第12話:嫉妬とレベルアップ その1
――今週最後の登校日となる金曜日。
俺は教室の入口前で立ち尽くしていた。
扉を一枚挟んだ向こう側からは、一時間目の開始を前にしたクラスメイトたちの歓談の声が響いてくる。
……なんで俺、イメチェンなんてしてしまったんだろう。
一日遅れて、大きな悔恨の念に苛まれる。
自信をつけるために……と勢いでやってしまったが、考えれば考える程に早計だったようにしか思えなくなってきた。
俺は依然として、現在進行系でカーストの底辺を漂う陰キャオタクでしかない。
そんなやつがこのタイミングで髪型を変えてきたら、どうだ。
女が出来て色気づいたと思われるのが関の山だろう。
思われるだけならまだいい。
それが何らかの声や形になって届けば、自信どころか劣等感が更に肥大化してしまうかもしれない。
考えれば考えるほどに、次から次へとネガティブ思考が溢れ出てくる。
今朝、数十分かけてセットしてきた髪の毛を掻きむしりたくなるような衝動に駆られる。
このまま踵を返して、家に帰ってゲームの世界に逃げ込めれば一体どれだけ楽だろう。
けれど、そうするわけにはいかない。
今、俺が立っている底の底から這い上がらなければ手に入らないものがある。
どうせ今の俺は、レベル1の貧弱装備。
デスペナを受けたところでロストするものは何もない。
不退転の決意で扉に手をかけ……一気に開いた。
約四十人の級友が、朝の授業を前に好き好きに過ごしている姿が露わになる。
普段は何気なく通り過ぎているだけの光景が、今はまるで4K最高画質設定かと思うくらいの高解像度で自分の前にある。
その中の何人かが、扉を開いて入ってきた俺の方を一瞥する。
しかし、特段変わった反応は見せず、すぐに談笑へと戻っていった。
もしかして、俺が過剰に気にしすぎてただけなのか……?
ほっとしたような、拍子抜けしたような感情が湧き上がる。
人の噂もなんとやら……で、もう誰も気にしてないのかもしれない。
と考えたのも束の間――
「あっ、黎也くん! おはよー!」
最前列で日野さんと談笑していた光が俺の存在に気づいた瞬間に、教室中によく通る声でそう言った。
『黎也!?』
『名前呼び!?』
『えー……なんか嫌なんだけど……』
『てか、あいつ何かキメて来てね?』
まるでインスタンスダンジョンでヘイト取りに失敗した時のように、教室の至るところで連鎖的に反応が起こっていく。
そうして瞬く間に、また俺を中心とした嫌な空気が教室を包み込む。
悪気があったわけではないだろうけれど、その尋常でない影響力の高さに思わず顔の筋肉が引き攣ってしまう。
「お、おはよう……」
このくらいは分かっていたことだろうと、気を取り直して光に挨拶を返す。
「おはよう。髪切ったの?」
俺の変化に対し、真っ先に触れてきたのは日野さんだった。
「ああ……うん、ちょっと伸びてきてたから……」
「ふ~ん……」
全てを見透かしているような視線が、じーっと頭部に張り付いている。
『あーあー……見栄張っちゃって……光は別にそんなこと気にしないのに……』
……と言う心の声が聞こえてくるようだ。
バツが悪くなって視線を光の方に向けると、彼女もじっと俺の頭を見ていた。
それも何故か、少し不機嫌そうな感じで。
「ど、どうかした……?」
「別に何も~……」
表情通りの、そっけない返事が返ってくる。
自分が何かやらかしてしまったのかと心配になって記憶の糸を辿ると、一つだけ心当たりが見つかった。
まさか……昨夜のPINEの返信が遅れたせい?
確かにゲームに熱中しすぎたせいで三十分程気づかなかったけど……。
でも、あれは俺じゃなくてゲームが面白すぎたのが悪い。
光ならその気持ちは理解してくれるはずだと、釈明の言葉を紡ごうとするが――
「うーっす……ちょっと早いけどホームルーム始めるぞー」
始業の鐘が鳴るのに先立って、多井田先生が教室に入ってきた。
「ほら、さっさと自分の席に座れー……」
釈明も出来ずに、自分の席へと向かわざるを得なくなる。
朝のホームルームが恙無く終わり、そのまま一時間目の授業が始まる。
授業が始まっても、当然まともに集中できやしない。
チョークが文字を刻む音に耳を傾けながら、ぼんやりと黒板を眺めていると――
ふと、最前列の席に動きがあるのに気づいた。
教壇の先生が板書している隙を縫って、光が俺の方をチラチラと見ている。
それもさっき見たのと同じ、どこかムっとしたような表情を浮かべながら。
これ、めちゃくちゃ怒ってないか……?
PINEの返信遅れって、まさかそんなに大きな地雷なのか……?
背中を嫌な汗が伝う。
このまま嫌われてしまったら自信どうこう以前の話だ。
とりあえず、授業が終わったらすぐに謝罪しよう。
そう決心してから一時間目が終わるまでの時間は、普段の何倍にも長く感じられた。
鐘の音が鳴り、先生が教室から出ていく。
同時に立ち上がって、彼女のところへと向かおうとするが……
向こうが先に立ち上がり、試合中を彷彿とさせるようなフットワークであっという間に俺の下へとやってきた。
授業の五十分で怒りが更に膨れ上がったのか、憮然とした表情を浮かべて真横に仁王立ちされる。
「き、昨日はごめん。ちょっとゲームに熱中しすぎて気づかなかっ――」
「髪……なんで切ったの?」
釈明の言葉を遮って、逆に向こうが尋ねてきた。
「え? なんでって……さっき言った通り……伸びてきてたからだけど……」
もう一度、授業前に言ったのと同じ理由を繰り返す。
「……本当に? 他に理由はない?」
さらにムスっと不機嫌そうに問い詰められる。
「も、もちろん……それ以外に理由なんてないけど……」
カクカクと下手くそな操り人形のように首肯する。
実際は嘘をついているが、これは必要な嘘だ。
まさか本人に対して、君に相応しい男になりたいからなんて言えない以上はこれで押し通すしかない。
しかし、続けて彼女の口から発せられたのは俺が全く予想もしていない言葉だった。
「もしかして、私以外にモテようとしてない……?」
なんかいきなりヤンデレみたいなこと言い出したんだけど……。





