第48話:朝日光の一日に密着 その3
食堂を後にして、今度はトレーニングルームを案内してもらうことに。
「ここがトレーニングルームね。有酸素からウェイト系、体幹トレーニングまで機材なら大体なんでもある揃ってる」
ひと目見て使い方が分かるものから、どう使うのか全くわからないものまで。
所狭しと並べられた多数のトレーニング機材。
街沿いにある有名なジムを外から見たことはあるが、同じくらいに充実している。
年齢層は少し高めで、主に俺と同年代以上の人たちが利用しているようだ。
「ちなみにこの最新機材も会員なら全部使い放題! 入会するなら今しかない!」
何か、案内の趣旨が変わってきてないか……?
「ところでこういうバーベルとかダンベルとか、やっぱり光もかなりの重量を持ち上げられるんですか……?」
近くで、他の人がやってるウェイトトレーニングを見ながら言う。
ここまで何でも完璧にやってるところを見てきたせいか、彼女なら百キロくらいは軽く持ち上げるんじゃないかというイメージが浮かんでくる。
「ん~……そんなでもないかな。あの子、ウェイト系は最低限しかやってないし」
「そうなんですか?」
「うん、見ての通り線は細めでしょ? あの子の持ち味はパワーじゃなくて、どんな体勢からでも打てる柔軟性と繊細なボールタッチだから変に筋肉を付けちゃうと逆効果なのよね。だから、基礎トレーニングは体幹と柔軟が基本かな……ほら、あんな感じ」
トレーニングルームを奥まで歩いていると、マットが敷かれたエリアに辿り着く。
そこで光がトレーニング用のウェアに着替えて柔軟運動をしていた。
「うわっ! すごっ……」
それを見て、思わず驚嘆の声を上げてしまう。
彼女はマットの上で両足を180度開いたまま、上体をベタっと床にくっつけていた。
俺の部屋で軽いストレッチをしているのを見て、身体が柔らかいとは思ってたけどまさかここまでとは……。
まるで新体操かバレエの選手だ。
「あっ、黎也くん!」
上体を起こした光が俺の存在に気づく。
「それ、痛くないの?」
「全然、ほらこんなことだって出来ちゃうよ」
「うおっ……! 人体の不思議……!」
今度は肘を地面に付いて下半身を持ち上げたと思ったら、海老反りになって足を頭の左右に持ってきた。
「更に……ここから、こうやって……ほっ!」
そのままブリッジの体勢になり、最後は手で床を押して跳ねるように立ち上がった。
「おー……!」
まるで大道芸でも見ているような気持ちになって、思わず拍手してしまう。
「黎也くんもやってみる? 軽く食後の運動ってことで」
「いや、俺はいいよ……服も普段着だし……」
「いいからいいから! ほら、こっち来て!」
半ば強引に手を掴まれて、マットの上に引っ張られる。
「あんまり無茶なことさせないでよ? 怪我させたらうちの責任になるんだから」
「大丈夫大丈夫。ほんとに軽いのだけだから」
母親にそう応えながら、光が背中側へと回る。
「最初はまずは腕をこうやって交差させて……」
「こう……?」
「そうそう、そしたら腰を使ってグっと引っ張るような感じで……」
そのまま背後からやり方をレクチャーしてくれるが――
「うんうん、そんな感じ! で、力を入れる時にこことかここを意識してみて?」
……なんか、ボディタッチがやたらと多くないか?
口で言えば分かるようなところでさえ、わざわざ手でペタペタと触られている。
もしかして、こうすれば練習中でもイチャつけるとか思ってるんじゃないか……?
でも、ただ丁寧に指導してくれてるだけかもしれないので言いづらい。
「あー……確かに、効いてる感じがする」
「でしょ? そしたら次は、ここをこうやって曲げて……」
そうして文字通り、手取り足取りで俺の身体がほぐされていく。
「ここも、こうしてグイっと内側に入れて……ほら、もうこんなに柔らかくなってる」
「ほんとだ……自分の身体じゃないみたい」
「じゃあ、今度は座って……後ろからぐーって押すよ?」
今度は開脚した状態で前屈させられるが……
「痛くなったら言ってね?」
手のひらで押せばいいのに、何故かほとんど抱きつくような形で身体を使って押される。
けど、もしかしたらこれが本格的なやり方かもしれな……いや、絶対触りたいだけだ。
なんなら、お母さんがめちゃくちゃ訝しげな顔で見てるし……。
「痛くない?」
「い、痛くはないけど……」
「じゃあ、もうちょっと強くするね」
「うっ……」
柔らかいものが、背中にギュっと押し当てられている。
「まだ行ける?」
「も、もう限界かも……」
「ん~……まだ全然いけそうだけどぉ?」
「うぉおお……」
耳元で囁かれると、温かい息が吹きかけられて更にやばい。
関節ではない別のナニかが限界を迎えようとしている。
「はい、終わり~!」
終了の合図で大きな安堵の息を吐き出す。
な、なんとか耐えきった……。
「じゃあ、お次は~……」
「え? ま、まだあるの? もう俺として結構やりきった感じなんだけど……」
「大丈夫。次で最後だから」
「最後なら……まあ……」
そう言われると、何故かやらなければならないような気になってしまう。
今度は何をされるんだろうと思って座ったまま待っていると、彼女は母親の位置をチラチラと見ながら俺を覆い隠すようにしゃがみ込んだ。
「両手をばんざーいってして?」
「ば、ばんざーい……」
「うん、そのまま腕の付け根の辺りをこうして……」
俺の両腕を掴むために、不可抗力だと言わんばかりに接近してくる。
その体勢で固まったまま、チラチラと横目で母親の位置を何度も確認している。
「それで……次は、どうすればいい?」
何やら不穏な雰囲気を覚えつつ、そう尋ねると光は俺の目を間近で見据えて……
「……チューして?」
甘えるような声でそう囁いてきた。
「は?」
「ほら、早く早く……!」
「いや、いやいやいや……お母さんが見てるって……」
「大丈夫。この角度なら見えないから……!」
「えぇ……」
「チューしたい~……! したいしたいしたい~……!」
俺にだけ聞こえる程の音量で駄々をこねられる。
確かに、今は光が遮蔽になっていて向こうからは見えない。
そっと触れるくらいの軽いキスなら分からないだろう。
けれど今は過度のイチャつきを禁止されている。
お願いして見学させてもらってる以上は、約束は守らなければならない。
でもダメだとは分かっているけど、眼前の唇には抗いようのない魔力がある。
ほんの少しだけならと、彼女の求めに応じ――
「全く……油断も隙もないんだから……」
「あぁ~……!!」
光がお母さんに首根っこを掴まれて引きずられていった。
そうして、その後は大人しくトレーニングを見学して、再び屋内コートに移動する。
ここから後は夕方まで、基本的なサーブやストロークの練習を行う。
それで一日のスケジュールは終わりと言うことらしい。
コートに入る光と別れて、午前と同じネット裏の位置へと向かう。
備え付けの椅子に座って、後は夕方まで見学させてもらおうと思ったところで――
「さて、私は今からちょっと野暮用で席を外さないといけないんだけど……その間に影山くんにお願いしたいことがあるんだけど、大丈夫?」
「はい、大丈夫ですけど……何ですか?」
「これで練習風景の写真と動画を撮っておいてもらえる? 光のSNSにアップする用のやつ。彼氏なら一番魅力が分かってるから適任でしょ?」
光のお母さんが、そう言って俺に最新機種の高性能カメラ付きスマホを手渡してきた。





