなぁ……こちとら商工会の手伝いで汗垂らして無償労働してんのに」
「いや、そんなわけないじゃないですか……それに二人じゃなくて……」
「ねえねえ、黎也くん……この人、誰?」
変な邪推をしてきた南さんに呆れていると、光が隣からコソっと耳打ちしてくる。
「えーっと、この人は東風南さんって言って……俺が行ってる美容院の店長で、衣千流さんの高校時代の先輩。昔、色々お世話になったっていうか……まあ、そんな感じの人」
「へぇ……水守さんの……」
俺が南さんを光へと紹介している間、彼女は文字通り目を丸々と見開いていた。
「で、こっちは……ほら、前に南さんにも少し話したことのある……」
「はじめまして! 朝日光って言います! 黎也くんの彼女です!」
光が初対面の相手にも全く物怖じせずに、いつものようにハキハキとした声で自己紹介を行う。
「彼女!? 黎也の!? この子が!?」
それを聞いた南さんの驚愕が最高潮に達し、三分割の素っ頓狂な声へと変換された。
「はい、まあ……そうです……」
「え、えぇ……黎也って、もしかして催眠術とか使える……?」
「使えるわけ無いじゃないですか……」
俺と光を何度も見比べながら、若干失礼なことを言ってきた南さんにツッコむ。
「いや、だって……お前、こんなアイドルか女優みたいに可愛い子がお前の彼女って……てか、実際どこか見たことあるような……あっ! 先月のナナティーンの表紙になってたテニスの子だ!」
「あ、はい! そうです! 先月、表紙に載せてもらいました!」
南さんが導き出した答えに、光が嬉しそうに答える。
「はえ~……まさか、あのゲームばっかりやってた根暗なガキがそんな子を捕まえるなんてねぇ……いや、黎也はやる時はやる男だと私は思ってた! うん!」
まるで、『私が育てた』と言わんばかりに胸を張る南さん。
まあ、確かに今の髪型はこの人にカットしてもらったから全くないというわけじゃないけれど……。
「んで、そっちの背の高いイケメンくんは?」
「あっ、大樹くんはその光ちゃんのお兄さん。うちの常連さんでもあるんだけど、今日は色々あって四人でお祭りを回ることになったんです」
「ども、朝日大樹です」
丁寧に紹介した衣千流さんに続いて、大樹さんがぶっきらぼうに挨拶を返す。
「そっちも付き合ってんの? 揃いの浴衣なんて着ちゃって」
「ち、違いますって。もう……みんなそういう話に持っていくんだから……」
誰もが思うような質問に、衣千流さんが同じように返す。
ただ、その言葉はいつもより少し歯切れが悪かったようにも思えた。
「まっ、そうだろうとは思ってたけど……ふ~ん……」
南さんが値踏みするような表情を浮かべつつ、大樹さんの方へと歩いていく。
「な、なんすか……?」
「いや、兄妹揃ってすっごい美形だなぁ~……って。ちなみに学生?」
「そ、そうっすけど……」
初対面の女性から無遠慮に迫られて、若干尻込みしている大樹さん。
イケメンで頭も良くて仕事も出来るのに、女性への免疫が全くないところだけはすごく親しみを覚えられる。
「どこ大?」
「と、東帝の理Ⅰですけど……」
「東大!? はえ~……神は二物を与えるってもんだねぇ~……」
「は、はぁ……」
「ちなみに今、付き合ってる相手とかいな――」
「も、もう先輩……! 大樹くん、困ってるから……!」
衣千流さんが間に入って、南さんの質問攻めを制止する。
「ごめんごめん。でも、お前が黎也以外の男といるのが珍しいから……つい」
「もう、久しぶりに会っても全然変わってないんですから……」
申し訳無さそうに頭を掻く南さんに、衣千流さんが呆れるような溜め息を吐く。
「そういうお前は随分変わったね。お姉さん、嬉しいよ」
「嬉しいって……何がですか?」
「何がって、そんな露骨なのに今更惚けなくても……」
言葉の意図を掴みかねている衣千流さんに、今度は南さんが呆れたように言う。
「お前、この大樹くんが好きなんじゃないの?」
そして、俺たちが大事に育てようとしてた土壌に、空中から東の風に乗って超高濃度の農薬が散布された。





