第32話:勉強会
光に自宅を初訪問してからまたしばらくの時間が経過し、学生生活は一学期の最後となる試験期間に突入していた。
普段は光とだらだらゲームをして過ごす土曜日も、今週ばかりはそうもいかない。
光の母親にあれだけの大口を叩いた手前、当然勉強でも成果を出す必要はある。
「おじゃましま~す!」
「いらっしゃい」
扉を開けて、玄関へと入ってきた光を出迎える。
……というわけで、今日は俺の部屋で勉強会を開催することになった。
当初は光と二人でする予定だったが、諸々の事情を鑑みて追加ゲストも呼ぶことに。
「おじゃまします。へぇ……ほんとに一人暮らしなんだ……」
光に続いて、日野さんが玄関に足を踏み入れる。
男の部屋が物珍しいのか、キョロキョロと辺りを見回している。
見られて困るようなものはそこら辺に置いてないが、若干恥ずかしい。
「いい部屋でしょ? ゆっくりしていってね」
「それ、家主が言うことじゃない?」
「まあ、もう半分くらいは私の部屋みたいなもんだし」
その言葉に、呆れて大きくため息をついている日野さん。
まさか光が自分用のクッションやブランケットだけじゃなくて、歯ブラシやタオルなどの日用品も本当に常備しているなんて思ってもいなさそうだ。
「でもまあ、ゆっくりはしてもらえれば……」
「ゆっくりはしちゃダメでしょ。勉強するんだから」
ぐうの音も出ない正論に返す言葉もなくなってしまう。
しかし、自分の部屋に女子が二人も来るイベントが発生するなんて、数ヶ月前までは思ってもいなかった。
しかも、二人揃って当校最上位の美人で、一人は自分の彼女。
ともすれば浮ついた気分になりそうなのを抑えて、二人を室内に迎え入れる。
そうして三人で机を囲み、試験対策のテキストを並べて勉強会を開始する。
普段はコントローラーやキーボードの音ばかりが響く部屋に、今日は鉛筆の走る音だけが淡々と響く。
以前に颯斗や悠真とやった時は不真面目組が三人で何の成果も得られなかったが、今回は学年トップの二人と一緒なので効率は段違いだった。
こんなに集中出来たのは、はじめてダイヤ昇格戦に挑んだ時以来だ。
「あの……光、ちょっとここが分からないから教えて欲しいんだけど……」
「あ~……これはねぇ~……」
問題に詰まったので、隣の光に助力を求めるとすぐに分かりやすく説明してくれる。
「あー、なるほど……そういうことか、ありがとう」
「どういたしまして」
「光って何気に教えるの上手いよね。相手がどこに困ってるのか、要点を的確に抽出して噛み砕いてくれる感じ?」
「そう? 黎也くんの理解力が高いだけじゃないかな。もっとちゃんと勉強したら絶対私よりも良い点数取れると思うもん」
「流石にそれはないって、光が本当に上手いだけだから……」
「え~……黎也くんが……」
「いやいや光が……」
そうやって延々と互いを褒めあっていると――
「……なんで私、今日ここに呼ばれたの?」
ふと日野さんが、少し距離を感じる口調でそう言った。
「な、なんでって……そりゃ日野さんと言えば、一年の時からずっと学年トップの成績で有名だし……是非、その学力にあやからせてもらいたいなって思ったからで……」
「そうそう、絢火がいるとやっぱり場がピリっと引き締まるっていうか……」
二人で互いの言葉を肯定しあって、広がってしまった距離を縮めようとするが――
「それって二人きりだといつまでもイチャついて勉強にならないから私を監視役にしてるってこと……?」
その核心を突いた言葉に、二人揃ってギクっと身体を硬直させる。
「…………………………そんなまさか」
光も、『そうだそうだ』と言っています。
「何よ、今の間は」
「きょ、距離が開きすぎて伝わるのに時差があっただけじゃないかな……」
「何それ……。まっ、別にいいけど……その分、勉強を放ってイチャつきだしたら厳正に対処させてもらうから」
「だ、大丈夫……今日はまじでちゃんと勉強するから、そこは信用して」
隣で光も『うんうん』と首を縦に振って同意してくれる。
再び、ノートにひたすら鉛筆を走らせる。
そう、光との時間は当然大切だけど勉学もおろそかにはできない。
あれが上手くいく保証なんてないし、どちらかと言えば困難な道だろう。
だから、保険は多いに越したことはない。
今から勉強を頑張って、少しでも良い大学に行くのも大事だ。
そうして時折休憩を挟みつつも、強い目的意識の下で試験対策に励んだ。
「あっ、黎也くん……口の横にクッキーの食べかすついてるよ」
休憩を終えて、勉強を再開しようとしたところで光がそう言ってきた。
「え? まじで? どこ?」
「大丈夫。私が取ったげるから」
光の白い指が口の横を撫でていく。
「ほら、ついてたでしょ? あむっ……」
指先に乗ったそれを、光がパクっと食べる。
「えへへ~……黎也くんの味がする」
「それって、どんな味?」
「ん~……幸せの味?」
屈託なく笑う光を見て、なるほど幸せってこんな味なんだと実感――
「……おい」
「「ごめんなさい!!」」
そんなこんなで勉強会は順調(?)に進み、時刻は昼を過ぎて夕方に突入する。
「ん~……! ちょっと休憩……」
光が大きく伸びしながら言う。
日野さんもちょうど疲れてきていたのか、ペンを置いて一息つき始めた。
「そういえば、日野さんはいつ頃までいる予定?」
「何? 早く帰ってもらって光とイチャイチャしたいって?」
そう言いながら、日野さんは少しいたずらっぽく笑う。
「いや、そうじゃなくて……もう少しいるなら今日はお世話になったし、夕飯でもご馳走したいなと思っただけで」
「ああ、そういうこと……でも部屋を貸してもらってるわけだし、別にそこまで気にしてもらわなくてもいいんけど」
「まあ、そこは俺の小さいプライドを尊重してもらうってことで……」
「光は食べていくの?」
「うん、そのつもりだけど」
……なんなら日野さんの目を掻い潜って泊まっていく可能性もまだ模索してそうだ。
「それなら奢られてあげようかな。元々、光が帰るまでは一緒にいる予定だったし」
「じゃあ、Oberになるけど好きなものを頼んでもらえれば」
そうして各々が好きなものを注文して、支払いは俺が行った。
しばらくして注文した料理が届き、今度は三人で机の上に展開した夕食を囲む。
「はい、あ~ん……おいしい?」
「……うん、ピリ辛で美味しい」
光の箸で食べさせられた鶏肉を咀嚼し、嚥下する。
「じゃあ、もう一個あげる」
再び、箸で運ばれてきた野菜を頬張る。
まるで親鳥に餌を与えられる雛鳥にでもなった気分だ。
机を挟んで向こう側では、そんな俺たちを日野さんが白い目で見ている。
「い、今は……勉強中じゃないから、ほら……」
「別に止めろって言ってるわけじゃないんだから、いちいち言い訳しなくってもいいわよ」
「だってさ! ほら、あ~ん……」
「……にしても、よく人前で恥ずかしげもなくイチャつけるわね……」
横から突き出された食物を処理していると、日野さんが呆れ混じりにそう言った。
「そうかな……? 私的には、これでも結構抑えてるつもりだったんだけど……」
「それで……!?」
光の言葉に、日野さんがメガネの向こうで目を大きく見開いて驚いている。
「二人きりの時はもっとくっついたりしてるし……ね?」
正直、今はあんまり同意を求めないで欲しい……。
「ひ、日野さんはもし恋人とか出来ても……人前じゃあんまりベタベタしたくないタイプ?」
なので、話題を少し逸らすことした。
「そもそも、今は恋愛だとか恋人だとか、そういうことに興味ないから」
「確かに、言われて見れば……絢火とそういう話ってした記憶があんまりないかも」
「別に、する必要もなかったし」
特に怒っている風でもなく、いつも通りの表情で淡々と述べる日野さん。
「え~……じゃあ、いい機会だし今から話そ? まずは好きなタイプから! 私は黎也くんみたいな人……っていうか黎也くんそのもの!!」
と言いながら、腕を取って抱きついてくる。
絶対、それが言いたかっただけだ。
「はい、次は絢火の番ね! どんな人がタイプなの?」
「……それ、答えなきゃダメなの?」
「だって、私だけ話すなんて不公平でしょ? ほ~ら~、早く答えて~」
光の執拗な追求に、日野さんはやれやれと箸を置いて思案し始める。
日頃から生真面目で、色恋の話とは無縁そうな彼女がどんな答えを出すのか。
自分には関係のないはずが、かなり気になってしまう。
「じゃあ、まあ……強いて言うなら……」
「強いて言うなら?」
同じ気持ちなのか、光も少し前のめりになっている。
「影山くんみたいな人……?」
彼女は表情を変えず、本人とその恋人を前にとんでもない爆弾をぶん投げてきた。





