第8話:無性愛者
翌日、水曜日の昼休み。
いつもの空き教室に入り、適当な席に座って、買ってきたサンドイッチを――
「……お前、なんでまだここで昼飯食ってんの?」
袋から取り出そうとしたところで、颯斗から出し抜けに言われる。
「なんでって……いつもここで食ってるだろ。今更なんだよ……」
「いやいやいや、お前には可愛い……なんて言葉じゃ全く足りないレベルの彼女がいんだろ。昼飯も向こうと一緒に食ってくればいいじゃねーか。全く、羨ましいこった」
「そうだそうだー」
嫉妬と祝福が7:3くらいの比率で混じった颯斗の言葉に、隣で悠真も同調している。
「昼はこれまでの付き合いもあるから、しばらくはそっちを優先しようって話になったんだよ。それと……まだ、一応……彼女ではない……」
「はぁあああああ!? 彼女じゃないってどういうことだよ!? 告られたんだろ!?」
「告白はされたけど……まだはっきりと返事はしてないっていうか……」
「朝日光に告られて、返事をしてない……!? いやいやいや、嘘だろ!? 普通の男ならコンマ1秒でOKする以外の選択肢はありえねーって!」
食ってかかってきているような語勢の颯斗に、隣で悠真も『うんうん』と同調している。
「向こうのことが嫌いとか、なんとも思ってないわけじゃねーんだろ?」
「そんなの、当たり前だろ……」
「だったら、なんで返事してねーんだよ」
「それは……なんていうか……」
颯斗のごく自然な疑問に、どう返せばいいのか言葉に詰まる。
「自信ないんやろ? 堂々と自分が光の彼氏ですって振る舞えるだけの」
言い淀んでいると、二人とは別の方向から関西弁で図星を突かれた。
声の主である緒方さんは、何故か平然と俺たちに混ざりながら弁当を食べている。
「まあ、有り体に言えばそうなんだけど……」
「自信? 付き合うのに、んなもん別に必要ねーだろ。告られたら好きか嫌いかでイエスかノーか。なんなら、告られたからとりあえず付き合ってみよっか……ってのが高校生の恋愛ってもんだろ」
「それはちょっと軽すぎないか……?」
「お前が重く考えすぎなんだよ。何の奇跡か知らねーけど、あの朝日光が好きだって言ってくれてんだからそれでいいじゃねーかよ。向こうの気が変わらないうちにOKして、身に余る青春を楽しんどけよ」
「う~ん……うちは影山くんの気持ちも分からんでもないけどなー」
颯斗と言い合っていると、緒方さんがそう言って俺の側に立ってくれる。
「女子の中でも、やっぱ光の側におるのは緊張するって子は結構おるし。周りから比べられてるんちゃうかーとか、自分でも無意識的に比べてしまうところは嫌でもあるんやと思うわ。逆に京なんかはめっちゃ張りおうてるけどな」
笑いながら緒方さんは更に続けていく。
「それに、そんな普通の高校生ならちょっと重たいって感じるくらい馬鹿真面目やからこそ……光が好きになったって側面はあるんとちゃう?」
「そ、それは俺には何とも……」
「まあ、それは光に聞かな分からんことやけど……ただ、一つだけ忠告!」
食事の手を止め、指を一本立てた緒方さんが声を張り上げる。
「悩むのは構わんけど、それが光の好意にめっちゃ甘えてるのは忘れたらあかんで? 今は光も与えるだけで満足しとるかもしれへんけど、それがいつまで経っても返ってこんってなったら絶対辛くなるんやから」
「それは、もちろん……分かってる」
恭しく答えると、隣で颯斗が『贅沢な悩みだなー……』と零した。
確かに自分でもそれが贅沢な悩みなのは分かっている。
分かっているけれど、長年の陰キャ生活で醸造された劣等感をそう簡単には克服できない。
「分かってるならええんやけど……。でも、自信なあ……。つまりは皆から『お似合いのカップルや』って祝福されたいわけやろ?」
「そこまでは言わないけど……もっと堂々と隣に居たいとは思ってるかな……」
あの光属性主人公に対して、それが出来る男になるのがどれだけ難しいかは分からない。
もちろん、彼女自身はそんなことを気にしていないと言うだろう。
けれど、俺は彼女の想いをこの劣等感を抱えたままで受け入れたくはない。
「ふ~ん……やったら、うちも少しはアシストしたってもええけどな。そんな大したことは出来へんけど、周りに影山くんは『真面目で、ええ男や』って広めたろか? そしたら皆の見方も少しは変わってくるやろうし」
「その気持ちはありがたいんだけど……何で緒方さんが俺のためにそこまで……?」
一昨日からずっと抱えていた疑問を問いかける。
最初に俺へと接近してきた時から、彼女の言動には親切心や好奇心以外の何かが見え隠れしている。
味方が増えてくれるのはありがたいけれど、それを明らかにしないと何か気味の悪さを拭いきれない。
「う~ん……まあ流石に聞くだけ聞いといて、自分のことを言わんのはフェアとちゃうか……」
俺の言葉に、彼女は少しだけ考え込むような仕草をして続けた。
「アセクシャルって分かる?」
「「アセクシャル……?」」
聞き覚えのない言葉に颯斗と首を傾げていると、悠真が俺たちの代わりの答えた。
「アセクシャルってあれでしょ? 異性も同性も関係なく、そもそも恋愛感情とか性的欲求を抱かない無性愛者って人のことだよね?」
「そう、それ。うち、それやねん」
唐突に、重大なカミングアウトが為された。
「それ……俺らに教えていいもんなの……?」
「大丈夫大丈夫。元々友達とかには教えとったことやし」
あっけらかんとしている緒方さんに呆然とする。
恋愛感情や性的欲求を抱かない属性の人。
そう言った人たちが存在しているのは知っていたが、身近にいるとは考えたこともなかった。
ただ、だから女子に免疫の無い俺たちでもすぐに慣れたのかと納得は出来た。
「それで……その緒方さんがアセクシャル? ってのと俺の話に何の関係が?」
「えーっと……その前に、これも仲のええ友達には話しとることやねんけど……うち、実は舞台女優目指してんねん」
「女優……!? そ、そうなんだ……」
意外な事実に思わず喫驚する。
颯斗に『知ってた?』と目線で尋ねると、小さく首を左右に振った。
「うん、実は劇団にも所属してて役も貰ったりしてんねん」
少し自慢げに言う緒方さん。
あまり馴染みのない世界ではあるけれど、何となくすごいんだろうなというのは分かった。
「でも、うちってこんな性格で身体もちっさいやろ? だから、これまでは『三の線』って剽軽な感じの脇役が多かったんよ。それが、何を血迷ったんか監督が今度やる恋愛物のヒロインをうちにするって言い出してん」
「へぇ~……それは、おめでとう……で、いいのかな?」
「そう、それ自体はほんまにありがたいことやねんけど……さっきも言った通り、うちって恋愛感情とか男女関係の機微が全く分からんねん。そんな状態で恋愛物……それもヒロイン役の演技をやるのはちょっと難航してんのよ……」
「それなら役を変えてもらったりするのは……?」
「うちみたいな若手がそんなん言われへんよ。今度から役が貰えんようになるし……それに演技って、現実の自分とは全く違う自分になれるからこそ面白いんやし……とにかく、自分にとって難しい役に挑戦するのは楽しいねん」
「なるほど……それは何となく分かるかも」
演劇のことは分からないけれど、その意見には強く共感できた。
普段の自分……ひいては現実とは違う世界を体験出来る楽しさ。
それは俺がゲームを好きな理由とも共通している。
「で……本題に戻るんやけど、うちは光も実は自分と同じタイプの人間なんとちゃうかなって思っとったんよ。だって、あんだけモテるのに誰とも付き合えへんし、どっちかと言えば男を避けとるような雰囲気もあったやろ?」
喋り続ける緒方さんに、三人で雁首並べて相槌を打つ。
「……と思っとったのに、目の前でその光が情熱的な大告白するのを見せられたわけ」
「黎也くん、そんなすごい告白だったの……?」
「いや、まあ……どうなんだろ……」
隣から悠真が尋ねてきたのを、やんわりと受け流す。
確かに情熱的だったかもしれないけれど、それを自分の口から言うのは恥ずかしい。
「とにかく、それで二人の関係に興味を持ったんよ。あの光がどうやって恋に落ちたんか。その話を聞かせてもらえたら、うちにも恋愛の『れ』の字くらいは分かるんとちゃうかなって」
「理由は分かったけど……前も言った通り、別にそこまで特別なこともないし、参考になるような話なんて何も出来ないと思うけど……」
「いや、うちの直感が絶対何かあるって言うとる!」
「と言われても……」
聞く耳も持ってくれずに、興奮気味で確信している彼女に困り果てる。
「そう言わんと、お願い! うちの方からも色々と協力させてもらうから!」
両手を合わせて、拝まれるように強く頼み込まれる。
舞台演劇……。
全く知らない世界だけれど、彼女はそれと真摯に向き合っているのはわかった。
「まあ、当たり障りのない俺が話せる範囲でいいなら……本当に参考になるかは全く保証できないけど……」
これも俺の性分なのか、そんな彼女の想いに触れてしまった以上は無碍にできなかった。
「ほんまに!? うわー、めっちゃ嬉しいわー!! おおきに!! ありがとう!!」
「ちょ、ちょっと緒方さん……」
凄い勢いのままに手を掴まれて、ブンブンと上下に激しく振られる。
「それ、そういうところがまずあれなんじゃないかな……」
「……ん? ああ、そっか……普通は男子の手とか握ったら少しは照れたりせなあかんのか……。あー……もう、ほんまに普通の男女の距離感って全く分からんわぁ……!」
自然体でやってしまっていたのか、頭を抱えて苦悩している。
言われて見れば、この過剰気味なリアクションは確かに舞台役者のイメージと合致するように思えてきた。
「まあ、ええわ。次からちょっとそういうことも意識してみるってことで……。それより、協力してくれるお礼にうちの方からも早速一つ提案があんねんけど」
「提案……?」
「うん、影山くんは光の隣に堂々と居られるくらいの自信をつけたい……つまりは自己肯定感をもっと高めたいわけやろ?」
「ん……まあ……」
改めて自分の感情を言葉にされると少し恥ずかしいなと思っていると、彼女は続けてこう言った。
「そしたら、まずは形から入ってみるってのはどうやろ?」





