第10話:イメチェン その2
――翌日の放課後。
バイトへと向かう前に、俺は大きな決意を胸にある建物の前に立っていた。
ヘアサロン『Marin』
普段も通っているかかりつけの美容院だが、今日はこれまでとは訳が違う。
自信を付けるための第一歩……緒方さんに言われた通り、まずは見た目から変える。
『女子ウケしそうなイカした感じの髪型にしてください』
心の中で何度も練習したオーダーを再度、繰り返す。
よし、いける。
完璧な予行を終え、一歩踏み出して自動ドアを開ける。
弱冷房の効いた店内に入ると、カウンターで雑誌を読んでいた女性が振り返った
「おっ、黎也じゃん。いらっしゃーい」
この美容室の経営者にして、衣千流さんの高校時代の先輩でもある東風南さんにいつも通りの気さくな口調で声をかけられる。
「こんにちは。ちょっと伸びてきたんで、カットをお願いしたいんですけど……」
「おー、了解。ちょうど予約の客が全部終わって暇だったところだったし、良いタイミングで来たね」
南さんは雑誌をマガジンラックに戻すと、椅子に座るように促してきた。
「……で、今日もいつもの感じで整えるだけ?」
荷物を置いて椅子に座ると、鋏を手にした彼女が鏡越しに尋ねてくる。
ここまではシミュレーション通り、後はあの言葉を言うだけ――
「えっと……その、今日はですね……じょ、じょ……に……」
「ジョニー……? ジョニー・デップ風ってこと?」
「いや、どっちかと言えばジョニー・シルヴァーハンドの方が……って、そうじゃないです。ジョニーじゃなくて、じょし……」
「ジェシー……? アーロン・ポール風?」
「そうでもなくて……なんというか、つまり……」
だったはずが、ここに来て緊張がピークに達して上手く言えない。
「じゃあ、何? 流行りのナチュラルな感じのマッシュにでもしてあげようか?」
「そ、そう……! それ! そういうやつです……!」
想定通りではないが、向こうの発言に乗っかる形で目的の言葉を告げる。
「……え? 本当に?」
からかうつもりだったのか、逆に戸惑ったような声を上げられた。
「いや……それにして欲しいっていうか……あくまでそういう感じの方向性ってだけで、つまり何が言いたいかっていうと……都会風っていうかギガチャド的な……」
「つまり、女の子にモテそうな感じってことね」
ニヤっと笑った南さんと、鏡越しに視線が合う。
「も、モテとかそういうわけじゃ……いや、お願いします……」
「ちゃんと言えたじゃん」
もう一度クスっと笑って、南さんが準備を始める。
想定していた感じとは違ったが、何とか第一関門は乗り越えられた。
カット用のクロスがかけられ、鋏を手に彼女がが後ろに回る。
「……で、具体的にはどんな感じで? ヘアカタログとか見て決める?」
「ぶっちゃけ見ても全然分かんないんで、南さんのセンスにお任せします……」
自らの情けなさを自覚すると、情けないながらも前に進む意思を持った言葉が出てくるようになった。
「了解。じゃあ……あんまりビシっとキメないで自然な感じにしよっか」
そう言って、髪の毛が切られはじめる。
櫛で解いた髪の毛が軽快な音を立てながら切られ、足元にハラハラと落ちていく。
普段はやり甲斐のない俺の髪を大胆に切られるからか、いつもより軽やかな手際を感じる。
「で、何の心境の変化があったの?」
カットし始めて数分が経ったところで、南さんがそう切り出してきた。
「……何がですか?」
「いつもは適当に短く整えるだけってやり甲斐のない注文だったのが、急に『女の子にモテそうな感じ』ってどういうことよ」
「それは……その……」
「高校デビューにしては遅いし……もしかして……好きな子でも出来たかぁ……?」
「まあ……そんな感じです……」
素直に応えると、髪を切っていた手がピタリと止まる。
「うそ、ほんとに?」
自分から言っておいて、意外そうに反応される。
「……本当ですけど」
弱めに肯定すると、鏡越しにある南さんの顔がニヤリと歪んだ。
「どんな子? かわいい?」
その手の話に飢えていたのか、やたらと食いついてくる。
「まあ……世間一般的に見てもかなりかわいい部類だと思います」
「へぇ~……どういうタイプの子? どんなところが好きなの?」
一つの質問に答えると、矢継ぎ早に次の質問が飛んでくる。
「そんなこと聞いてどうするんですか……」
「だって気になるじゃん。そっかー……あの根暗ぼっちで、ずっとゲームばっかやってた少年にも遂に春が来たんだなーって」
「はぁ……」
「で、どんな子なの? お姉さんにも教えてよ」
「恥ずかしいからあんまり言いたくないんですけど……」
「ふ~ん……でも今、君の生殺与奪の権は私が握ってるのを忘れてないかい……? つまり、このままクリスティアーノじゃない方のロナウドヘアにして、明日好きな子の前でもっと恥ずかしい思いをさせられることも可能だということ……」
これ見よがしに頭の上で鋏をチョキチョキとさせられる。
冗談だとは思うけれど、この人なら本当にやりかねない一抹の恐怖がある。
「すごく明るくて一緒にいると楽しい人ですよ……こう……太陽みたいっていうか……」
少し不本意ではあるが、これも自分を変える一環だと観念した。
「へぇ~……他には他には……?」
「男女問わずにすごく人気があって……文武両道で、特にスポーツに関してはテニスをやってるんですけど、凄まじかったですね……多分、世界レベルっていうか……次元が違うっていうか……」
気恥ずかしかったはずが、口を開けば彼女の魅力がスラスラと出てしまう。
「で、本当に完全無欠って言葉が似合う人なんですけど……かと言って、近寄りがたいかっていうとそういうことは全く無くて……意外と無邪気で子供っぽいところが――」
そこまで語ったところで、鏡に映っている南さんの姿が目に入った。
ニヤニヤと、今日一番に粘度の高い笑みを浮かべている。
「だから言いたくなかったんですけど……」
「ごめんごめんって。いや、でも真っ当な青春っぽくてお姉さん安心したよ。初めて会った時はこんな小さいガキンチョだったのに、いつの間にかそんな年頃になってたんだね」
「そりゃ、あれからもう七年くらい経ってますし……」
「そっか、もう七年も経つんだ……私が高二で、チルが高一で……二人で一番自棄になってた時だもんね」
南さんが手を止め、遠い過去を思い出すような口調で言う。
「自棄って……いや、まあそうでしたね……」
「今思えば、あの時の私も相当やばかったよね。めちゃくちゃやってたっていうか……」
「でも、結果的には南さんのおかげで衣千流さんも前に踏み出すキッカケを得られて……今は自分の店を開けるくらいになれましたし。うちの両親も感謝してましたよ」
「……だと良いんだけどねー」
微妙に含みのあるような口調。
何かあるのかと聞こうか悩んだが、当時の話を今更蒸し返したくもなかったので心に留めておく。
そうして、その後は当たり障りのない雑談だけをしている間にカットが終わった。
「どうよ! 結構いい感じになったんじゃない?」
バックミラーが展開され、全体像が映し出される。
「なんか……自分じゃないみたいですね……」
第一声にありきたりな感想を述べつつ、細かいところに目をやる。
少し無造作気味なところは以前の雰囲気を踏襲しつつも、これまでとは明らかに違う小洒落た髪型。
スタイリング剤で全体に動きが付けられており、眉毛もいつもより少し細めに整えられている。
自分で言うのもなんだけど、確かに以前よりは随分とマシな見た目になったように思う。
「なかなか良い感じでしょ? 素材がまあまあだったのもあるけど、やっぱり一番は私の腕かな」
うんうんと自画自賛しながら、手で最後の微調整が行われていく。
明日からはこれを毎朝自分で行わなければならないのを考えると少しげんなりした。
「……ほい、完成! これでその子も黎也にメロメロだね!」
「メロメロって……」
「とにかく、頑張んなよ! 少年! 高校生活なんてあっという間なんだから悔いのないようにね!」
最後に背中を軽く叩かれて、椅子から立ち上がる。
「ほい、これはサービス」
財布を取り出して料金を支払うと、新品のスタイリング剤が一つ手渡された。
「どうも、何から何までありがとうございます」
「いいってことよ! その代わりにチルに、今度行くから良い男がいたら紹介してって言っといて」
「はぁ……伝えるだけ伝えておきます。それじゃ、失礼します」
南さんに会釈して、自動ドアを潜って退店する。
「やばっ……意外と時間かかってるな……」
時計を確認すると、もうすぐ夕方の営業時間が迫っていた。
予め髪を切ってから行くとは伝えていたけれど、開店に間に合わないのはまずい。
少し早歩き気味に水守亭へと向かう。
信号待ちで立ち止まると、ふと近くのガラス窓に映る自分の姿が見えた。
南さんのところではそこまで思わなかったが、改めて見るとなんだか変な気分だ。
中身が何も変わってないのに、見た目だけが変わったアンバランスさ。
何かソワソワするというか……妙に落ち着かない。
自信どうこうの前に、まずは自分自身が慣れるのが先だな……。
そんな風に考えながら歩いていると、十分程で水守亭が見えてきた。
これまで洒落っ気の全く無かった従姉弟の急なイメチェン。
衣千流さんにはどんな反応をされるだろうか、と少し不安を抱いていると――
「……ん?」
店の前に怪しげな人物がいるのが目に入った。
やたらとデカい図体に、エスニック風味の派手な服装。
何かを逡巡するように、店の前を行ったり来たりしている。
怪しい……非常に怪しい……。
不審者の三文字で表すのが最も適当な輩としか言いようがない。
ひょっとして衣千流さんのストーカー……?
だとしたら看過できない。
スマホを片手に、いつでも通報できる準備を整える。
向こうに気取られないように、こっそりと近づいていく。
5m程の距離を保って、正体を探るために横から覗き込むが――
「えっ……? た、大樹さん……?」
明らかになったその正体に、思わず慄くような声を上げてしまった。





