第43話:引き分け
まるで肉食の猛獣が威嚇するように、気勢を上げている光。
俺も、ひかりちゃんの母親も、係の人も、時間が停止したように呆然とする。
「わ、私だもん……!」
もう一度、声を震わせるように宣言する光。
やってしまったとは思っているが、もう後に引けなくなっているように見える。
「ひ、光……相手は子供だから……抑えて抑えて……」
先の言葉は一旦聞かなかったことにして、なんとか彼女を嗜める。
「そ、それは分かってるけどぉ……」
「すいませんすいません……本当にすいません……。この子、ものすごくマセてて……好みの男の子を見つけると、いつもいつもこうで……」
ムスっと膨れている光に、お母さんが何度も頭を下げる。
「光莉、ダメでしょ? お兄ちゃんはもう大事な人がいるんだから光莉とは結婚できないの。それに、この前はひまわり組の翔也と結婚するって言ってたじゃない」
「ん~……だって、それはれいかちゃんがしょーやくんを好きだから良いなって思ってたけど……れいかちゃんはもうしょーやくんのこと好きじゃないって言ったから、あんまりカッコよく見えなくなったんだもん」
怖っ……! 最近の幼稚園児、怖っ……!
マセてるなんてレベルを通り越した魔性の女じみた言動に慄く。
それがいつものことなのか、『この子は本当に……』とお母さんも呆れている。
「光莉ちゃん、見つかりましたか~?」
与えられ続ける苦難をひたすら苦笑いで乗り切っていると、また別の三十歳くらいの女性がやってきた。
「はい、おかげさまで……この方たちが保護してくれてたみたいで……」
「そうですか、良かったぁ。ほら、大輝。光莉ちゃん見つかったって」
「あっ、たっくん!」
安堵している女性の隣にいる同じ年頃の少年を見て、ひかりちゃんが駆け出した。
「ひーちゃん、だいじょうぶだった?」
「うん、だいじょうぶだよ!」
「僕がいないあいだに、浮気してないよね?」
「うん、してないよ。わたし、たっくんのこと大好きだもん」
両手を合わせながら、何事もなかったかのように愛の言葉を発するひかりちゃん。
怖い怖い怖い……女ってこえー……。
そんな昨今の幼稚園泥沼恋愛事情に、俺は慄くことしかできなかった。
「なら、よかったあ。僕も好きだよ」
恋多き彼女の素顔など露知らずに、笑い合っているたっくん。
地獄へと進もうとしている彼に、心の中で最大級のエールを送る。
そうして、俺に様々な角度から衝撃を与えてくれた園児との邂逅は終わった。
「れーやくん、ばいばーい! またねー!」
手を振り返して、仲睦ましそうに手を繋いで歩いているひかりちゃん一行を見送る。
しかし、これで全てが終わったわけじゃない。
さて、ここから光の機嫌をどう直してもらおうか……。
「いやぁ……それにしても色んな意味で衝撃的な――」
そう考えながら振り返った途端に――
「さっき、私……幼稚園児に嫉妬しちゃってた……!?」
正気に戻った光が顔を真っ赤にして声を張り上げた。
「うあぁぁ……恥ずかしい~……今までで一番恥ずかしい~……!」
そのまま今度は、その場にしゃがみこんで羞恥に悶えだす。
う~とかあ~とか、言語になっていない呻き声をひたすら上げ続けている。
「ま、まあまあ……ひか……あの子は確かにとんでもなかったし……」
きっと、ああいうのを魔性の女って言うんだろう。
将来は数多の男を手玉に取っている姿が容易に想像できた。
「うん……最近の幼稚園児って皆、あんな感じなのかな……」
「流石にみんなってことはないだろうけど……」
「でも、あの子がもう十年早く生まれてたら本当に危なかったかも……」
「ははは……」
本気で心配そうに見上げてくる光に、何度目か分からない苦笑いで返す。
「だって、実際ちょっとデレデレしてたように見えたんだもん……」
「いや、あれはそういうんじゃなくて……。もし将来、子供が出来たらこんな感じなのかなー……って考えてただけだって」
「ほんとにぃ……?」
「本当本当。もし、デレデレしてるように見えたならそれは、『いつか自分の娘にも嫉妬しそうな誰かさん』の方を想像してたんじゃないかな」
発してから、それがさっきの彼女の言葉に対する返答みたいになっているなと気がつく。
若干の気恥ずかしさにお互い視線を逸らして明後日の方向を見ていると、光がポツりと呟いた。
「でも、その未来予想図は少し書き換えてもらわないとだめかも……」
「書き換え? どうして?」
「娘じゃなくて、息子なら嫉妬しなくて済むでしょ?」
冗談でもなく、本気でそう言ってそうな口調にやっぱり苦笑するしかなかった。
「ところで、係の人からこんなものを貰ったんだけど……どうする?」
話題を切り替えて、さっき受け取ったクエスト報酬を光の前に掲げて見せる。
「ふれあいコーナーのチケット?」
「うん、迷子を保護してくれたお礼にって。これで機嫌直してくれない?」
「もう、しょうがないなぁ……」
あの高難易度クエストの報酬としてはささやかな代物だけれど、光には効果がバツグンだったようだ。
そうして、中断されていたデートを再開しようとするが――
「あっ、ちょっとだけ待ってて!」
目的地へと向かう途中に光がそう言って、近くの売店の方へと走っていった。
言われた通りに待っていると、一分もしない内に店から出てきた。
何故か、象の帽子を頭に被って。
「なんで……?」
「身バレ対策! これでもうファンの人にも声をかけられないでしょ!」
「さっきまで誰でもウェルカムって感じだったのに、どうしてまた急に?」
急な心変わりに戸惑う。
しかも、それを被っていても未だにオーラはダダ漏れで対策になっているかも怪しい。
「だって、その……デート中に他の人に恋人を取られるのがあんなに辛いんだって分かっちゃったんだもん……」
垂れ下がった帽子の両耳部分をギュッと掴んで、バツが悪そうに光が言う。
そんな彼女がいじらしくて、可愛らしすぎて。
最後は苦笑ではなく、声を上げて笑ってしまった。





