第28話:女子の部屋
俺が来るまでストレッチかトレーニングでもしていたんだろうか。
自宅というのもあってか、うちに来る時よりも更にラフな格好だ。
「ほら、入って入って!」
「お、おじゃまします……」
招かれるがままに敷居を跨ぎ、靴を脱いで玄関に上がる。
無垢材だけの綺麗なフローリング張りの玄関には、多数のダンボールが並べられていた。
「これ、前に買ったパソコンの部品とか?」
「うん、実はこれもさっき届いたとこ」
「じゃあ、ちょうど良いタイミングで着いたんだ。どこに運べばいい?」
既に向こうのテリトリーに入って、脳内ではダンジョン系のBGMが流れているが、思ったよりも冷静に振る舞えている。
俺も随分レベルが上ってきていると実感する。
「二階にある私の部屋! 案内するから付いてきて!」
「了解」
並べられた中から一番大きなものを持つ。
そのまま光の先導に付き従い、二階への階段を登る。
「足元、気をつけてね」
「だ、大丈夫……」
ワイドモニターの入った大きなダンボール。
重さに加えて大きさもあって、かなり運びづらい。
それでも一応は男の自負を見せて、なんとか二階の部屋の前へと運び切る。
「ここが私の部屋ね!」
光がノブに手をかけて、扉を開く。
そこは一言で表すと、『女子の部屋』だった。
白を基調とした空間に並べられた家具類は、シンプルながらも洒落た趣を感じさせる。
俺の部屋とは違って隅々にまで整理整頓が行き届き、机や棚などには女子らしく可愛らしい小物の類なども置かれている。
特に変わったところはないが、ここで光が日々の生活を送っているという事実だけでも特別な何かを感じられた。
「……どしたの?」
外で立ち止まっていると、中から光に訝しがられる。
「あー……いや、なんでも……」
と応えながらも、なかなか次の一歩が踏み出せない。
女子の部屋に入るというイベントに、今更重大な意味を感じ始めた。
逆に、光はよく何の躊躇もなく俺の部屋に入れたな……とも。
「ほら、気にしなくていいから!」
腕を掴まれ、半ば無理やり中へと引きずり込まれる。
フローリングの床から、絨毯の敷かれた床へと踏み入れた瞬間に脳内BGMが穏やかなピアノ調のメロディに切り替わる。
実績:『女子の部屋に入る』が解除された。
「とりあえず、そこに置いといて! まだいっぱいあるから全部運ばなきゃ!」
「そ、そうだね」
染み入る暇もなく、部屋から出ていった光の後を追う。
そうして二人で階段を何往復もして、ようやく全ての荷物を運び終えた。
「ふー……これで全部かな~……って、大丈夫?」
「だ、大丈夫……全然、これくらい……」
汗一つかいていない光に対して、俺は汗だくで息も絶え絶えになっていた。
率先して大きな物を運んでいたとはいえ、圧倒的な体力差を痛感する。
明日からはもう少し運動しよう……。
「それじゃあ、次はいよいよ組み立てだよね!」
「だね。工具は用意してある?」
「もちろん!」
笑顔で工具箱を掲げた光からそれを受け取って、いよいよパソコンを組み立て始める。
深い呼吸で息を整えて、気合を入れ直して作業に取り掛かる。
まずはケースをダンボールから取り出して、配線などのイメージをある程度固める。
そうしたら次はマザーボードを取り出し、必要なパーツを順番に取り付けていく。
最初はCPU、ピンを一つでも折ればダメになるので慎重にソケットに差し込む。
続けてメモリ、SSD、冷却装置と順番に。
本格的な水冷キットの取り付けは初めてだったので、スマホ片手に悪戦苦闘。
そうして、なんとか完成したマザーボードとケースを組み合わせる。
振動しないようにきっちりと取り付けられたのを確認し、電源ユニットとグラボを装着。
冷却水の流れるチューブと干渉しないように丁寧に配線していく。
「……よし、後はケースを閉じたらほとんど完成だ。そこの、真ん中のネジ取ってもらえる?」
「うん! 真ん中、真ん中~……」
完成が近づき、俺も光も興奮を隠しきれていない。
だからなのか、あるいは元から無防備すぎただけだったのか――
「――っ!?」
床に置いたビスケースからネジを取ろうと、前かがみになった光。
緩いタンクトップの生地が垂れ下がり、胸元が露わとなって視界に飛び込んできた。
しっかりと谷間を作っている双丘に、それを支える薄水色のスポブラ。
見えた。ガッツリと見てしまった。
緒方さんが言ってたような、“大きい”サイズ感もはっきりと分かるくらいに。
「はい、これでいいんだよね」
「え、あ、ああ……うん、それ……」
動揺を隠しきれずにキョドってしまう。
一方の光は見られた自覚がないのか、挙動不審な俺を不思議そうに見ている。
普段、光をそういう目で見るのに申し訳無さを感じていた分だけ、ダイレクトな情報から与えられる生々しさが脳に焼き付いてしまう。
まだ心臓がバクバクと跳ねている中、なんとか邪念を振り払ってケースを閉じていく。
「これで、ほとんど完成した感じ?」
「そうだね。後はモニターとかマウスキーボードを接続して、OSをインストールしたら終わりかな……上手く出来てたらだけど」
側面が透明になっているケースの中を見ながら言う。
一応、不備はないはずだけど起動するその瞬間までは動くかどうか分からない。
緊張しながら外部装置を接続していき、遂に後は電源を入れるだけとなった。
「……それじゃ、どうぞ!」
一歩横に退いて、その最後の作業を光に譲る。
「いいの?」
「もちろん、これは光のパソコンだし」
「じゃあ、やらせてもらいます……!」
光が一歩前に踏み出して、人差し指を電源ボタンに置く。
得意分野でここまでは良いところを見せられたと思うが、最後の最後で失敗したら全てが水の泡だ。
「えいっ!」
心の中で強く祈るのと同時に、ボタンが押下された。
カチっと音が鳴り、排熱ファンが回転し始める。
ケースが七色にピカピカと発光し、部屋の四方を包む白い壁紙を照らした。
「……よしっ!」
モニターにBIOSの起動画面が映ったのと同時に、両拳を強く握りしめる。
「これ、上手く動いてるの?」
「うん、ここまで来ればもうほとんど大丈夫かな。後は……OSをインストールして……」
予め作っておいたOSインストール用のUSBメモリをポートに差し込む。
無事にインストールが開始されたことも確認し、光に向かって右手を掲げる。
それを見て一瞬だけ困惑すると、すぐに意図を察してくれた光も手を上げる。
力強くハイタッチして、完成の喜びを分かち合った。
「やったー! これで、うちでもゲームができるぞー!」
白い歯を見せて、光が嬉しそうに笑う。
「じゃあ、記念すべき最初のタイトルは何にする?」
「前に観たアニメの原作のやつ!」
「……って言うと思って、実は待ってる間に続きを観られるようにしといたんだけど……どう?」
カバンからタブレットを取り出して見せる。
「それ、天才的アイディア! 観よ観よ!」
そう言って、光がベッドに飛び込むように座った。
……となると、タブレットで観るので必然的に俺も隣に座らなければならない。
女子を自分のベッドに座らせるのと、女子のベッドに座るのではハードルの高さが二段か三段は違う。
けれど、変に意識してると思われるのも嫌だったので、流れに身を任せて光の隣に座る。
「い、いいベッドだね……」
自然に振る舞おうとした結果、テンパりすぎて謎の褒め言葉が出てしまった。
「でしょ? 寝違えたりしたら困るから、枕とマットはオーダーメイドの特別製!」
「へぇ~……じゃあ、俺のベッドで寝るのもあんまり良くないんじゃ……?」
「それはそれ、これはこれ」
理屈にすらなってない謎のパワーで押し切られた。
「ほらほら、早く再生して?」
「ああ、うん……ちょっと待って……」
タブレットを操作して、予め自宅のwifi環境でダウンロードしておいた動画を再生する。
「……そういや、大樹さんって最近どうしてる?」
オープニングが始まったところで、ふと思い立って尋ねる。
「お兄ちゃん? ん~……今週は特に連絡取ってないから分からないけど、どうかしたの?」
「い、いやそんな大したことじゃないんだけど……今週は珍しく店に来なかったなーって」
「そうなんだ。じゃあ、大学の方が忙しいのかな?」
「そっか……言われてみれば大学生だし、レポートとかで大変な時期もあるか……」
大樹さんに、あれを送ってから今日で六日が経ったが未だに何の反応もない。
こっちから催促するわけにもいかないし、ずっとやきもきした日々を過ごしている。
ただ忙しいだけだったらいいけど、怒ってたりしたらどうしようかと不安になる。
とはいえ、考えすぎてもどうしようもないことだと画面の方へと集中し直す。
「さあ、いよいよクライマックスだね……」
俺の不安を他所に、画面の中では物語がクライマックスを迎えていた。
主人公たちが囚われたヒロインを救出へと向かう緊迫の場面が、外連味たっぷりな作画で目まぐるしく展開されていく。
「この主人公のデイヴィスくんって、黎也くんにちょっと似てるよね」
そんな中、今度は光が不意に話しかけてくる。
「……似てる? どの辺りが?」
少なくとも、見た目は全くと言っていいほど似ていない。
今は最終形態で巨大ロボットみたいになってるし、尚更だ。
「見た目ってわけじゃなくて、ヒロインがピンチの時に必ず駆けつけて来てくれる辺りが」
「……と言われても、まだあんまりピンと来ないんだけど」
「えー……だって、私が一番つらかった時に駆けつけてきてくれたでしょ……?」
しっとりと、膝の上に手を添えながら言われる。
「駆けつけ……あ、ああ……あれね……あの時の……」
「うん、あの時はすごく嬉しくって……まるで影山くんが主人公で、私がヒロインの物語みたいだって思っちゃったもん」
「そ、そっか……それなら行った甲斐があったなぁ……」
思い出すだけで顔が熱を帯びる気恥ずかしさに、目を逸らそうとすると――
「ねっ……」
ベッドの上に置いていた右手に彼女の左手が被せられる。
「あの時……どうして来てくれたの?」
光は潤んだ瞳で俺を見上げながら、そう問いかけてきた。





