第11話:イメチェン その3
「な、何してんすか……? てか、その格好は何なんですか……?」
俺が驚愕の声を上げると、彼はまるでゾンビのような挙動で振り返った。
自然派……というか、怪しげなヒッピー風のファッション。
ご丁寧にウェーブがかったロングのウィッグと不精な付け髭まで装着している。
普段のTシャツとジーンズだけの姿とは、対極の彼方にあるような出で立ち。
より端的に表すと、駅前で大麻解禁運動とかやってそうな見た目だった。
「これは……その……イメチェンっていうか……が、ガイアが俺にもっと輝けと囁いていたから……」
「大樹さん、それはちょっと……いやかなり間違ってると思います……」
本人のためを思って、率直にその多大な過ちを指摘してやる。
「やっぱりそうかな……実は俺も、途中でそうじゃないかって思ってたんだよな……」
「じゃあ、なんでやり遂げてしまったんですか……」
「ガイアが俺にもっと輝けと――」
「それはもういいですから」
南さん、今男の人を紹介されるとしたら多分これですよ。
「とにかく、中に入りませんか? その風体でうろついてると下手したら不審者だと思われて通報されますよ」
「お、おう……そうしたいのは山々なんだけど……でもよ……」
「でも……?」
「水守さんに変な奴だとか思われないかな……」
……今更!?
三日に一回は訪れて、オムライスだけを最低三皿は食べる従姉弟の知り合いの兄。
既に変な奴要素が跳満くらいは乗ってるのに、今更そんなことで悩んでたのかよ……。
この人を見てると、自分が髪型一つで悩んでるのが些細なことに思えてきた。
「衣千流さんは今更、大樹さんを見た目だけでどうこう思ったりしないですよ」
見た目以前に、もうとっくに変な人だと思われてますから。
……とは流石に言えなかったので、角が立たないように言い換える。
「ほんとか……? こんな歌舞伎町の路地裏にあるシーシャ屋のオーナーみたいになった俺でも受け入れてくれっかな……?」
「大丈夫ですよ……多分」
「じゃあ、俺がDLsiteで耳かきASMRを大人買いしてるのも……?」
「それは頼むから黙っておいてください」
そうして、マリファナ愛好家と化した大樹さんと二人で店内に入る。
「いらっしゃいませー……って、黎也くんか。おかえりなさ~い」
ドアベルが鳴り響く中、仕込みを終えてカウンター席で休憩していた衣千流さんが俺たちの方に振り返って言う。
「あっ、先輩のところで髪切ってきたんだ」
「ああ、うん……それで南さんから伝言。『今度行くから良い男がいたら紹介してくれ』だってさ」
「あはは、先輩も変わってないなぁ」
そう言って笑う衣千流さんの視線が、じわじわと俺の頭部に吸い寄せられていく。
まずい。
妙な勘ぐりをされる前に……行け!
「それと近くでばったり会ったんで、お客さんも連れてきました」
壁の方へと一歩退いて、後ろの大樹さんの姿を曝け出した。
「ど、ども……こんちは……」
デカい図体を縮こまらせながら、大樹さん(新宿のすがた)が会釈をする。
それを目の当たりにした衣千流さんが、驚愕に目を見開いて固まった。
俺が北東アジアの呪術師でも連れてきたと思っているのかもしれない。
「あっ……! 大樹くん……!?」
数秒ほど遅れて、ようやくその正体に気がついた。
「は、はい! 朝日大樹です!」
「どうしたの……? その格好……」
衣千流さんの注目が一気に大樹さんの方へと向く。
予想通り……いや、予想以上にメインタンクとしての役割を果たしてくれている。
これで俺のことにはしばらく触れられないだろう……。
「こ、これはですね……その……い、イメチェンと言いますか……水守衣千流さんのところに行くわけですから、今日はチルい感じのファッションで……なんて思ったわけなんすよ!」
何だよそのライン超え寸前な限界ギリギリのジョークは、と思ったが――
「あはは、なにそれ~。も~……大樹くんってほんとに面白いんだから~」
意外なことに、割とウケている。
「そ、そうですか!?」
「うん、今度来た時は何してくれるのかなってちょっと楽しみになっちゃってるかも」
「なら任せてください!! 次はもっと驚かせてみせましょう!!」
「え~……これ以上すごいのが出てきちゃうの?」
手で口元を隠しながら、クスクスと笑っている衣千流さん。
そんなことを言うと本当にとんでもなのが出てきそうだから止めて欲しい。
……と言いたかったけど、少し良い雰囲気だったので何とか堪える。
先の南さんとの会話で改めて思い出したけれど、衣千流さんが今こうして自然に笑えているのは俺からすれば未だ奇跡に思える。
だから彼女が享受する幸福は、ほんの些細なものであっても邪魔したくはない。
「それで、ご注文は今日もオムライスでいいの?」
「はい! よろしくお願いします!!」
「は~い。それじゃ私は作ってくるから、黎也くんは着替えてきてね」
「うん」
そうしてメインタンクのおかげで、俺の変化にはとりあえず触れられなかった。
店の奥へと向かい、バックヤードで制服から制服へと着替える。
その他諸々の準備を終えて戻ると、衣千流さんがちょうどオムライスを大樹さんのところへと運んでいるところだった。
「はい、どうぞ」
「ありがとうございます!! いただきます!!」
出来立てのオムライスがテーブルに置かれ、スプーンを手にした大樹さんがそれに貪りつく。
まだ夕方の営業時間が始まったばかりで他の客の姿はない。
衣千流さんはそのまま近くのカウンター席に腰掛けて、歓談モードに入る。
「そういえば、ついさっき知ったんだけど……光ちゃんってすごいのね」
「ん? ぬぁにふぁふぇすか?」
衣千流さんの言葉に、口に物を詰めたまま大樹さんが応える。
「テニスの大会で優勝したって、ニュースになってたから」
その記事が表示されたスマホの画面が、俺たちに見えるように掲げられる。
見出しには、『ジュニア日本ランキング一位の朝日光がトーナメントを圧倒! 全米オープンジュニアへの主催者推薦枠を勝ち取る』と書かれていた。
「あー、それっすか。まあ、すごいと言えばすごいですけど……そもそもあいつがまだジュニアの大会に出てるのがおかしいですからね」
「……って言うと?」
「本来の実力的に言えば、もうジュニアの試合は卒業してツアーの下部トーナメントに出て、プロデビューに向けてポイントを溜めてる時期ですから」
「えっ!? でも光ちゃんって黎也くんと同い年ならまだ十六か十七歳よね……? それでプロ……?」
「早ければ十四、五歳でデビューする世界ですから。実力を考えたら、本来はあいつもそのくらいの年齢でプロツアーを回っててもおかしくなかったんですけどね」
オムライスを食べながら、妹を自慢する風でもなく淡々と述べる大樹さん。
「へぇ~……じゃあ、私が思ってたよりももっとすごいんだぁ……」
一方、聞いた衣千流さんの方は少し驚いたような表情で感心している。
「どう思う? 黎也くん?」
「な、何が……?」
「そんなにすごいんだって、光ちゃん……知ってた?」
何か意味ありげな口調で、問い詰めるように聞いてくる。
「まあ……多少は……本人から聞いたりして……」
前の大会を見て以来、少しでも彼女の世界を知ろうと色々調べたり聞いたりした。
概ね日野さんから教えてもらった知識だけれど、今の立ち位置くらいは理解している。
「え~……いいなぁ~……私も光ちゃんともっとお話したいなぁ~……」
チラチラと、意味ありげな視線を何度も送られる。
どうやらまた連れてこいと言っているらしい。
しかし、現状は学校のことだけで手一杯。
今の中途半端な関係を、多方に知られるのはあまり好ましくない。
どう答えるべきかを思案していると――
「そういやお前、あいつから告られたんだっけ?」
いきなり、メインタンクが全てのアグロを俺に押し付けてきやがったんだが。
大樹さんの口から事も無げに発せられたその言葉に、周囲の空間が凍りつく。
衣千流さんは見たこともない間抜けな表情で、ポカンと口を開けて固まっている。
「ど、どどど、どういうこと!? 告白されたって、黎也くんが光ちゃんに!?」
椅子から立ち上がった彼女は、ものすごい勢いで俺に食いかかってきた。
「ちょ、いち……衣千流さん!! おち、落ち着いて!!」
「前は友達だって言ってたのに、いつの間にそんな関係になってたの!? もしかして、知らなかったの私だけ!?」
「い、いや……俺からしてもかなり急な話で……」
「ゴチャゴチャ言ってないで教えなさい!!」
両肩を手で掴んで、ぐわんぐわんと前後に振られる。
「分かった! 話す! 話すから!!」
観念してそう叫ぶと、どうにか力が緩められた。
「はぁ……はぁ……そもそも、なんで大樹さんが知ってるんですか……」
「なんでって……あいつが嬉々として報告してきたからな」
これだから陽キャ界隈は!!
「で、どういう経緯でそうなったの!?」
「どういうって言われると……」
気恥ずかしさに少し言い淀むと、いいから話せと鋭い眼光が向けられる。
「話す……話すからそれ以上睨まないで……」
これ以上の抵抗は無意味だと判断して、事の経緯を説明する。
彼女と一緒にゲームをするようになったことから、大会の日に告白されたことまで。
二人の前で、自分の口から事の仔細を話すのは非常に恥ずかしかった。
「へぇ~……そうだったんだぁ……黎也くんと光ちゃんが……え~……ほんとなんだぁ……わぁ~……」
話を聞き終えた衣千流さんが、まるで自分のことのように顔を赤らめている。
髪型への追求を避けた結果、まさか全てを洗いざらいに話すハメになるなんて……。
「あっ、だから急にオシャレし出したんだ……」
しかも、そっちも普通にバレてるし……。
もう踏んだり蹴ったりだ。
他人を都合の良い欺瞞として使おうとした罰が当たってしまったのかもしれない。





