第38話:隠し事
「黎也くん、もしかして疲れてる……?」
死んだような心地でパソコンと向かい合っていると、後ろから光にそう言われた。
「そんな風に見える……?」
「うん、なんか今日は来てからずっとぼんやりしてる……」
振り返って聞き返すと、光が心配そうな顔で頷く。
あれから三日が経ち、既に金曜日の夜。
次のミーティングがある火曜日までは後四日しか残っていないにも拘わらず、ノルマのイベント100個はまだ20個しか埋まっていない。
具体的な中身のテキストじゃなくて概要だけとはいえ、流石に100個は恐ろしく多い。
単純計算で、このペースなら期限までに目標の半分にも届かない。
画面上の表はまだほとんど空白だらけ。
こんなものを提出した挙げ句に、露骨にガッカリされたらどうしようかとネガティブ思考がふつふつと湧き上がってくる。
「そうかな。ただ、試験勉強疲れが今になって出てきただけかも」
なんでもないフリをして、エナジードリンクを一口飲む。
今日は金曜日だけれど、また母親から二泊三日を勝ち取った光が遊びに来ている。
不調とはいえど、彼女の前ではあまり気落ちしているところを見せたくはない。
「そっか……無理しないでね?」
「大丈夫。それより、今日はゲームやらないの?」
「う~ん……何かやりたい気分ではあるけど……」
「あるけど?」
「やっぱり、何か隠してない……?」
ベッドの上を身体一つ分移動して、ジッと見つめられる。
「な、何かって……?」
「何か、私に言えないようなこと……本当はそれで疲れてるんじゃないの……?」
目を細め、心の奥底を覗き込むような怪訝な瞳を隙間から覗かせている。
……もしかして、バレてる?
実は大樹さんと一緒にゲームを作っていることを、光にはまだ話していない。
積極的に隠してるわけじゃないけれど、出来れば完成してから作品と共に自分の気持ちを伝えたいと思っているからだ。
「隠し……? 特には思い当たらないけど……」
「ほんとにぃ……?」
尚も訝しんでくる光に、本当本当と二回頷く。
こういう時の勘は鋭そうなので、口を開くとボロが出てしまうかもしれない。
「……実は、お兄ちゃんから聞いてるって言っても?」
「え? まじで?」
「うん、少し前に本人から聞いた」
カマをかけているわけではなく、事実として知っているような口ぶり。
なら、もう隠す必要もないか……。
「そう……実は今、大樹さ――」
「男子の一人暮らしなら、絶対にエッチな物の一つや二つはあるって……!」
全く思いもよらなかった方向からの一撃に、体感時間が停止する。
「…………………………………………いや、無いけど」
虚をつかれた驚きと誤魔化しが合わさって、反論に致命的な時間を要してしまった。
あの野郎……本当に余計なことしか言わねぇな……。
「何? 今の間は? 何かやましいことでもあるの?」
案の定、半ば確信されたような口ぶりで追求されてしまう。
「な、無いことを再確認してただけだから!」
「嘘だぁ! 絶対あるでしょ!? どこに!? どんなのが!?」
100%の事実と確認したのか、興奮気味に迫ってくる光。
その勢いに気圧されて全て自供してしまいそうになるが、俺にも尊厳がある。
「と、とりあえず落ち着いて! 冷静になろう!」
「私は冷静だけど……むしろ黎也くんの方がなんでそんなに焦ってるの……? やっぱり、そんなにも見られたくないものがあるってことじゃないの……?」
「だから、無いって! 無い!」
「怪しい……絶対、何か隠してる……白状するなら今の内だよ……?」
今ならまだ許すと、司法取引を持ちかけてくる朝日検察官。
「こ、これは仮の話だけど……もしもあったらどうするつもり……?」
その恐怖に、もうほとんど認めてしまっているような言動になってしまう。
「それは、見てから決める……まず、見ないことには……」
目がまるで熟練の殺し屋のように据わっている……。
もしもバレたら、俺にとって良くないことが起こるのは間違いない。
「じゃ、じゃあ逆に聞くけど……光にもそういう物の一つや二つはあるんじゃないの?」
「うっ……それは、そうだけど……」
「そう、人には誰だって踏み入られたくない聖域があるんだよ。だから、ここは痛み分けで互いに触れない方向で――」
そう言って、なんとか引き分けに持ち込もうとするが――
「なら私は正直に言う!」
絶対に逃さないと、向こうが相打ち覚悟で突っ込んできた。
「い、言うって……何を……?」
「部屋に隠してる恥ずかしいもの……」
「……まじで?」
光が恥ずかしそうに小さく頷く。
めちゃくちゃ聞きたい……。
聞きたいけど、当然そうなれば俺の恥部も包み隠さずに全てを曝さなければならない。
しかし、それを置いてもあの朝日光が隠している『恥ずかしいもの』を知りたくて仕方がなくなってしまっていた。
「光が先に言うなら……」
これは互いに破滅へと向かう道かもしれないが、その甘美な誘惑には逆らえなかった。
「じゃあ、言う……私は……この前、黎也くんが部屋に来た時……」
羞恥に悶えながら告解しようとしている姿に、ゴクリと生唾を呑み込む。
「部屋にあった……ロ……フェ……を隠しました……」
「ロ……なんて? 声が小さくて聞こえなかったんだけど……」
「だからぁ……うぅ……やっぱ、恥ずかしいってぇ……」
「恥ずかしいって……光が言い出したことだろ? ほら、言って」
普段の自分ではありえないSっ気を発揮して、羞恥に悶えている光を問い詰める。
ロとかフェとか、既に若干の怪しい響きのある文字が出ている。
この後に自分のターンが来ると分かっていても、今はこの優位を堪能したい。
「うぅ~……だから、私はこの前……黎也くんがうちに来た時にぃ……」
「俺が来た時に……?」
そうして観念した光が遂に、遂に――
「ロジャー・フェデラーの直筆サイン入りポスターを隠しました……」
俺でも知っているテニス界のレジェンド選手の名前を白状した。
……は?
「ロジャー・フェデラーって……あの有名なテニス選手の……?」
「うん……そのサイン入りポスター……」
聞き間違いじゃないかと尋ねると、バツが悪そうに頷かれる。
「……それ、わざわざ隠す必要あった? 恥ずかしい要素ある?」
「だって、他の男の人に気があるみたいに思われたら嫌だったんだもん……」
なんだ、このかわいい生き物は……。
「いや、そんなこと思わないでしょ……ロジャー・フェデラーには……」
「そうなの……?」
「そりゃ……ロジャー・フェデラーだし……」
改めて嫉妬の対象ではないと告げると、光はほっと安堵の息を吐き出した。
父親や憧れの選手を嫉妬の対象と思われるかもしれないと隠す。
前々から思ってたけれど、結構独特な感性の持ち主なのかもしれない。
そんな彼女の少し変わった部分にも魅力を感じていると――
「……じゃあ、次は黎也くんの番だよね?」
一時の優位が終わり、攻守逆転の時間が訪れた。
「……え?」
「え、じゃないでしょ。私が言ったら黎也くんも言うって約束だったよね」
「それはそうだけど……なんか、不公平じゃない?」
「なんで……?」
「いや、だって……光のは何か……俺のとは方向性が違うって言うか――」
「私は言ったよね? 恥ずかしい思いをしてでも、ちゃんと言ったよね?」
言い訳に被せて、有無を言わさぬ強い語調で詰められる。
「それは……はい……」
「だったら黎也くんも、この部屋にある一番恥ずかしい物を出すべき……そう思わない?」
「じゃあ、一年三学期末の試験結果とかはダメ……? 一番恥ずかしい成績取った時のやつなんだけど……」
「ダメ」
この世で最も力強い二文字に、俺は全面的に降参せざるを得なかった。
次回は水曜日の18時に更新予定です。





