第50話:夏祭り その1
浴衣を身にまとった恋人の姿に、目も心も一瞬で奪われてしまった。
「おーい……どうしたのー……?」
呆然と立ち尽くしている俺を心配するように、光が顔を覗き込んでくる。
「うおっ……!」
たじろぎ、一歩後ずさってしまう。
「うおっ……って、その反応はちょっと期待してたやつと違うんだけどぉ~……」
「ご、ごめん……でも、まさか浴衣を着てくるとは思ってなくて……」
ムッと眉間に皺を寄せた光に、弁明の言葉を紡ぐ。
「まあ、それには私も同意。まさか用意してくれてるなんて思わなかったし」
「……どういうこと?」
「お母さんが用事のついでに、家から持って来てくれたから私的にもサプライズ」
「ああ、そうだったんだ……」
眼の前の光と、さっき聞いた別の言葉の両方に納得を示す。
なるほど、『ご褒美』ってこれのことだったのか……。
「それで、改めて聞くけど……どう?」
「もちろん、すごく似合ってる」
「そう言ってもらえると安心した~。私、和装が合わないタイプだと自分では思ってたし」
「いやいや、全然そんなことないって。なんて言うか……『夏!!』って感じで」
語彙力皆無な誉め言葉で返す。
確かに和装といえば、黒髪ロングでしとやかな和風美人的のイメージがある。
でも、光みたいに明るい女の子が着ても、それはそれで夏の風情を強く感じさせる。
「えへへ。去年の撮影で一回着ただけのやつだけど、もしかしたらまた着る機会があるかもって置いといて良かった。男の子とのデートで使うとは思ってもなかったけど」
そう言って、光が少し照れくさそうに笑う。
さっきは笑顔が好きだと答えたけれど、新鮮な服装も合わせてその評定が抜群に可愛かった。
こういうのを惚れ直した、と言うんだろうか。
まるで最初の一目惚れを追体験したような気分で、互いにしばらく見つめ合う。
「そ、それじゃあ、そろそろ行こっか……」
「うん!」
照れ隠しに手を差し出すと、彼女は嬉しそうに手を重ねてきた。
そうして、彼女の手を引き、夏祭りが行われている神社まで歩いて向かう。
「あっ、見えてきた!」
二十分ほど歩いたところで、遠くからそれらしき景色が見えてきた。
神社へと続く道が、大勢の人々でごった返している。
その左右には、屋台の光がずっと遠くまで連なっていた。
「おおー! お祭りだー!」
はしゃぐ光の声も、祭りの喧騒にかき消された。
少子化という言葉が嘘のように、地元の学生や家族連れが大勢歩いている。
「手前から順番に見て行こうか」
「うん! あっ、だったら最初は……」
俺たちもその中へと混ざろうとしたところで、光が下駄の音を鳴らしながら一番手前にあったお面の店へと走っていく。
その後を追い、俺も店先で足を止める。
「う~ん、どれにしようかなぁ~……」
彼女は店先に並べられた数多のお面を眺めて、どれにしようかと吟味している。
「なんでお面?」
「ん? だって、ほら……あっ、これください!」
「はいよ、1000円ね」
光が財布から千円札を取り出して、店主へと手渡す。
「ほら、これで動物園の時みたいにはならないでしょ?」
受け取った『でっかわ』のお面の下で、笑顔を浮かべながら光が言う。
どうやら前回の教訓から、まずは身バレ対策を……ということらしい。
確かにこれだけ人が居れば、また大勢のファンに声をかけられてまともにデートができなくなるかもしれない危惧はある。
でも――
「今日は別にそこまでしなくてもいいんじゃない?」
「え? どうして?」
お面を横にズラして、光が不思議そうに俺を見上げてくる。
「だって、せっかくの浴衣だし……お面で顔が見えないのは勿体ないかなって……」
「それって……お面を付けない方がかわいいってこと?」
「ん……まあ、端的に言えば……。買ったばかりで悪いんだけど……」
「も~……黎也くんがそこまで言うならしかたないなぁ……」
本心で答えると、光は買ったばかりのお面を後頭部の方へと回した。
「あっ、それならお祭りっぽくてもっと良くなったかも」
「何それ」
俺の言葉に光がクスクスと笑みを零す。
「じゃあ、もし前の時みたいになったら今日は黎也くんが守ってくれるってことでいい?」
「守るって……そこまでのことにはならないでしょ、多分」
「分かんないよ? 身動きできなくなるくらいの人に囲まれちゃうかも。その時は、責任を持って黎也くんが『今プライベートだから』って引っ張り出すくらいはしてくれないと」
「……分かった。じゃあ、その時は憎まれ役に徹するよ」
そうして互いに合意を得た俺たちは、夏祭りの喧騒へと足を踏み入れた。
「やっぱり、お祭りと言えばぶどう飴だよねー」
「普通りんご飴じゃない……?」
「私、ぶどうの方が好きなんだもん。あっ、牛串だって! あれも食べた~い!」
出店している屋台に並んで、色んな物を食べたり――
「あっ、金魚すくいだ!」
「やってみる?」
「うん、じゃあどっちかいっぱい取れるか勝負ね!」
「オッケー。じゃあ、負けた方が隣のベビーカステラを奢るってことで」
そんな勝負を挑んで案の定、ボロ負けしたり――
「射的だって! 射的! あれもやりたい!!」
「……じゃあ、小物が一点。中くらいの物が二点。大きいぬいぐるみが五点で勝負しようか」
FPSで鍛えたエイムを見せてやると挑んだリベンジマッチで、やっぱりボロ負けした。
「んふふ~……これで三人全員揃ったねー」
「店のおじさんもめちゃくちゃ驚いてたね。まさか、これを落とされるなんて……って」
満足した表情で、でっかわ最後の仲間であるタヌキのぬいぐるみを抱きしめる光。
勝負では完敗だったけれど、この顔が見れたなら俺の勝ちと言ってもいい。
「さて、次は何する? それとも何か食べる?」
「う~ん、屋台もいいけど神社の方でやってる催し物も見に行きたくない?」
「確かに、そういえば向こうで線香花火作りの体験もあるってチラシに書いてたかな……」
「あっ、それもすっごいやりたい!!」
そうして手を繋ぎ直して、並んで神社までの道のりを歩く。
今のところは危惧していた邪魔もなく、二人きりで祭りを満喫できている。
一番幸いだったのは、学区からは離れていて同級生とは今のところ出会わなかったこと。
相変わらず、俺たちの関係は校内ではまだまだ認められているとは言い難い。
女子からは疑念や困惑、男子からは嫉妬や怒りの感情を少なからず向けられている。
以前と比べれば気にはならなくなってきているけれど、それでも出くわせば光に余計な気を使わせてしまっていただろう。
そんなことを考えながら、ふと隣を見ると一拍遅れて振り返った彼女と目が合う。
「ん? 何?」
可愛らしく小首を傾げる光を見て、心臓がドキっと跳ねる。
「その……改めて見ても良い浴衣だなーと思って……」
「え~……私じゃなくて浴衣を褒めるんだ~……」
「いや、光に似合ってるのは当然として浴衣そのものも綺麗だなと……」
「それは確かに、色合いが深くてすごく綺麗だよね。これ、天然の繊維で織った布を一つ一つ手染めしてるんだって。職人技だよねー」
光が浴衣の裾部分を指で摘んで伸ばしながら言う。
自然な光沢のある白い生地に、深みのある青色で花柄が全体に施されている。
腰に撒いている朱色の帯も合わせて、まるで彼女のために作られた一着のようにさえ思えるくらいに似合っている。
「へぇ……手染め……。じゃあ、もしかして値段もすごく高い?」
「えーっと……これは撮影用に貰ったものだけど、お店で注文すると十万円くらいって言ってたかな」
「十万!? それはすごいなぁ……」
ミドルクラスのグラボが買える値段だ。
俺のタンスにある服を全部合わせた価値よりも高いかもしれない。
「でしょ? でも、そろそろ浴衣じゃなくて私の方も褒めて欲しいかなー」
「もう散々褒めた記憶があるけど、まだ足りてなかった?」
「うん、全然足りてない。もっと、一分に一回は可愛いって言ってもらわないと」
注文通りにひたすら褒め続けながら歩いていると、目的地の神社へと辿り着く。
境内には催し物のためのステージが設置され、より多くの人で賑わってた。
今から最後列に入るにも、結構な時間がかかりそうだ。
「先にお参りしとく? 納涼祭りだけど、ご利益はあるかもしれないし」
「うん、そうだね。今日、黎也くんが見学に来てくれた日にお祭りを開いてくれた神様に感謝しとかないと」
そうしてまずは人が少なめな拝殿の方に向かおうとするが――
「え? あれって……」
歩き出そうとしたところで、光が大勢が行き交う人混みの方を見て足を止める。
何かあるのかと思って俺も同じ方向を見ると、少し遅れて“その二人”を見つけた。
背が高く精悍な顔つきをした男性と、その隣で上品に笑っている長い黒髪の女性。
「お兄ちゃん……?」
「衣千流さん……?」
俺たちのよく知る二人が、浴衣を着て仲睦まじそうに歩いていた。
次回は金曜日の18時に更新予定です。





