第22話:膨れ上がる想い
――桜宮京とのエンカウントから三時間後。
「水守さんのとこに行くの、久しぶりだから楽しみだなー」
俺たちは依然、手を繋ぎながら二人で道路沿いの歩道を歩いていた。
「なんかごめん。こっちの事情に付き合わせて」
向かう先には俺のバイト先である『水守亭』。
また光を店に連れてこいとの厳命を思い出し、ちょうど良いタイミングだと履行することにした。
「んーん、全然! 私も水守さんに会うの楽しみだし」
「なら、良かった。向こうも光を連れて来いってうるさかったし、今日は腕によりをかけて料理作ってくれるんじゃないかな」
「ほんとに? じゃあ今日は何食べよっかな~……前のオムライスもすごい美味しかったからまた食べたいけど、せっかくなら違うのも食べたいよね~」
機嫌よく、まるで小学生のように腕を大きく振りながら歩く光。
あれからずっと握られ続けている俺の手も、同じ軌跡を辿って振られている。
そう、あれからずっと……俺たちの手は繋がれっぱなしだ。
ドーナツを食べている間も、その後にもう一度モールに戻って散策した間も、電車に乗って今この瞬間を迎えるまでの間も。
一秒たりとも離されることなく、繋がれ続けている。
それも最初は手のひら同士を合わせるだけの形だったのが、今は指を一本一歩絡め合う
形……いわゆる『恋人繋ぎ』になっている。
接触面積は最大化され、手の柔らかさ、肌のきめ細やかさ、熱い体温がこれでもかというくらいに伝わってくる。
その全てが俺が内側に抑え込んでいる感情をどんどん加速させ、膨れ上がらせていく。
爆発しないようにと抑え込んでいる内に、店の前へと辿り着く。
「さて、着いたけど……」
「うん、着いたね!」
「じゃあ、入ろうか……」
「うん、入る!」
一応、遠回しに確認してみるが、やはり手を離される気配は一切ない。
告白されたのは既に知られているが、改めてこれを見られるのは正直恥ずかしい。
囃し立てられるのは必至だし、ともすれば両親の耳にも届くだろう。
けれど、そんな羞恥は確かにありつつも、それ以上に自分も光と一秒でも長く触れ合っていたい気持ちが強いのも自覚している。
覚悟を決めて、取っ手に指先を掛けて扉を引く。
カランカランとドアベルの音が鳴り、店の中から――
「いらっしゃいませー! 少々お待ちくださーい!」
と大きな声が響いて、恰幅の良い女性がドスドスと歩いてくる。
「ども、こんばんは……」
「ああ、黎也くんかぁ! そうだそうだ、今日来るって言ってたのよね!」
彼女は俺の顔を見るや否や、更に大きく声を張り上げる。
「はい、すいません。急な予約になって」
「……黎也くんの親戚の人?」
軽く挨拶していると、続いて入ってきた光が尋ねてきた。
「いや、この人は川瀬さん。俺がシフトの入ってない日に来てくれてるパートの人」
「あっ、そうなんだ。はじめまして、朝日光って言います」
「あら、どうもご丁寧に。川瀬涼子、42歳主婦です。店長~! 黎也くん、来ましたよ~! 可愛い彼女も連れて~!」
川瀬さんが厨房の方に向かって声を張り上げると、凄まじいドタバタ音が響いてくる。
けたたましい金属音に、何かをぶち撒けた音とかも聞こえてきたけど大丈夫か……と心配していると、数秒遅れて衣千流さんが姿を現した。
白いコック服の胸元から下を真っ赤なソースで染め上げ、手でズレた帽子を押さえている。
俺、光、繋がれた手。
彼女は夢現にいるような無表情のまま、視線だけを動かしてその三点を何周もする。
「あっ、水守さん! お久しぶりで――」
一言も発さないまま固まっている衣千流さんに、光が挨拶しようとした瞬間だった。
――ブワッ!
……っと、彼女の目から吹き出すような勢いで大粒の涙が溢れ出した。
「えっ……ええっ!? ちょ、衣千流さん!? どうしたの、急に!?」
意味の分からない突然の号泣に狼狽える。
「わ、分からないけど……何か……黎也くんがちゃんと幸せそうなのを見たら、急に込み上げてきちゃって……」
「な、泣くほどのこと……?」
「だって……私、黎也くんにもいっぱい迷惑かけちゃったから……」
「そ、そんな昔のこと全然気にしてないって……だから、ほら……お客さんもいるんだし……」
知らないところでずっとそんなことを気にしてたのか、堪えきれなくなってしゃくり上げ始めた衣千流さんをなんとか宥める。
「家に籠もってゲームばっかりするようになったのも……私のせいなんじゃないかって……ずっと思ってたし……」
「それはまじで関係ないかな……」
それはただ俺の魂に刻み込まれた業です……。
「うぅ……でも、ほんとによかったぁ……私、自分のことみたいに嬉しい……」
まだ大粒の涙を零しながら大泣きし続ける衣千流さん。
お客さんたちも何事かと俺たちの方を見ている。
「ほら、店長。嬉しいのは分かるけど、お客さんもいるんだし泣き止まないと仕事になりませんよ」
「ごめんなさい……そんなつもりじゃなかったのに……本当に感極まっちゃって……」
「店長からしたら弟同然に大事な家族ですもんね。気持ちはよーく分かりますよ」
川瀬さんに支えられて、衣千流さんが厨房の方へと戻っていく。
流石は二児の母、泣いた子を宥めるのは手慣れている。
店の奥へと戻っていく姿を見送りながら、俺たちも奥のテーブル席へと向かう。
「……なんか、ごめん」
着席して、開口一番に謝っておく。
「ん? なにが?」
「いや、衣千流さんが……なんか、びっくりさせちゃったかなって……」
「全然。むしろ、すごく想われてて羨ましいなーって……ちょっと妬いちゃったかも」
いつも通りの朗らかな笑みを浮かべて言われる。
「なら良かったけど……ところで、これもそろそろ離した方がよくない?」
会話の流れで、未だテーブルの上で繋がれたままの手を見ながら尋ねる。
「……なんで?」
心底不思議そうな顔で首を傾げられる。
「なんでって……このままじゃ食べられないし」
「じゃあ、黎也くんがどうしても離したいって言うなら離すけど……」
「なんでそんな意地悪な言い方するかな……」
「だって、離したくないんだもん……」
拗ねた子供のように、頬を膨らましながら光が言う。
「そりゃ俺もそうだけど……」
俺だって離したいわけがない。
今こうしている間にも、どんどん光を思う気持ちが増幅されていっている。
その多幸感に勝る感情なんて、間違いなく他には存在していない。
「だったら、もう少しこのままでいたいかも……」
「じゃあ、料理が出来るまでなら……」
テーブルを挟んで、互いに向かい合う。
手だけでなく、熱を帯びた視線も絡まり合う。
もっと、もっと深く繋がり合いたい本能的な欲求を膨れ上がらせていると――
「……はい、お水どうぞ」
川瀬さんによって、テーブルの上に水の入ったコップが置かれた。
二人の世界に入り込んでしまっていた俺たちからすれば、それは完全な不意打ちで身体がビクっと震えてしまう。
「ご注文はお決まりですか?」
ニヤニヤと、微笑ましいものを見るような目を俺たちに向けている川瀬さん。
「えーっと……私はビーフシチューで!」
「じゃ、じゃあ俺はエビドリアで……」
「はーい、ビーフシチューとエビドリアですねー。かしこまりました~」
うふふと笑いながら川瀬さんが下がっていく。
水を一口飲み、気持ちを落ち着かせる。
今日は色々ありすぎたせいで、自分でも浮かれ過ぎているのがはっきりと分かる。
分かっているはずなのに、気を抜くと人前であることすら忘れて浸ってしまう。
光に出会う前は人前でイチャつくカップルを見かけたら眉を潜めていたが、今では自分たちが完全にそんなバカップルになりつつある。
「ところで話は変わるんだけど……水守さんって恋人とかいるの?」
気を引き締め直していると、対面から小さな声でコソっと囁くように聞かれる。
「恋人……今は多分いないんじゃないかな。俺が知ってる限りではだけど」
以前、どこかの誰かに聞かれた時と同じように返す。
「あんなに綺麗で優しそうな人なのにいないんだ……なんでだろ?」
「なんでって言われても本人じゃないから流石に分からないけど……今は店のことで手一杯だろうし、ただそんな暇がないだけじゃないかな」
俺が知る限りでも、両手で数えきれないくらい大勢から言い寄られてる。
その中には、誰でも知ってるような大企業で働いてる人なんかもいた。
とんでもなく高望みしているわけでもなければ、相手がいないわけじゃない。
「ふ~ん……そっか……そうだよね。お店を持ってるって大変そうだもんね」
言葉では納得しつつも、何かを思案するようにコップを指先で突いている。
何かを言いたそうにしているが、悩んでいるような雰囲気。
「急にどうしたの? 何かあった?」
それを引き出すために尋ねてみると……
「ん……いや、ただ……お兄ちゃんとはどうなのかなーって……」
光は探りを入れてくるように言った。





