第51話:夏祭り その2
人混みから頭一つ抜き出て大きな男性はどう見ても大樹さんで、その傍らで楽しそうに笑っている女性はどう見ても衣千流さんだ。
でも本来なら今は営業時間中で、近所とはいえこんなところにいるはずがない。
しかも、大樹さんと一緒だなんてまるで夢でも見ているようだ。
もしかして、本当に今自分は夢でも見ているんじゃないか?
だって、光が突然の夏祭りに合わせて浴衣を用意してくれてたなんて都合が良すぎる。
いや、根本的に彼女が告白してきた今付き合っている事自体が大長編の夢なんじゃ……。
眼の前の情景があまりにも信じがたく、これまでの全てが胡蝶の見ている夢だったんじゃないかとネガティブモードに入りかけていると――
「ねぇねぇ……あれ、お兄ちゃんと水守さんだよね?」
横からツンツンと突かれた確かな現実の感覚に正気を取り戻す。
「うん、そう見えるけど……」
「なんでいるんだろ……お仕事どうしたのかな?」
「さあ……俺にもさっぱり……」
「二人……付き合ってるのかな?」
光がボソっと物事の核心めいた言葉を呟く。
お揃いと思しき浴衣を着て、仲睦まじそうに談笑している。
手こそ繋いだりしていないが、美男美女なのも合わさって恋人感は強い。
「どうだろう……。でも、どっちにしてもこの場はそっとしといた方がいいんじゃない?」
「それは同意。ちょっと違うところ行こっか」
話を聞くのは後からいくらでも出来るし、本当に付き合ってるなら遠からず報告されるはず。
互いに野暮なことはしない方がいいと、その場から立ち去ろうとするが――
「あれ? 黎也くんと光ちゃん?」
向こうもこっちの存在に気がつき、躊躇なく声をかけてきた。
その言葉に俺たちが反応するよりも先に反応したのは、大樹さんだった。
彼は俺の姿を見るや否や――
「れ、れいや~……!」
とまるで地獄に仏を見つけたような風に、こっちへ向かって歩いてきた。
あっ、これ付き合ってねーわ。
そう確信するのに十分すぎるほどの情けなさだった。
「ども、こんばんは……奇遇ですね……」
「お、おお……おぅぅ……これぁ……奇遇ってか、なんつっか……そのな……」
とりあえず会釈をしてみると、言葉になってない謎の声が返ってきた。
さっきはすごくお似合いのカップルに見えたけど、どうやら気のせいだったらしい。
「水守さん、こんばんは! お久しぶりです!」
「こんばんは~」
大樹さんとは対照的に、衣千流さんは落ち着いた様子で挨拶を返している。
「あの……早速なんですけど、付かぬことをお伺いさせてもらってもいいですか?」
向こうから接触してきた以上は聞かざるを得ない。
そう判断したのか、まだ兄を諦めてない光が早速核心に踏み込もうとする。
「ああ、そうよね。お兄さんと一緒にいるから驚いたよね」
「はい! もしかして、二人は付き合ってるんですか!?」
やや苦笑気味の衣千流さんに、光が持ち前の攻撃力で斬り込んだが……
「違う違う。私たち、そういう関係じゃないから」
と、慌てるでもなくあっさりと否定されてしまった。
「そ、そだろよぉ……お、俺と水守さんが……つつつ、つきあうなんて……まさか……そんな……もごもご……」
本人は配慮のつもりで即断で否定したんだろうけど、大樹さんにはしっかりとダメージが入ってしまっている。
「でも、じゃあなんで大樹さんと一緒に?」
「う~ん……それは話すとちょっと長くなるんだけど~……」
ほんの少し照れくさそうに笑いながら、衣千流さんが事の経緯を説明してくれた。
端的に言うと、『今日のシフトに入っていた川瀬さんが、子供が高熱を出してしまい夜の営業時間に出られなくなってしまった。そこで何故かいつも居る大樹さんが代わりに手伝おうとしたけど、衣千流さんが盛大にやらかして仕込み途中だったスープを彼へと向かってぶちまけてしまった。そんなこんなで夜の営業は結局出来なくなり、お詫びに夕飯だけでもご馳走しようと思ったら大樹さんが“だったら近くで夏祭りやってるみたいなんで、夏の風情でも楽しみながら一杯どうですか?”的に誘って今に至る』ってな感じらしい。
「なるほど~……そうだったんですかぁ……」
光が露骨に残念そうに肩を落としている。
一方、俺は大樹さんの背中をポンポンと叩いて
『誘えただけでも大した進歩っすよ』
と、偉そうに無言のメッセージを送っておいた。
「でも、それだったら俺らちょっと間が悪かったですか?」
大樹さんだけに聞こえるように、小さな声で話す。
せっかく二人きりで夏祭りを楽しんでいたところに、邪魔をする形になってしまったんじゃないだろうかと心配になる。
「いや、来てくれてまじで助かった……。後一分遅れてたら会話のネタがもう同人声優の話しか無くなってたところだ……」
「ギリギリ間に合ったみたいで何よりです」
一人の男が人生を終わらせる寸前のところで助けられたらしい。
「……ちなみに、それまでは何の話してたんですか?」
「ポストモダン運動が最も活発だった7,80年代に幾何学的なデザインのインテリアが多く生み出されることになった理由についての考察だ」
「落差すごいっすね」
でも、衣千流さんはインテリア好きだから喜んで聞いてくれてそう。
「でも、どうして揃って浴衣を?」
「私が大樹くんの服を汚しちゃったから代わりにって貸してあげたの。お祭りだし、これでもいいかなって。それで、私だけ普段着なのも変だからって一緒に」
「なるほど……でも、よく男物の浴衣なんてあったね」
「うん、お父さんのがね」
俺の疑問に、衣千流さんは短く答えた。
「伯父さんのって……いいの?」
「うん、大樹くんって身体大きいからこれくらいしか入るのがなかったし……それに、着てくれた方がお父さんも喜ぶと思うから。私のはお母さんのだし」
ニコッと朗らかな笑みを浮かべて、浴衣を見せるようなポーズを取る衣千流さん。
事もなげに言われたが、その重要な意味をこの場で俺だけが分かっている。
「衣千流さんがそう言うなら……まあ……」
「それより、二人こそデートだったんじゃないの?」
「はい! 私はさっきまで練習だったんですけど、見学に来てくれてた黎也くんが終わったら行こうって誘ってくれたんです」
「へぇ~……黎也くんから誘ったんだぁ~……」
ニヤニヤと少しからかうような感じで言ってくる。
「そりゃ……普通に誘うくらいするって……」
「そうだよね。二人は恋人同士だもんね」
保護者として、その事実が何度確認しても嬉しいのか衣千流さんの笑みが深まる。
思い返してみれば、いつも自分よりも他人の幸福を喜ぶ人だ。
だからこそ、幸せになって欲しいと余計なお世話を働きそうになってしまう。
「でも、デート中なら私たちはそろそろ退散した方がいいのかな?」
「邪魔なんて全然! それより、せっかくなんで一緒に回りませんか?」
「一緒に? う~ん……楽しそうだけど、二人の邪魔になるといけないし……」
「そんなことないです! むしろ、大勢いた方が絶対楽しいですよ!」
俺たちのデートを邪魔したくないと思っている衣千流さんと、この偶然を活かして兄のアシストをしてあげたいと思っている光。
その後ろでは、手札を使い切ってしまった大樹さんが『頼む!!! 居てくれ!!!』と俺に無言の懇願をしてきている。
「……光もこう言ってるし、一緒に回らない? 俺も邪魔とか思わないし」
色々な物を秤にかけた結果、大樹さんに同人声優の話をさせるわけにはいかないと光の側に付くことにした。
「光ちゃんと黎也くんがそこまで言うなら……」
光と闇の協力攻撃で、遂に水属性の強固な守りを打ち破った。
その勝利に心の中で光とハイタッチするが――
「でも、そうなると一人だけ仲間外れがいるんじゃないかな~……?」
大樹さんから光と、順番に視線を衣千流さんが最後に俺の身体を見る。
「確かに、集団のバランスが悪くなっちゃいますよね」
続いて、光もある意味こっちが本命だったとばかりに俺の身体を見てくる。
四人中三人に共通していて、俺だけにないもの。
「向こうにレンタルのお店があったから、まずはみんなで黎也くんのを選んであげるってのは、どう?」
「さんせーい!」
さっきまで味方だったはずの光が裏切り、二対一が瞬く間に逆転する。
俺は着なくていいから、なんて言って乗り切れそうな雰囲気ではなさそうだ。
謀られた……。





