第27話:恋と情欲とお呼ばれ
――翌月曜日の昼休み。
「……緒方さん、どうしたの?」
昼食を取るために、いつもの教室に入ると緒方さんが机に突っ伏して死んでいた。
「土日に主演舞台の稽古で散々絞られたんだって」
死んだままの緒方さんに代わって、悠真が答えてくれる。
「あー……そうだったんだ。なんかごめん、そんな大変な時にいきなり連絡して」
「まあ、それは別にええんやけど……うちから手伝うって言い出したことやし……」
おっ、生きてた。
「それ、何の話?」
席について、買ってきた昼飯を取り出していると悠真が尋ねてくる。
「土曜に突発で光と出かけることになったから、緒方さんにおすすめの場所を教えてもらったんだよ」
「へぇ~……デートしてたんだ。どこ行ってたの?」
「◯✕モールで買い物して、占い館に行って……後はドーナツ食べたり」
「俺らが悲しく一人で過ごしてる間に仲良くデートとは、羨ましいこった」
先に来ていた颯斗が恨ましげな口調で絡んでくる。
何か言い返そうかと思ったが、何を言っても嫌味に取られるかもしれないと飲み込む。
「そんで、デートの方は成功したん?」
「それはまあ、おかげさまで上手くいったとは思う」
「ふ~ん……確かに、言われたみたらそんな顔しとるもんな。男らしくなったって言うか、自信がついてきとる感じ?」
「そうかな? 自分じゃ、よく分からないけど……」
「もしかして、お前……ヤッたのか?」
緒方さんの言葉に首を傾げていると、また颯斗が唐突にそう切り出してきた。
「ヤっ……? いやいやいや、んなわけないだろ……」
「嘘つけ! 数日ぶりに会った男が、なんかいきなり自信に満ちた面してるなんて、脱童貞以外にねーだろ! 正直に言え! ヤったんだろ! 朝日光と! 人類の半分を敵に回したんだろ!?」
「黎也くん! 感想は!? どんな感じだった!?」
ワケの分からないことを興奮気味に言ってくる颯斗に、悠真まで便乗してくる。
「いや、だからしてないって……」
そんな二人に呆れるように言う。
その何歩か手前までは行ったかもしれないが、してないものはしていない。
「じゃあ、なんだよ……その首元の意味深な絆創膏は」
「た、ただの擦り傷だよ……」
それに関しては当たらずとも遠からずなので、少しギクっとしてしまう。
「っていうか、女子のいる前でそんな話すんなよ……」
「うちは別に全然気にせんけどな。なんやったら女子同士で、もっとエグい話とかしてるのも普通に聞くし」
気を使ったつもりだったが、あっけらかんとそう言われる。
女子同士のもっとエグい話……。
気にならないと言えば嘘になるけど、怖いからあまり聞きたくないな。
でも、光もそんな話をしたりするんだろうか……。
「はぁ~……でも、影山くんは順調そうで羨ましいわぁ……」
そう言って、緒方さんが再び机の上に突っ伏す。
「緒方さんの方は、そんなに行き詰まってる感じなの?」
「うん……この土日で初めて他の人と合わせて稽古したけど、監督とか演出さんからそれはもうめっちゃダメ出しされて自信喪失中……」
ぐでーっと、今にも夏の日差しで溶けそうなくらいに項垂れている。
明るさが持ち味の彼女が、ここまで落ち込んでるのを始めてみた。
「主演のうちがあかんと、全体が止まるから他の人にも迷惑かかるし……ほんまにそれが申し訳なくて申し訳なくて……」
「それは大変そうだね……」
「あー、もう! 恋とか愛とかなんなん! ほんまさっぱり分からんわ!」
落ち込んでたと思ったら、今度は怒り狂い始めた。
これは、相当キテるな……。
「なあ、影山くん……そんな順調なんやったら、うちにも恋を教えてやぁ……」
「それ、誰かに聞かれたらめちゃくちゃ誤解を招きかねない言い方だからやめて……」
「だって、ほんまに全然分からんねんもん……好きって何なん? 性欲とは違うん?」
もうなりふり構っていられないのか、言葉を選ばずに問われる。
「性欲って……」
「でも、『恋愛はただ性欲の詩的表現を受けたものである』って昔の有名な文豪も言ってたよね」
どう答えればいいのか言い淀んでいると、悠真がそう言ってきた。
「はえ~……そうなんやぁ。ほな、それを踏まえた上でどうなん? 影山くん的には」
「なんで俺……てか、その質問は流石にセンシティブすぎない……?」
「まあまあ、そう言わんと教えてや。うちも協力したったやろ?」
「う゛っ……それはそうだけど……」
それを言われると弱い。
実際、緒方さんに教えてもらった占いのおかげで光との距離が縮まったのは確かだ。
「うちは『好き』を論理的に紐解かんといかんのよ!」
「論理的って……そういうもんでもないんじゃ……」
「とにかく、影山くんなりの考えでもええから教えてや! 恋愛と性欲の違いって何なん!?」
机をバンと強く叩いて言う緒方さん。
「じゃあ……俺が思うには、だけど……」
あまりもの必死さに押し負けて、そう前置きして自分の意見を述べる。
「まず性欲ってのは、本能的なものじゃない?」
「まあ、うちはそれもあんまりよく分からんけど多分そうなんちゃう? つまるところは生殖本能に根ざしてる感情やろ?」
緒方さんはそういう感情も薄いからなのか、言い方が直接的で生々しい。
「で、その本能的な感情に……人間的な理性による好感が合わさったものが恋愛感情なんじゃないかな。だからはっきりとした違いがあるわけじゃなくて、すごく曖昧というか、まだらに混ざり合ってるというか……」
「ふ~ん……じゃあ、影山くんの理性は光のどういうところに好感を持ってるん?」
「どういうところって言われると……結構難しいな……」
言われてみればそこを顧みたことはないような気がする。
最初は一目惚れで、そこから先は二人で過ごす間に漠然と一緒にいたいと思うようになっただけだ。
一度、しっかりと言語化してみるのは確かに大事かもしれないと真剣に考えてみる。
「やっぱり、一緒にいて楽しいところかな……?」
「一緒にいて楽しい……もう少し具体的には?」
「例えば……まず趣味が合うし……それで一緒にゲームとかしたりすると、感情表現がすごく豊かで面白いところ? 特に隣で笑ってくれてると、何か俺も嬉しくなるっていうか……」
「なるほどなぁ……でも、それって友達でも成り立つ感情とちゃうの?」
「それはそうだけど……そこにさっき言った、その……男女の本能的な感情がまだらに混ざり合うと友情とは似たようで明確に違う感情になるっていうか……」
「ふむふむ……うちにはそこが分からんのやけど、友情を基準にするのはできそうやな……他にはどんなところが好きなん?」
緒方さんがそう聞いてくる隣で、悠真と颯斗が――
「……なんか、これってすごい惚気話を聞かされてるよね。僕たち」
「ん……ああ、そうだな……」
と小声で話しているのが聞こえてきた。
悠真はともかく、颯斗のやつはもっと茶化してくるかと思ったが、意外と大人しく俺たちの話に耳を傾けている。
何か無性に気恥ずかしくなるが、借りを返す為に話を続けていく。
「他は……かっこいい、とか?」
「かっこいい? 光が?」
「初めて意識したのが、テニスをやってる時の姿だったから」
「あー、それやったら分かるわ。普段はどっちかっていうと天然入ってるけど、コートに立つとほんまに別人やからギャップすごいもんな」
うんうんと頷いて、大きな同意を示す。
ゲームをしている時の楽しそうな光や、二人きりの時に甘えてくる光。
それぞれに異なる魅力があるけれど、テニスをしている最中の彼女には他とは違う高次の魅力がある。
俺の語彙力では、それを『かっこいい』としか表現できないのが悔しい。
「ほな、次は本能的な方の話で。影山くんは光にどんな性的魅力を感じてんの?」
試合中の光の姿を思い出して浸っていると、何の躊躇もなく聞かれた。
「……ノーコメントで」
「ええ!? なんでよ! ここまで言ったんやから教えてくれてもええやん!」
「それは流石にセンシティブすぎるから無理」
借りはあるとは言え、言える範囲と言えない範囲がある。
「細身な割に実はおっぱいが結構おっきいところとか?」
「ノーコメント」
「じゃあ、あのキュっと引き締まった腰つき? それともグっと持ち上がって綺麗なヒップライン?」
「……ノーコメント」
「あっ、分かった! あのショートカットの裾から時折チラっと見える真っ白なうなじやろ!?」
「だから、言わないって……」
しつこく問い詰めてくる緒方さんに対して、憲法で定められた内心の自由をなんとか守り切る。
「ケチやなぁ……」
ブーッと口先を尖らせているが、大体全部合ってるなんて言えるわけがない。
「てか、そういう話なら……それこそ舞台で一緒にやってる人らに聞いた方がよく分かるんじゃないの?」
舞台俳優となれば、俺みたいな恋愛弱者よりも経験豊富な人が多いに違いない。
そもそも最初からそっちを頼ればよかったんじゃないか。
そう思って聞いてみたが……
「舞台界隈の男女関係って、爛れに爛れて拗れに拗れすぎて終わってんねん……」
緒方さんは窓の外を遠い目で見上げながら、悲しそうにそう言った。
*****
そうして長い長い一週間が終わり、週末の土曜日になった。
時刻は太陽が頂点を少し通り過ぎた昼下がり。
これまでは家で光が来るのを待っていた時間だが、今日は逆。
先週購入したパソコンを組み立てるために、俺が初めて向こうの家に赴く日だ。
電車に乗り、初めて降りる駅に降り立ち、スマホで地図を見ながら目的地を目指す。
駅から歩いて十分弱で、閑静な住宅街へと辿り着く。
「多分……この辺だよな……ここが三だから向こうが四で……」
綺麗に整備された区画をしばらく歩いていると――
「あった……!」
表札に『朝日』の文字が書かれた住宅を発見した。
なかなか立派な二階建ての現代建築で、家の前には車が二台は入りそうな大きいガレージもある。
うちとは違って家族の存在を感じさせるが、両親は留守だと事前に聞いている。
挨拶で大失敗……なんて展開にはならなさそうで安心するが、それでも緊張はする。
門を開けて、入り口の扉の横についた呼び鈴を鳴らす。
数秒の間もなく、中からドタドタと忙しない足音が響いてきた。
こっちに近づいてきたそれが、扉一枚を挟んだすぐ側で止まる。
ガチャガチャと、鍵を開ける音が鳴り――
「いらっしゃーい!」
薄手のタンクトップに、白い太ももが見え隠れしているショートパンツ。
いつも通りの満面の笑みに、いつも以上に無防備な姿の光が迎えてくれた。





