第42話:光vs光
「そ、そっか……わかんないか……じゃあ、探さないとね……」
女の子が今度は首を縦に振って応えてくれる。
隣から妙な空気感を覚えながらも、会話を続けていく。
「それで、誰とはぐれたのかも俺に教えてもらえるかな?」
「お母さんと……たっくん」
「そっか、それなら早く見つけないとね。一緒に探しに行こうか」
大方の予想通り、家族と一緒に来てはぐれたらしい。
たっくんが誰かは分からないけど、多分兄か弟だろう。
近くに園の人が居れば引き渡すだけで済んだが、今のところは見当たらない。
イベントの方に人が取られているのかもしれない。
「じゃあ、俺はちょっと迷子センターの場所調べてくるから光は見ててあげて」
「うん、じゃあお兄ちゃんが戻ってくるまでここでお姉ちゃんと待ってようね」
光がへこたれずに優しく対応しようとするが――
「やだ。わたしもいく」
女の子は生け垣の縁から立ち上がると、俺に向かって手を突き出してきた。
えぇ……。
人見知りをしないのは助かるけど、これはこれで困る。
今度は俺の方から助けを求めるように光の方を見ると――
「いいんじゃない? 繋いであげれば」
彼女は顔に貼り付けたような薄い笑顔を浮かべながら、そう言った。
怒ってる怒ってる……めちゃくちゃ怒ってる……。
「じゃあ……その……はぐれないように……」
ただ、今はこの子の方をどうにかしてあげないといけない。
せめて事案っぽくは見られないように、軽く摘む形でその手を取る。
ぷにぷにと子供らしい手を引いて、案内板のある場所へと向かう。
「お兄さんのお名前はなんてゆうの?」
歩きだしてすぐに、今度は向こうから質問してくる。
「俺? 俺の名前は黎也って言うんだけど……」
「れーやくん」
むふーっと鼻で息をしながら満足げに名前を呼ばれる。
「私でも名前で呼ぶの一ヶ月以上かかったのに……」
隣から絶妙に聞こえる程度の声でぼやかれる。
何だ……何なんだ、この状況は……?
俺が何か悪いことしたか……?
「き、君の名前は……?」
「ひかり。お星さまみたいにキラキラって光るようにって」
「へ、へぇ~……かわいい名前だね……」
偶然すぎる一致に、声が上ずってしまう。
誰かが俺を謀ろうと仕組んでるとしか思えなくなってきた。
「れーやくんもかっこいいよ」
「あ、ありがとう……う、うれしいなぁ……」
「羨ましいな~……モテモテで」
隣からまた、絶妙な音量で恨めしそうな声が響いてくる。
ここが地獄か?
人生にモテ期は三度あるというけれど、ここでこの相手に来るのはおかしいだろ。
「さ、さてと……迷子センターはどこかなー……」
針の筵から逃れたい一心で、案内板を眺める。
まず現在地を見つけて、そこからすぐに当該の施設を見つけた。
「あった! そんなに遠くないし、お母さんもそっちに向かってるかもね」
「うん、そうかも」
もう少し喜ぶかと思ったが、意外にもあっさりとした返答に拍子抜けする。
本当に迷子なのかと少し疑うが、本人の言を信じて三人で迷子センターへと向かう。
その最中も当然、ひかりちゃんは俺の手をギュッと握り続けている。
そして、対抗するように逆側からは光にも腕を取られていた。
普通こういうのは子供を挟む形が自然な気もするが、今は冗談でもそんなことを言える空気じゃない。
両サイドから得体の知れない圧を感じながら歩いていると、ひかりちゃんが急に立ち止まった。
「どうしたの? 歩くの疲れた? でも、もうちょっとだから頑張ろ――」
「……パンダ」
俺の声に被せて、彼女が短い単語を呟く。
その目線の先には家族連れを中心とした大勢の人だかり。
更に向こうでは、白黒模様のあざとい生物が笹を食べていた。
「ああ、そういえばパンダの子供がお披露目されたんだっけ……パンダ好きなんだ」
「うん、パンダ見たい」
えぇ……。
「じゃ、じゃあ後でお母さんが見つかったら連れてきてもらえるように頼もっか……」
「やだ。今、見たい」
突然、駄々を捏ね出されて困惑する。
迷子中だって言うのに、余裕があるというか警戒心が無さすぎるというか……。
けれど、所詮俺は一時的に保護しているだけの赤の他人でしかない。
ちょっとした寄り道とはいえ、勝手に連れ回すのは倫理的によくない。
光に『どうしよう』と言外に助けを求めるが、完全に拗ねてしまっているのかプイっと視線を逸らされてしまう。
「じゃあ……通りがけに少し見るだけなら……」
「うん! パンダ!」
消極的な了承を受けて、子供ながらに強い力で手を引っ張られる。
もし自分に子供がいたらこんな感じなんだろうかと、そんな想像が一瞬頭をよぎった。
「どう? 見えた?」
「……あんまり見えない」
大勢の人でごった返しているパンダの檻の前で、ぶーっと不満げに頬を膨らませているひかりちゃん。
背伸びしたり、ぴょんぴょんと跳ねたりして何とかお目当てのパンダを一目観ようとしているが、いかんせん子供の身長ではどうにもなっていない。
「だったら、やっぱり後でお母さんに――」
「れーやくん、抱っこして!」
「だっ……!?」
俺よりも先に、隣で光がその単語に絶句する。
「さ、流石にそれは……ちょっと……」
「やーだー! 見たいー!! 抱っこー!!」
これまでの小さな声から一転して、大声を上げて騒ぎ始めた。
近くにいた他のお客さんたちも、パンダから目を離して何事かとこっちを見てくる。
「でも、抱っこしたらせっかく可愛くしてるお洋服が崩れちゃうかもしれないし……」
「いいの! 抱っこ!!」
「今日はまだ私にも服可愛いって言ってくれてなかったのに……」
正解の選択肢がどこにも存在してない件について……。
「分かった……じゃあ、ほんとにちょっとだけだから……」
仕方ないので、脇の下に手を入れて自分の顔の高さくらいまで持ち上げる。
「ど、どう……? これで見えた……?」
普段、重たいものを全く持たない非力な腕が悲鳴を上げている。
「うん、見えた! パンダ! 白黒でモフモフしてる!」
小さな背中の向こう側から嬉しそうな声が響いてくる。
「う~……私だって、そんな風に抱っこされたことないのにぃ……」
一方、後ろからは真逆の恨めしそうな声が聞こえていた。
そうして光と光の挟撃に翻弄されながらも、何とか迷子センターに辿り着いた。
「えっと……象エリアの近くにある自動販売機の隣に一人でいて、話しかけたらお母さんとはぐれたと言うので迷子だと判断して連れてきました……」
椅子に座って、対面の女性係員に事の経緯を説明する。
「はい、分かりました。今のところお母さんの方からご連絡は受けていないので、一度園内放送で呼び出してみますね」
「ありがとうございます。お願いします……」
このたった十数分で、どっと疲れた。
でも、これでようやく一段落ついたと大きく安堵の息を吐き出す。
「お母さん、すぐに来てくれるといいね」
「うん! お母さん来たら、れーやくんのことしょうかいするね!」
「ははは……」
もう苦笑いしか出てこないし、光は未だに不貞腐れてる。
後でどれだけのフォローが必要なのかを考えると、今から頭が痛い。
『ご来園中のお客様に、迷子のお知らせを致します。都内よりお越しの“ほしかわひかり”ちゃんが迷子センターでお待ちです。保護者の方は至急、お近くの職員までご連絡をお願いいたします』
園内放送がかかってから数分もしない内に、三十歳くらいの女性がやってきた。
「あっ! お母さん!」
隣に座っていたひかりちゃんが椅子から降りて、その人のところへと駆け寄っていく。
「あぁ……光莉……良かったぁ……」
ずっと探していたのか息を切らせて汗をかいている。
彼女は駆け寄ってきた我が子を抱きしめると、係の人と何言か交わして俺達の方へとやってきた。
「本当にありがとうございます! 娘を保護してくださったみたいで、なんてお礼を申し上げればいいのか……」
「いえ、そんな……当然のことをしただけなんで、お礼なんて……」
互いに頭をペコペコと下げ合っていると、側に来たひかりちゃんが何か言いたそうにお母さんのスカートを引っ張る。
「ねえねえ、お母さん」
「どうしたの? ひかりもお兄ちゃんとお姉ちゃんに、ちゃんとお礼を言おうね?」
「うん! おれいにね! わたし、れーやくんと結婚するの!」
「ははは……」
何を言い出すんだ、この子は……と苦笑いしたのも束の間。
後ろからブチっと何かが切れたような音を幻聴した直後――
「それは絶対ダメッ!!! 黎也くんと結婚するのは私なんだから!!!」
これまで堪えてきた感情の奔流を全て吐き出すように、光がそう叫んだ。
何を言い出すんだ、この子は……。





