第17話:初日の夜 その2
浴室内のシャンプー類、洗面所のコップと歯ブラシ、そしてバスタオル。
一つだけなら回収し忘れただけかと思うが、三つとなれば意図的に設置していったものだとしか考えられない。
『……ってことで、これからガンガン攻めていくからよろしくね!!』
あの言葉が秘めていた本質を今この瞬間に、初めて理解した気がする。
まるで西ローマ帝国を滅ぼしたゲルマン人並の大侵攻だ。
バスタオルで身体を拭きながら恐怖に慄く。
しかも、この大攻勢がこれだけで終わるとは考えづらい。
部屋に戻ると、さらなる追撃が待ち構えている可能性は十分にある。
例えば……枕が二つ並べられてたり、わざとらしくスペースを空けてベッドで寝てたり……。
「いや、いやいやいやいや……それは流石に考えすぎだって……」
肉体的接触レベルで言えば、俺たちはまだ手も繋いでいない。
なんなら俺の方からは告白もどきがあっただけで、正式には付き合ってもいない。
いくら光とはいえ、一足飛びにそんなことを求めてくるなんて無い。
流石に無い……と思いながらも、念入りに歯を磨いてしまう。
更に入念に髪を乾かし、不安と期待を抱きながら浴室から出ると――
「あっ、おかえり~……あれ? お風呂上がりの人にかける言葉ってこれで合ってるのかな……? おかえり……お上がり……?」
「なんでもいいけど……それ、何してんの?」
予想していたような事態はなく、光はテーブルに乗せた鏡を見ながら自分の顔に何かしていた。
「ん? 寝る前のスキンケアだけど」
「あ、あぁ……そうなんだ」
ほっとしつつも、心のどこかで残念だったと感じている自分がいる。
「うん、しっかりやっとかないとねー。一応、モデルだから」
手のひらに乗せた液体を顔に塗りながら光が笑う。
「女子は色々と大変だね」
「男子でもやってる人はいるんじゃない? なんだったら、やったげようか?」
「いや、これ以上かっこよくなったらまたどこかの誰かに怒られそうだからやめとく」
ただ、肩の力が抜けたおかげか自然と上手く返すことが出来た。
「それは賢明な判断だね」
スキンケアしている光を、ボーッと眺めながら終わるのを待つ。
それにしても今はノーメイクのはずだけど、普段とほとんど変わらないな……。
男の俺からすればそのくらいの感想だが、女子からすればまるでチートでも使っているように思うのかもしれない。
「よし! 終わり! これでばっちり!」
最後に両頬を軽く叩いた光が道具をしまう。
「じゃあ、布団敷くからテーブル退かすよ」
「布団……」
ボソっと呟きながら意味深な目で見られる。
誰がどっちで寝るかを考えてる……?
いや、違う。
一緒にベッドで寝れば要らないんだけどなぁ……の視線だ、これは。
要らないわけがないんだが、それでも押し切られそうな無言の圧を感じる。
気づいていないフリをしながら、テーブルを除けて布団を敷いていく。
背中越しにまだ視線を感じるが、気づいていないフリを続ける。
あの大きな目でじっと見られながら、甘えるように『一緒に寝たい』なんて言われたら絶対に断れない。
「さて、それじゃあ寝るかぁ」
就寝の準備を整え、光の方を見ずに照明を落とす。
「おやすみ」
暗くなった部屋で無言の圧力を受けながら布団に横たわる。
少しすると向こうも諦めたのか――
「……おやすみぃ」
やや名残惜しそうにそう言って、ぼふっとベッドに倒れ込んだ音が鳴る。
急場は凌いだ……が、まだ安心は出来ない。
俺が寝てる間に、あるいは今この瞬間にでも攻めてくる可能性は十分にある。
そうなった時に自分が『まだ早い』と拒絶できるかは怪しい。
なんせ、俺だって所詮はただの男子高校生。
性欲は普通にあるし、好きな異性と一晩過ごすとなれば期待や想像だってする。
万が一はそういうことがあるかもしれないと……。
暗闇の中、背後の気配に細心の注意を払い続ける。
身じろぎ一つに、息遣い一つに。
心臓は激しく鼓動し、全身に血流を巡らせている。
こんな状態でもし迫って来られれば、絶対に拒めな――
「すぅ……すぅ……」
……って、もう寝てる!?
背後から響いてきた心地の良さそうな寝息に驚く。
しかし、よくよく考えてみれば今日は来る前にテニスの練習があったはず。
そこから更にあれだけゲームをすれば疲れも溜まっているだろう。
横になってすぐに寝てもおかしくないのかもしれない。
残念と安堵の感情が入り混じった息を吐き、自分も目を閉じようとするが――
「黎也くん……好き……大好きぃ……」
ね、寝言……!? それとも、やっぱり起きてる……!?
「私……もう、できないかも……我慢……」
と、倒置法……!? そして、何を……!?
「もう……しちゃうね……」
されちゃうの……!?
ギュっと目を瞑って、それが訪れるのを待つが――
「すぅ……すぅ……」
やっぱり寝てる!? つ、続きは!?
――――――
――――
――
……で、気がつくと朝になっていた。
窓から陽の光が差し込み、室内を照らしている。
上半身を起こし、ベッドの方に視線を向けると――
「すぅ……すぅ……」
昨晩から全く変わらない規則的な寝息を立てながら、光が気持ちよさそうに眠っていた。
その姿を見て、一人で空回りしていた恥ずかしさが湧き上がってくる。
一人で勝手に良からぬ想像で悶々として、結局ほとんど寝られなかった馬鹿男。
こんな有様じゃ本当にその時を迎えるのなんてまだまだ先だな……。
そう自戒しながら光を起こさないように起き上がり、洗面所へと向かう。
顔を洗って戻ると、ちょうど光も目覚めていた。
「おはよう」
「んん……おはよぉ……」
寝ぼけ眼を擦りながら、両手を上げてノビしている。
「朝ご飯食べる? トーストくらいしか無いけど」
「うん……でも、その前に顔洗ってくる……後、寝グセも……」
「じゃあ、焼いとくから」
「ん……ありがとぉ……」
名前に反して朝は弱いのか、のそっと起き上がってよたよたと歩いていく。
扉の向こうから聞こえてくるドライヤーの音に耳を傾けながら、朝食を準備する。
冷凍しておいた食パンをオーブンレンジに放り込み、電気ケトルでお湯を沸かす。
焼き上がったトーストを皿に盛り付け、ドリップのコーヒーを淹れる。
そうして準備が出来たのと同時に、いつもの姿になった光が戻ってきた。
「改めて、おはよ~!」
「おはよう。ジャムとマーガリン、どっちにする?」
「ん~……今日はジャムの気分かな」
「了解。コーヒーにミルクは?」
「いる!」
冷蔵庫からジャムとミルクを取り出し、テーブルの上に置く。
光がいつものようにベッドに腰掛け、二人で朝食を取り始める。
「いただきま~す! あむっ……んむんむ……ん~、いい焼き加減! 美味!」
「どういたしまして。それで……今日はこれからまたいつも通り過ごす感じ?」
「ん~……それなんだけど、実はちょっと考えてたことがあるんだよね」
二口食べた食パンを皿の上に置いた光が俺の方を見ながら言う。
「考えてたこと?」
「うん、私もそろそろ自分用のパソコンを買おうかなって」





