第33話:負けず嫌い
「えっ? お、俺みたいなって――むがっ!!」
「ダメッ! ダメダメダメ!! 絶対ダメ!! いくら絢火でもそれだけは絶対にダメだから!!」
両腕を俺の後頭部へと回し、身を挺するようにギュっと強く抱き抱えられる。
「ちょ、ひか……つよ、い、いきが……!」
視界が全て奪われ、服の布が顔面に押し付けられて息がしづらい。
この顔に当たっている柔らかい物体の正体についての考察も出来ない。
このぼんやりとした恍惚は幸福によるものだろうか、いや多分ただの酸欠だ。
「落ち着いてってば……。しつこいからちょっと意地悪しただけで、取るつもりも取れるつもりも無いから」
「何それぇ……ほんとにやめてよぉ……」
日野さんの言葉に、ほっとしたのか抱き抱えられていた力が緩まる。
「まあ、100%意地悪ってわけでもないんだけど」
「むごっ!! ひ、ひか……! また、強くなって……ぎ、ぎぶ……」
日野さんの言葉に、再び締め付ける力が強まる。
「ただ、光が影山くんのことを好きになった時の話を聞いて……ちょっと良いなって思ったのは確か。だって、高校生の恋愛なんて大抵は子供っぽいというか……遊びの延長みたいなものでしょ? それに比べたら二人は、ちゃんとお互いのことを深いところで考えてるように見えたから……人によってはそういうのを重たいって思うのかもしれないけど、私はいつか恋愛するならそういうのがいいなって思っただけ」
本当に羨ましがっているような口調で日野さんが言う。
それを聞いた光の力がまた少し弱まり、タイミングを見計らって抜け出した。
「……だって、黎也くん」
「な、何が……?」
「私たち……すごく真剣な大人の恋愛なんだって」
「別にそこまでは言ってないけど」
呆れ口調の日野さんの言葉は届いていないのか、手で身体中に触れてくる光。
触れ合い方が、二人きりの時のそれになってきている。
そんなことされると、俺だって『したい欲』が高まってきてしまう。
「ごほんっ……!」
日野さんの『その辺りでストップ』という咳払いで、現実に引き戻される。
「とにかく、私が良いなって思ったのは二人の関係性であって、影山くん個人に恋愛感情があるわけじゃないから」
「……ほんとにぃ?」
光の方はまだ警戒を解き切っていないのか、懐疑的な目を向けている。
「当たり前でしょ。だって、私が好きになるとしたら絶対に自分よりも頭の良い人だし」
じゃあ、俺はありえないなと少し悲しくも安心してしまう。
一方で、それを聞いた光が何かを閃いたように口を開く。
「じゃあ……もしかして、お兄ちゃ――」
「それだけは絶対にありえない!!」
そうして、食事を終えてそろそろ今日もお開きムードになって来た頃。
「いっぱい勉強したし、ちょっとだけゲームしよーっと!」
光がコントローラーを取って、ポリステの電源を入れた。
「何やろっかな~……よし、今日は誰かをぶっ倒したい気分だからアペにしよーっと!」
そして、ベッドに腰掛けて若干物騒なことを言いながらタイトルを選ぶ。
日野さんが何か小言を言うかと思ったが、今は自身も休憩タイムなのか自分のスマホ画面を見ていた。
俺も食器類を片付けて、自分の椅子に座って光のプレイを見守る。
やっているのはいわゆるバトロワ系の一人称シューター。
徐々に縮小していく戦場でひたすら戦い続けて、最後の一人になるのを目指すゲーム。
現代のコアゲームの中ではライト層ウケも強く、最も流行っているジャンルの一つと言っていいだろう。
そして、彼女の腕前はと言えば……ご覧の通りだ。
巧みなパッド捌きでキャラを操作し、1マガジン1キルのペースで死体の山を積み上げている。
プレイ日数がまだ浅いのでランクこそ高くないが、それ故に一人だけ低レートの中に高レートのスマーフアカウントが混ざっているような状態だ。
「いえーい! チャンピオーン! ウィナーウィナーチキンディナー!!」
ほとんど危機らしい危機に陥ることもなく、あっさりと優勝を果たす。
光のお母さんはスポーツなら何でも大成できると言ってたけれど、もしプロゲーマーを選んでも間違いなく大成していただろうなと思う。
「これ……そんなに面白いの?」
そんなことを考えていると、ふと日野さんがボソっとそんな言葉を発した。
「面白いよ~。もう、超最高で頭の中にヤバイのがドバドバ出ちゃう感じ」
「それ聞いたらむしろ怖くなってきたんだけど……」
「日野さんはゲームやったことないの?」
「弟がやってたのをちょっと見たことがあるくらい」
弟がいるんだという事実と共に、少し興味のありそうな感情が伝わってくる。
「……じゃあ、日野さんもちょっとやってみたら? 息抜きに」
「いや、聞いただけで私こういうのは……」
「それいいね! じゃあ、せっかくだしデュオでやろ?」
「でゅ、デュオって……?」
「チーム組んでやるってこと」
「足引っ張ったら嫌だし、やっぱり――」
「大丈夫大丈夫! 私がキャリーしてあげるから! ほら、コントローラー持って?」
断ろうとしていた日野さんだったが、光のゴリ押しには勝てなかった。
半ば押し付けられるような形でコントローラーを握らされ、即席のデュオが結成される。
「えっと、こっちのスティックでキャラを動かして……こっちのスティックで視点を動かす感じ……」
「こ、こう……?」
「そうそう、それでこのボタンで射撃して……キャラごとの特殊能力を発動させるのはこっちのボタン」
光が俺のパソコンでプレイの準備をしている間に、初めてコントローラーを握る日野さんに基礎的な操作説明を行う。
勉強と同じで物覚えは早いが、いかんせん初プレイなので手つきは拙い。
それでもなんとか最低限の操作は熟せるようになったところで、光の準備も整った。
パーティを組み、ほとんどぶっつけ本番の戦いが開始される。
「よーし、行くぞー!」
「な、何これ……なんか空飛んでるんだけど……お、落ちたりしない……?」
「だ、大丈夫。ここは光が操作するところだから日野さんは何も考えなくても」
隣からアドバイスを送って、テンパってる日野さんを安心させてあげる。
正直言って、ゲーム初体験でシュータージャンル……それもスピーディなアクション要素が強いこのタイトルはかなり難しい。
最後まで生き残るのは厳しいにしても、せめて少しでも楽しんで欲しいが……。
「ほっ、着地! 近くに敵も降りてるから気をつけてねー!」
空から戦場へと降り立ち、光が即座に散開する。
あっちは放っておいても大丈夫だろうから、とにかく俺は日野さんのケアをしよう。
「ど、どうすればいいの……!?」
「とりあえず、その箱とか建物の中に武器が落ちてるからそれを拾いに行こう」
俺の指示に日野さんはたどたどしい操作で建物へと向かう。
中に入ると、運良くそこそこの装備一式がすぐ側に落ちていた。
「えっと……武器、武器……拾うボタンがこれで……」
「あっ、絢火。今、そっちに敵の人が行ったかも」
「えっ!? て、敵って!? 私が戦わないといけないの!?」
「うん、ごめん。こっちでもう一人に絡まれてるからちょっと合流遅れるかも」
「お、落ち着いて! とりあえずまだ大丈夫だから冷静に有利なポジションを取ろう!」
「わっ! なんか飛んできた!?」
ほとんどパニックになっている日野さんの下へ、窓からグレネードが投げ込まれる。
当然、回避できるわけもなく爆風の直撃を受けて瀕死に。
直後、乗り込んできた敵の攻撃を受けてあっさりとダウンしてしまった。
「あっ……やられちゃった……」
ダウンした自キャラを見て、日野さんが悲しそうにポツリと呟く。
何も分からない内に、一方的にやられてしまう。
それだけでも最悪のゲーム体験だと言うのに――
「……これ、今何されてるの?」
日野さんを倒した敵は、事もあろうか『フィニキャン煽り』をやり始めた。
トドメ演出のキャンセルが高速で繰り返され、画面が激しく明転している。
知識がなくても、めちゃくちゃ煽られているのは分かるだろう。
「こ、こういうのは全然気にしなくていいから! マナー違反は無視! 無視が一番!」
なんとかゲームそのものを嫌いになられないように、必死でフォローする。
「別に……こんな子供じみた煽りなんて端からまったく気にしてないけど……」
と言いつつも、声にはっきりと何らかの悪感情が乗っている。
ネットゲームは性質上、この手のマナーが悪い輩と遭遇は絶対に避けられない。
『人の嫌がることを率先してやりましょう』
この言葉が学校教育とは真逆の文意で捉えられる世界は、人間の本性を露わにする。
けれど、まさか初戦でこんな深淵を味わわせてしまうなんて……。
いきなりPvPタイトルを勧めてしまった申し訳無さを感じている間にも、画面の中ではまだ煽り行為は続いていた。
フィニキャンに飽きたのか、今度はコサックダンスばりに激しく屈伸煽りをしている。
まずいまずいまずい……。
怒りの矛先が勧めた俺に向けられてもおかしくないと横を見るが、日野さんは意外にも普段と変わらない冷静な表情のままでいた。
「NoobMaster69……ね……」
淡々と煽り野郎の名前を呟いた彼女に、何故か背筋がゾクっと震えてしまう。
その後、合流した光によって煽り野郎は瞬殺された。
これでなんとか溜飲を下げてくれればと考えている間に、光が日野さんを復活させる。
その後の彼女は、ただ光の後ろをついていくだけの安全プレイに徹し――
「いえーい! 連続チャンピオーン!!」
このゲームも光の圧倒的勝利という形で幕を下ろした。
俺にハイタッチを求めてくるくらい喜んでいる光に対し、日野さんは無表情で勝利画面を睨みつけている。
こりゃもう二度とやらないだろうな……と思った直後だった。
「……もう一回」
「え?」
「もう一回やるって言ったの! ほら、早く!!」
日野さんが声を荒らげて、光に再戦を要求する。
「あ、うん……私は全然いいけど……。何か絢火、急にやる気だね」
親友の異変に気づいていないのか、光はそのまま再びマッチングを開始させる。
だが、彼女と違ってヘッドセットを付けていない俺には聞こえていた。
「あいつら……絶対許さない……今度会ったら……必ず……」
日野さんが怨念に満ちた声で、恨み言をボソボソと呟いているのを。