第23話:あ~ん
「あー……そういうことね……」
「うん、結構頻繁に来てるって……そういうことなんだよね?」
「それは間違いないと思う」
大樹さんは衣千流さんに惚れている。
それは具体的な単語を出さずとも、二人の間で容易に合意が取れるくらいには自明だった。
「……で、今のところどんな感じなの? 脈アリな感じ?」
目を輝かせて、もう一度光が尋ねてくる。
感情としては兄への応援とお節介、好奇心がそれぞれ等分だろうか。
「ん~……どうかと言われると、健闘はしてるんじゃないかな」
「健闘って、具体的にはどのくらい?」
「どのくらいっていうと……従兄弟の俺が言うのもあれだけど、衣千流さんって……ほら、見ての通り美人だからかなりモテる方なんだよね」
その言葉に、光がうんうんと二度頷く。
「業者の人とか、お客さんからもよく言い寄られてて……それでも全然取り付く島もないって感じだったんだけど、大樹さんはそこよりは一歩……いや、半歩くらいは踏み込めてるんじゃないかなと。だから良くも悪くも健闘」
「そのくらいかぁ……。じゃあ、行動に見合った程の成果は上げられてないんだ」
「ん……まあ、手厳しいけど見方によってはそうなるのかな」
妹からの忌憚なき意見に、一応の賛意を示す。
確かに、あれほど通っているだけの進展があるかは微妙なところだ。
それに衣千流さんが大樹さんを無碍にしないのは、光の兄だからというのは大いにあるだろう。
当初から露骨に俺と光の関係を気にしてたし、大樹さんに多少なりとも心を許しているのも兄から探りを入れようと考えただけかもしれない。
「でも……これは本当に俺個人の感想なんだけど、全くの脈ナシってわけでもないんじゃないかなーとは思ってる」
けれど、それらを置いても先日二人が話している姿に雰囲気の良さを感じたのも確かだ。
「だから、後は大樹さんの頑張り次第なんじゃないかな」
「そっかぁ……張り切りすぎて変なことしなきゃいいけど……」
既にかなり変なことはしてきたけど、衣千流さんにはウケてたし黙っておこう……。
「……にしても光って、実は大樹さんのこと結構心配してる?」
「心配っていうか……恋人でも出来たら、多少はまともになってくれるのかなーって」
「ははは……」
言葉は辛辣だけれど、一緒に買物に行く程の兄妹仲なら応援しているのも確かなんだろう。
俺としても大樹さんを応援したい気持ちはもちろんあるが、それはそれとして決めるのは衣千流さんだから過干渉は控えておきたい。
「ところで、この後の予定なんだけど今日はうちに帰ったら――」
そうして話題を切り替え、しばらく歓談に興じていると料理が運ばれてきた。
「はーい、お待たせしましたー! ビーフシチューとエビドリアでーす!」
川瀬さんが両手に持ったトレーを一枚ずつ、テーブルの上に並べていく。
「どうぞごゆっくり~!」
「わぁ~……おいしそ~……! いただきま~す!」
スプーンを手に取った光が、大きな肉を乗せた贅沢な一口を食べる。
「ん~~~……おいし~……!! シチューがお肉にしっかり染み込んでて最高! 今度はニンジンと一緒に……あむっ、もぐもぐ……野菜の甘みとソースのコクとほのかな酸味のバランスが絶妙でおいし~……! こんなの交互に食べると一生止まんないよ~……!」
目の前で、表情をコロコロと変えながら食事を楽しんでいる光。
見ているだけで本当に楽しくて、この人が誰からも好かれる理由がよく分かる。
それを自分が独り占めしている状況に、ちょっとした贅沢感も覚える。
「そっちのドリアも美味しそう……美味しい?」
互いに食事が半分ほど進んだところで、光が尋ねてくる。
「そりゃもちろん美味しいけど」
「じゃあ、一口交換しない? そっちがエビの部分を差し出すなら、私はビーフを差し出すのもやぶさかじゃないよ?」
「何それ……まあ、いいけど」
取りやすいように器を気持ち光の方へと寄せるが――
「んっ」
光は自分のスプーンを置いて、上半身を少し前のめりにしてきた。
「……食べないの?」
「食べるよ?」
……と言いながらも、やはりスプーンを手に取らない。
「スプーンを使わずに?」
「うん、“私の”スプーンは使わずに」
変わらぬ笑みを浮かべながら、視線は俺の手元をチラチラと見ている。
もちろん、意図はとっくに理解していた。
「それは……食べさせろってこと?」
「正解! 見事正解した黎也くんには、私に『あ~ん』させる権利を差し上げます!」
「何それ……」
「では、どうぞ! あ~ん!」
更に椅子から身を乗り出して、万全な『あ~ん』の体勢を整える光。
どうやら俺に選択肢はないらしい。
抵抗は無駄だと諦めて、器からエビの部分を掬い取る。
「……はい」
たっぷり取ったそれを落とさないように、光の口元へと差し出す。
「あ~ん……あむっ!」
大きく開けた口で、パクっと一口で咥えられる。
手を引いて、彼女の口腔からスプーンを取り出す。
瑞々しい唇のぷるんと震える感触が、金属を通して手に伝わってきたような錯覚を覚える。
「もぐもぐ……うん、美味しさ三倍増し!」
ドリアを咀嚼し、嚥下した光が満足気に言う。
「満足できた?」
「ん~……満足は満足だけど、大満足にはまだ少し足りないかなぁ……」
そう言いながら、今度は自分のスプーンでビーフシチューを掬い始めた。
「というわけで、今度は……はい、あ~ん♪」
左手を受け皿にして、笑顔で牛肉の乗ったスプーンが差し出される。
やっぱり、そうなるよな……と思いながら横目で店内の様子を確認する。
満席だが、皆が各々の食事を楽しんでいてこっちを見てはいない。
今なら目立たないかと、光の差し出したそれを口に含む。
スプーンが引き抜かれ、口内にビーフシチューの濃厚な味が広がる。
「どう? いつもより美味しくなった?」
咀嚼し、嚥下すると期待に満ちた眼差しを向けられる。
「三倍増しかな」
「じゃあ、もう一口食べさせてあげる」
墓穴を掘った。
「俺にばっか食べさせて、自分の分がなくならない?」
「いいのいいの……はい、あ~ん♪」
今度はジャガイモの乗ったスプーンが差し出される。
抵抗は無意味だと察し、口を開いて迎えようとした瞬間だった。
「お二人さん、お味はいかがですか~?」
「――っ!」
後ろから知った声が聞こえて、反射的に身を引く。
「あれ? やめちゃうの?」
振り返ると、揶揄うような笑みを浮かべた衣千流さんが立っていた。
どうやら一部始終を見られていたらしい。
身内に見られてしまった恥ずかしさに、顔が凄まじい熱を帯びる。
「仕事しなくていいの?」
「今いるお客さんの注文分は全部終わったから大丈夫。だから、私は気にせずにどうぞ続けて?」
「ほら、水守さんもそう言ってくれてるし……あ~ん♪」
尚も止める気ゼロの光が正面からスプーンを差し出してくる。
「ほら、光ちゃんを待たせちゃダメでしょ?」
横からは衣千流さんがそう言って、囃し立ててくる。
高レベルの光属性ボスと水属性ボスの挟み撃ち。
死にゲーの複数ボスとの初見戦闘よりも絶望感のある戦いだ。
羞恥をはじめとした様々な感情が入り交じる中、諦めて口を開いて受け入れる。
「「美味しい?」」
二人の言葉が綺麗に重なる。
「……美味しいです」
正直に答えると、二人同時に笑顔を浮かべる。
「黎也くんの大好物だもんね~。ビーフシチュー」
「えっ、そうなんですか?」
「うん、夕食代わりのまかないで出してあげると、いつも子供みたいに大喜びしてるもんね」
そう言いながら、隣の椅子を寄せて同席してくる衣千流さん。
まだ目は少し赤く腫れているが、感情の方は流石に落ち着いたらしい。
おかげで、今から俺が更に辱められるのは確定してしまった。
「子供みたいにって……別に、そこまでは……」
「黎也くんはビーフシチューが好き……覚えとかなきゃ……」
「良かったら今度作り方、教えてあげよっか?」
「えっ! いいんですか!?」
「うん、本当は門外不出のレシピだけど……光ちゃんだけは特別。だって、黎也くんの大切な人だもん」
「わぁ……ありがとうございます! 是非、教えてください!」
俺の弁明を他所に、会話がどんどん盛り上がっていっている。
「でも、その代わり……一つだけ、教えてもらってもいい?」
「なんですか?」
「光ちゃんは、黎也くんのどういうところが好きなの?」
柔らかい笑みを浮かべて衣千流さんが言う。
なんで二人の会話で、どんどん俺だけが追い込まれていってるんだろう……。
次回は金曜日の18時に更新予定です





