第21話:無敵バフ
二人で肩を並べ、黙々と歩く。
もう長い間、何も喋らずに淡々と歩き続けている。
目的地があるわけでもなく、ただ気恥ずかしさを紛らわしているだけの放浪。
あれから数十分が経っても尚、頬に受けた感触は克明に残っている。
これまでもじゃれ合うような接触はいくらでもあったが、あれはそれらとは一線を画す意味合いを持つ肉体的接触だった。
光も流石に恥ずかしかったのか、ずっと俺から顔を隠すように伏せて歩いている。
このままだと日が暮れるまでこんな調子が続きかねない。
「……次、どこ行く?」
今も尚湧き出す照れに蓋をして、なんとか話しかける。
「ん……どこ行こう……黎也くんはどこか行きたいとこある……?」
「じゃあ、本日のラッキーアイテムのドーナツでも食べに行く……?」
「うん……じゃあ、それで……」
「了解。探してみるからちょっと待ってて」
光にしては珍しく消極的な了承の返事を受けて、ポケットからスマホを取り出す。
地図アプリを起動して、現在地と周辺を調べる。
どうやらアテもなく彷徨っている間に、ちょうど良い場所に来ていたらしい。
徒歩でそう遠くない圏内に某ドーナツチェーンがあった。
「向こうだって」
指差して方向を示し、彼女を先導する形で歩き始める。
ショッピングモールを出て、隣接するアーケード街へと移動する。
「な……かな……」
道幅の広いアーケードを無言のまま歩いていると、光がボソっと何かを呟いた。
「ん? 何か言った?」
「あっ、えっと……占い師さんが言ってた私たちの『障害』って何なのかなーって……」
聞き返すと、光が少し不安そうに言う。
「さあ、具体的に何かは俺にも分からないけど……そんな気になる?」
「うん、すごく気になる。もし、それを越えられなかったらどうなるんだろって……」
どうやら良い部分も悪い部分もまとめて、俺よりも深刻に占いの結果を捉えているらしい。
「障害かぁ……仮にあったとしても、そんな深刻に考えなくても大丈夫だと俺は思うけどね」
「……なんで?」
「だって、そういうのって俺たちに限った話じゃなくて誰にでもあるようなもんなんじゃない?」
「誰にでもって……例えば、どういうの?」
「……喧嘩したりとか? あくまで一般論だけど」
「喧嘩……するのかなぁ……したくないなぁ……」
光がまた不安げに言葉を漏らす。
「もちろんしないに越したことはないけど、そんなに心配もしなくていいんじゃないかな」
「……なんで?」
「喧嘩になっても、俺の方がすぐに折れるだろうから」
「ぷっ……なにそれ」
俺がそう答えると、光が軽く吹き出した。
「だから原因が何にしても、その時はすぐに許してくれると嬉しいかな」
「あっ、それならさ! 今のうちに喧嘩したらどうやって仲直りするのか考えておかない?」
「何それ……それなら最初から喧嘩しない方法を考えた方が良くない……?」
「え~……なら、どっちも考えよ? まず私から! お互いの好きなものを先に伝えておいて、喧嘩したら二人ともそれを買ってくるってのはどう!?」
「じゃあ、俺はZTX4090かな。喧嘩する度に買って貰えれば二枚差し……いや、三枚差しも夢じゃないかも……?」
「もぉ~……真面目に考えてよぉ……!」
間にあった妙な空気を一蹴し、二人で笑い合う。
そうして、またしばらく歩き続けていると目的のドーナツチェーンが見えてきた。
流石に歩き疲れてきたから、早く入って座りたいと思ったのと同時に――
「あれ? 光?」
ふと、すれ違った誰かが光の名前を呼んだ。
先に反応した光に続いて、声の方向へと振り返ると……
「あっ、京」
クラスメイトの桜宮京が、何か驚いたような表情で立っていた。
「やっぱり光だ。こんなところで会うってすごい偶然だね」
彼女はそう言って笑顔を作ると、俺と光の顔を交互に見やる。
「あっ、もしかして……デート中だった?」
「うん。二人で買い物して、今はそこで休憩しよっかって話になってたところ」
「え~……いいなぁ。めっちゃ青春してるじゃん」
「ふふ~ん、でしょ~? それで、京は何してたの?」
「私もデートって言うか……前に仲良くなった人と買い物して来たとこ」
言いながら、これ見よがしに紙袋を掲げる桜宮さん。
そこには俺でも聞いたことのある高級ブランドの名前が刻印されている。
その仲良くなった人の姿は見えないが、雑誌で見たのと同系統の高価な服装を見ていると俺には想像もつかないハイソな相手なのは分かった。
「前にって言うと、みんなと一緒にカラオケ行ってた時の青葉南の男子?」
「ううん、それとは別の人。あの人ともちょっとだけ付き合ったけど、やっぱり私って同い年は子供過ぎて無理だなーって。だから今の人は大学生……あっ、慶陽の医大生なんだけど、やっぱり年上は頼りになるよね。今も車を回してくれるの待ってるとこだったんだけど」
うっわー……。
隠す気もないバッチバチの対抗意識に内心でドン引きしてしまう。
言葉には聞いていたけれど、まさかこれほどとは……。
「えー……すっごー……。やっぱり、京って大人だよねー……」
「全然そんなことないって。むしろ私は光の方が高校生の恋愛って感じで羨ましいし」
「えへへ、そうかなぁ……?」
「うん、影山くんも落ち着いてて優しそうだし。光にはピッタリの人だと思う」
この言葉も決して褒めているわけではないのが、言われ慣れた俺には分かる。
「うん! 私もそう思う!」
けれど、その迂遠な攻撃は光に全くと言っていいほど通じていない。
むしろ光が幸せそうな笑顔を浮かべる度に、反射ダメージを受けて逆にイライラしているのが伝わってくる。
これほど一方的なライバル視ほど辛いこともそうないだろうな……と、桜宮さんの方に若干の同情心を抱いてしまう。
「でも、好きな人を褒められるのは嬉しいけど……くれぐれも取らないでよね?」
「そんな心配しなくても取らないって。てか、私も彼氏いるって言ったばかりじゃん。慶陽医学部の」
「あはは、そうだった」
そういえば学校でも桜宮さんは俺と光の関係に対して、特段嫌悪的な反応を見せていなかったなと思い出す。
けれど、この対抗意識を目の当たりにすれば、それもそのはずだと納得がいった。
彼女は朝日光が、俺程度の男を選んだのが心底嬉しいんだろう。
「影山くんも、光みたいな可愛い彼女が出来て鼻高々なんじゃない?」
二人の会話をぼーっと聞いていると、今度は矛先が俺へと向く。
「あー……うん、そうだね」
「大事にしてあげてよ? 私の大切な友達なんだから」
「……それは、もちろん」
言葉の裏に多くの他意を含めているだけで、表立って攻撃しているわけじゃない。
向こうもそれをすれば負けだと分かっているんだろう。
「二人はこの後ドーナツ食べに行くんだっけ?」
「うん! 後、ミルクたっぷりのコーヒーも! 今日のラッキーアイテムらしいから!」
「はぁ……いいなぁ……。私もそういう身の丈にあった高校生らしいデートもしてみたいなー……」
「京はこの後、車でどこ行くの?」
「彼の親戚が創作スイーツの店をやってるから連れてってくれるんだって。立派なホテルの中にあるから、二人みたいなラフな格好だと入れないところだし……ほんとにしんどいよね」
嫌味さを隠しきれていない笑みを浮かべながら桜宮さんが言う。
確かに俺は頼りになる年上の車持ち医大生じゃないし、高級ホテルで創作スイーツの店を開いている親戚もいない。
彼女の基準で見れば、大した男じゃないのはその通りなんだろう。
別に今更、特別傷つくような扱いでもない。
「あっ、彼が着くみたいだからそろそろ行かないと。外車だから探しやすいのはいいけど、すごく目立っちゃうんだよね~……」
けれど、彼女のそれは俺を好きでいてくれている光をも毀損しているようで無性に腹が立った。
『実現すべき未来を信じ、その時々に断固たる決意を貫けば自ずと道は開かれるでしょう』
さっき光から分けてもらった強力無比なバフが身体を動かす。
「じゃあ、光……俺らもそろそろ行こっか」
腕を伸ばし、光の手を取るのに何の躊躇もなかった。
投げかけられた数々の言葉へと意趣返しするように……青春真っ只中の高校生らしく、人目も憚らずに強くギュッと握りしめる。
光は一瞬だけ困惑したような反応を見せた後に――
「うん! じゃあまた学校で! ばいばーい!」
今日一番の幸せそうな笑みを浮かべて、手を強く握り返してきた。
二人で振り返り、店のほうへと向かって歩き出す。
その直前に、作った笑顔を維持しきれずに苦虫を噛み潰したような表情を浮かべる桜宮さんの姿が一瞬だけ見えた。





