第49話:朝日光の一日に密着 その4
「撮影って言われてもなぁ……」
渡されたスマホを片手に呆然と立ち尽くす。
防球ネットの向こう側では、既に練習が始まっている。
「はっ! 次、もう少しテンポ早めにお願いします!」
コート上では、球出しをしているスタッフに光が注文を出している。
一体これをどう撮ればいいのか……。
彼氏なら彼女の魅力は一番よく分かっているはず。
もちろん、そう有りたいとは思っているけど自負と実態は必ずしも一致しない。
しかも、百万人近いフォロワーに晒されるのなら生半可なものは撮れない。
「どうしたもんか……」
他人から見れば、SNSに上げるくらいの写真や動画にそこまで悩むことはないと思うのかも知れない。
けれど、朝日光の彼氏として……そして、一番のファンとして。
つまらないものを撮って、彼女の世間的な評価を僅かでも毀損したくないと思ってしまう。
「あの……中に入って撮ってもいいですか?」
とりあえず、ネット越しだと良い画が撮れないなと近くにいるスタッフの人に尋ねる。
「はい、プレー中に近づきすぎなければ大丈夫ですよ」
快く承諾してもらえたので、迂回してネットの内側へと入る。
練習に集中しているのか、光は俺が入ってきたことにも気づいていない。
コートのあらゆるところに連続で出されるボールを追っては打ち続けている。
さて、この風景からどんな一瞬を切り取れば『映える』のだろう。
……やっぱり、普通にボールを打つ瞬間か。
少し悩んだ結果、オーソドックスなものがベストだと判断する。
スポーツ誌の表紙を飾ってもおかしくないような一枚を撮ってやると意気込んで、撮影ポジションを探っていく。
「この角度かな……」
斜め前の位置につき、そのまま撮影用のスマホの画面越しに彼女の姿を眺める。
出されたボールの下へと走り、しっかりと構えて打つ。
ただそれだけのことなのに、すごく綺麗で、優雅さすら覚える。
テニス経験のない素人の俺でもレベルの高さがはっきりと分かる。
お手本のような、という言葉がまさに相応しいと思った。
「と、いつまでも見惚れてないで撮らなきゃ……」
まずは試しにと、打つ瞬間の写真を何枚か撮ってみる。
「ん……もっとブレたりするのかと思ってたけど、結構綺麗に撮れるな」
流石はカメラ性能が売りの最新機種。
色んな補正が自動で働いて、俺みたいな素人でも綺麗に撮れる。
「でも、なんか……う~ん……」
ただ綺麗に撮れてるだけで、光の魅力が100%伝わるような写真じゃないな……。
何が悪いんだろうか……。
構図? ライティング? それとも、テーマ性の欠如?
それとも、自分の中にある理想が高すぎるんだろうか……。
やっぱり、まずは美味しいリンゴを投げて警戒心を解くべきか……。
いや、メニュー画面からスクショモードに入れば時間を止めて撮り放題だ。
「って、ダメだダメだ。思考が迷走しすぎてゲーム脳になってきてる……」
頭の中に沸いて出てきた妙な考えを振り払う。
「SNSに毎日何枚もアップしてる内の一枚なんだし、肩肘張りすぎないようにしないと……」
難しく考えすぎるなと撮影に意識を戻す。
けれど、やっぱり自分が満足いくような写真はなかなか撮れない。
気分転換に、今度は動画も撮ってみようとカメラモードを切り替えたところで――
「あれ? 黎也くん? そんなとこで何してるの?」
小休憩に入った光が、ようやく俺の存在に気がついた。
「お母さんに、SNSにアップする用の動画を撮っておいてって言われて撮影中」
「へぇ~……これ、今撮ってるの?」
「うん……と言っても、今撮り始めたところだから練習風景は入ってないけど」
「ふ~ん……いぇ~い! ピースピース! みんな見てる~! こんな感じ?」
ラケットを置いた光がカメラに笑顔で手を振ったり、ピースサインを向けてくる。
「生配信じゃないんだから……それに、撮るのは練習風景」
「そうなの? 私はこういうのも全然いいと思うけどなぁ……あっ、そうだ! だったら、いいこと思いついた!」
また良からぬことを思いついたらしい。
「私の彼氏ですって黎也くんを紹介するのはどう?」
「却下」
「え~……なんで~……? いいじゃん。ほんとのことなんだから」
不満げに口先を尖らせながら接近してくる。
「プライベートの切り売りのしすぎはよくないし……それに……」
「それに?」
「……男性ファンから恨まれそうで怖い」
テニス界期待の若手で、アイドル並かそれ以上のルックスを持ったティーンモデルの星。
如何に本人がそんな売出し方をしていなくとも、どうしてもアイドル的な人気は生まれる。
彼氏がいるなんて知られれば人気にも影響するだろうし、ファンには恨まれるに違いない。
「え~……そんなこと気にする男の人のファンなんているかなぁ~……? 私、別にアイドルじゃないし、ファッション誌も女子向けのにしか基本的に出てないけど」
「いやいや、普通にいっぱいいるって……」
「そう? なんでそう思うの?」
唇に人差し指を当てて、惚けるように聞いてくる。
……これ、絶対に分かってて言ってるな。
分かった上で、俺から特定の言動を引き出そうとしてる。
もう何度も何度も引っ掛けられて、そのやり口は流石に学習した。
「だって、それは……いや、流石に分かるだろ……?」
「ううん、全然分かんない」
文字媒体なら(すっとぼけ)と語尾に付いてそうな白々しさ。
わざとやってるのは分かってるし、学習もした。
「光は、めちゃくちゃかわいいから男のファンも多いんだって……」
けれど、一対一では何をやっても勝てないのも分かっていた。
白旗を上げて、求めていた言葉を紡ぎ出す。
自分からそういうことを言うのは未だに恥ずかしすぎて、レンズ越しにしか顔を見られなくなる。
「……もう一回言って?」
「光はそこらのアイドルよりも何倍も可愛くて顔推しの男ファンもいっぱいついてて、彼氏がいるなんて知ったら恨まれそうだから現状で俺の存在は対外的には限りなく空気のように扱ってもらいたいです」
「へぇ~……黎也くんって私の顔をそう思ってたんだぁ~……」
いつもみたいに小悪魔的な笑みを浮かべて、更にじわじわとにじり寄ってくる。
「いや、俺だけじゃなくて世間的にもそういう感じだから……てか、近いって……」
「そう? 全然、近くなくない? カメラ越しだからそう思うだけでしょ」
「いやいや、もう撮影の距離じゃなくなってるから……」
「でも黎也くん曰く、『めちゃくちゃかわいい顔』をもっと近くで撮ってもらわないと」
そう言いながら、カメラにキスしそうなくらいまで迫ってくる。
「どんな顔がかわいい? 笑顔? 困り顔? それとも照れ顔とか?」
「なんでもかわいいから……ほら、早く練習風景の方を撮らせて……」
「なんでもじゃなくて、ちゃんとどんな顔が一番いいのか教えてくれなきゃダメ」
母親という強力な仲間の不在。
それだけで、俺と彼女の戦力差は圧倒的に開く。
トップレーンでヨリックがイレリアとマッチアップするよりも絶望的だ。
「……笑顔」
「笑顔? 笑顔の私が一番かわいい?」
うんうんと首を縦に振って答えると、彼女は満足げにムフーっと息を吐き出した。
「じゃあ、そんな黎也くんのために最高の笑顔で……イェーイ! ピース!」
カメラに向かって、今日一番の笑顔を浮かべてピースをする光。
こんなのをSNSにアップしたら、男性ファンがもっと増えてしまいそうだ。
練習が再開され、彼女がコートの方へと戻っていく。
その背中を見送りながらながら、『これは流石に使えないよな』と新しいデータで録画を始めた。
そうして、更にああでもないこうでもないと構図と格闘すること二時間――
「ただいま~。どう? 良さそうなの撮れた?」
「はい、まあ……そこそこに……数ばかりが増えた気もしますけど……」
戻ってきた光のお母さんにスマホを返して、俺の撮影イベントは終わった。
「そう……って本当にかなり撮ってるわね……」
スマホの画面を見ながら、お母さんが少し驚いたように言う。
「その、何十万ってフォロワーに見られるんだから出来るだけ良い写真を撮らないと……って思った結果というか……」
「それはご苦労様。きっと素敵な写真がいっぱいでしょうし、ご褒美も奮発してあげた甲斐があったわね」
「ご褒美……?」
「それは見てからのお楽しみ。光ー! そろそろ上がってもいいわよー!」
お母さんが娘を彷彿をさせるような悪戯な笑みを浮かべた後に、コート上の光へと向かって声を張り上げる。
「はーい! じゃあ、ちょっとクールダウンしてから上がるねー!」
同じくらいに大きな声で光が応える。
こうして、テニス選手としての朝日光の一日と俺の見学ツアーは幕を下ろした。
*****
「休み中はこれをほとんど毎日なんて、すごいなぁ……」
本棟のロビーで、空いた椅子に座りながら独り言つ。
朝の9時から始まり、三十分程の昼休憩を挟んで17時過ぎまで。
その間、短い休憩はあれどもほとんどぶっ通しで練習を続けていた。
朝日光という人間は、新しい側面を知れば知るほどにすごいと思い知らされる。
「俺も少しは見習わないとな……」
自分の身体を見下ろしながら呟く。
お世辞にもたくましいとは言いづらい細身。
これから一緒に海へも行くし、きっと他にも身体を見せる機会があるだろう。
その時のことを考えると、多少は鍛えておいた方がいいように思えてきた。
「にしても、ちょっと遅くないか……?」
洋ゲー主人公並にマッチョになった自分が光を抱っこしている姿を夢想していると、時刻は18時に差し掛かろうとしていた。
練習後のシャワーと着替えにしては、随分と時間がかかっている。
「何かあったのかな……?」
夏だからまだ外は明るく、夏祭りを楽しむ時間は十分に残っている。
けれど、遅すぎると何かあったのかと少し心配になってきた。
椅子から立ち上がって、様子を確認しにいこうとした瞬間――
「お待たせ~! ちょっと準備に手間取っちゃった~!」
背後にある廊下の方から、少し浮かれたような声が響いてきた。
単に遅れてただけかと、ほっと一息吐いて立ち上がる。
「いや、だいじょ――」
そのまま振り返って、彼女の姿を見た瞬間に言葉を失った。
「どう? 似合ってる?」
両手を肩の辺りまで上げて、全身を見せるようにその場でクルっと一回転する光。
足首の辺りまで伸びた裾と、たおやかに垂れ下がった袖口がふわっと靡く。
優雅な青い花柄が全体を彩り、腰には情熱的な朱色の帯を巻いた白の和装。
彼女はいわゆる、『浴衣』と呼ばれる服を身に纏っていた。





